前の10件 | -
斎藤茂吉、生誕130年 [日記]
先週末は「母の日」ということもあり、また、GW中は帰省できなかったこともあって、八ヶ岳の実家に帰省しておりました。
渋滞を避けるために、朝の5時30分くらいに家を出たので、結構な交通量はありながらもスムーズに走ることができ、8時には実家に到着。帰りも、日曜日の昼過ぎに出たのにもかかわらず、大きな渋滞に巻き込まれることもなく、やはり2時間30分くらいで帰宅できたところです。
後半のGWと打って変わって、素晴らしい好天に恵まれたのですが、さすがにGWの翌週だと車の量も少ないのでしょう。ラッキーでした。
しかし、実家では3月下旬並みの冷え込みとなっていて、土曜日の朝、車に乗っていたときの外気温は3℃でした。
日曜日の明け方は零度近くまで下がったようです。
そんな気候ですから、花もやっと咲き始め。
自宅の庭ではハナモモが花をつけていました。

ツツジも盛りです。

驚いたことに木蓮も最盛期。

そのほか、サクラソウやチューリップや水仙やオキザリスなど、正に今が花盛り。
義弟が、母のために八重桜を持ってきてくれましたが、これも今が満開です。
八ヶ岳も、赤岳・阿弥陀岳・横岳・権現岳などの主稜はまだ雪が残っていました。
さて、今日は斎藤茂吉生誕130年の日に当たるのだそうです。
尤もwikiによると、戸籍では明治15年7月27日生とのことですが。
茂吉はアララギ派の歌人でもあり、伊藤左千夫の弟子でもありましたから、写実的でかつ生活感にあふれ生き生きとした歌をたくさん詠んでいます。
どの歌もすばらしいものではありますが、茂吉の歌の中で、とりわけ私が好きなのは、
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
という、歌集「白き山」におさめられた中の一首です。
1946年1月、斎藤茂吉は郷里でもあり疎開先でもあった山形県上山からから大石田に移住しましたが、「白き山」はこの大石田を立って帰京するまでの1年10カ月の間に詠まれた824首を収めている歌集です。
この歌の中で用いられている「逆白波」という語については、「恐らく茂吉の造語だろう(木村勝夫)」とのことですが、白い波頭が立つまで荒れた最上川の情景が眼前にありありと浮かんできませんか。
特に、下の句の「ふぶくゆふべとなりにけるかも」が、大変印象的ですね。
この歌に関して、井上ひさしさんが、「自家版 文章読本」の中で次のように分析されています。
私はこのくだりを読んで、うーむとうなってしまいましたので、ちょっと長くなりますがここに引用してみましょう。
井上さんはこの歌をローマ字に書き移して、母音の構造を明らかにし、次のように書きます。
そういえば、快晴の青空などを振り仰ぐと、私などは喜びのあまり、「あー」と叫んでしまいたくなります。
きっと母音の中でも、一番自然な音が「ア」の音なのだからなのでしょうね。心の動きや感じたものがそのままストレートに出るような。
「イ」だとちょっと否定的なニュアンスになりますし、「ウ」は沈思的な肯定、「エ」は疑問(否定的なものも含む)や意外なことに直面する驚き、「オ」は前向きな感じでの肯定、みたいに、他の母音には何かしらの表情が付いて回るような気がしますが、「ア」にはそうした色付けがないように思われるのです。
それはともかく、殊に下の句から感ぜられる、まるで万葉集を読んでいるかの如きプリミティブな感動は、こうした精緻極まりない母音構成から齎されたものだと思うと、いまさらながらに茂吉の歌人としての底知れない才能に驚愕してしまいます。
斎藤茂吉は生涯を精神科医として生き、「歌は業余のすさび」と称していたそうですが、芥川龍之介をして「最も小説を書かせたい人物」といわしめたとのこと。
しかし、下手に文学に色気を出さなかったからこそ、数多くの珠玉のような短歌を残したということかもしれませんね。
突飛なことかもしれませんが、次男の北杜夫氏の著作「白きたおやかな峰」は、もしかすると茂吉の「白き山」に触発されて、そうした題名にしたのではないか、などと思ってみたりもしたのでした。
もちろん何の根拠もない私の思い込みに過ぎないのですが。
渋滞を避けるために、朝の5時30分くらいに家を出たので、結構な交通量はありながらもスムーズに走ることができ、8時には実家に到着。帰りも、日曜日の昼過ぎに出たのにもかかわらず、大きな渋滞に巻き込まれることもなく、やはり2時間30分くらいで帰宅できたところです。
後半のGWと打って変わって、素晴らしい好天に恵まれたのですが、さすがにGWの翌週だと車の量も少ないのでしょう。ラッキーでした。
しかし、実家では3月下旬並みの冷え込みとなっていて、土曜日の朝、車に乗っていたときの外気温は3℃でした。
日曜日の明け方は零度近くまで下がったようです。
そんな気候ですから、花もやっと咲き始め。
自宅の庭ではハナモモが花をつけていました。

ツツジも盛りです。

驚いたことに木蓮も最盛期。

そのほか、サクラソウやチューリップや水仙やオキザリスなど、正に今が花盛り。
義弟が、母のために八重桜を持ってきてくれましたが、これも今が満開です。
八ヶ岳も、赤岳・阿弥陀岳・横岳・権現岳などの主稜はまだ雪が残っていました。
さて、今日は斎藤茂吉生誕130年の日に当たるのだそうです。
尤もwikiによると、戸籍では明治15年7月27日生とのことですが。
茂吉はアララギ派の歌人でもあり、伊藤左千夫の弟子でもありましたから、写実的でかつ生活感にあふれ生き生きとした歌をたくさん詠んでいます。
どの歌もすばらしいものではありますが、茂吉の歌の中で、とりわけ私が好きなのは、
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
という、歌集「白き山」におさめられた中の一首です。
1946年1月、斎藤茂吉は郷里でもあり疎開先でもあった山形県上山からから大石田に移住しましたが、「白き山」はこの大石田を立って帰京するまでの1年10カ月の間に詠まれた824首を収めている歌集です。
この歌の中で用いられている「逆白波」という語については、「恐らく茂吉の造語だろう(木村勝夫)」とのことですが、白い波頭が立つまで荒れた最上川の情景が眼前にありありと浮かんできませんか。
特に、下の句の「ふぶくゆふべとなりにけるかも」が、大変印象的ですね。
この歌に関して、井上ひさしさんが、「自家版 文章読本」の中で次のように分析されています。
私はこのくだりを読んで、うーむとうなってしまいましたので、ちょっと長くなりますがここに引用してみましょう。
井上さんはこの歌をローマ字に書き移して、母音の構造を明らかにし、次のように書きます。
「逆白波」は六音、そのうち四音が「ア」の母音を孕み持つことがわかる。そればかりか上の句十七音のうち「ア」を抱く音が九音もあるのだ。半分以上が「ア」の母音を響かせている。「ア」は大きな抱擁力を持つ音である。赤ん坊が最初に学習するのもこの音であって、この音はすべてを受け入れる。そこでこの歌の上句は荒れ狂う大自然をそのまま我がものとして受け入れているのだとわかる。ところが下句に至って事情は一変する。とくに第四句の「fubuku yufube to」が重要だ。七音のうち五音までが「ウ」の母音を孕んでいる。「ウ」は思い屈した、姿勢の低い音である。それが五個も連続すると、まるで唸り声のように聞こえる。吹雪に吹き飛ばされまいとして唸り声を発しながら背をかがめている人間。だが第五句の結句で人間は大自然と和解する。第五句は「アイウエオ」の五つの母音をすべて含んでいるからである。日本語の持つすべての母音が響き合うこと、それはまったき世界の再創造である。
そういえば、快晴の青空などを振り仰ぐと、私などは喜びのあまり、「あー」と叫んでしまいたくなります。
きっと母音の中でも、一番自然な音が「ア」の音なのだからなのでしょうね。心の動きや感じたものがそのままストレートに出るような。
「イ」だとちょっと否定的なニュアンスになりますし、「ウ」は沈思的な肯定、「エ」は疑問(否定的なものも含む)や意外なことに直面する驚き、「オ」は前向きな感じでの肯定、みたいに、他の母音には何かしらの表情が付いて回るような気がしますが、「ア」にはそうした色付けがないように思われるのです。
それはともかく、殊に下の句から感ぜられる、まるで万葉集を読んでいるかの如きプリミティブな感動は、こうした精緻極まりない母音構成から齎されたものだと思うと、いまさらながらに茂吉の歌人としての底知れない才能に驚愕してしまいます。
斎藤茂吉は生涯を精神科医として生き、「歌は業余のすさび」と称していたそうですが、芥川龍之介をして「最も小説を書かせたい人物」といわしめたとのこと。
しかし、下手に文学に色気を出さなかったからこそ、数多くの珠玉のような短歌を残したということかもしれませんね。
突飛なことかもしれませんが、次男の北杜夫氏の著作「白きたおやかな峰」は、もしかすると茂吉の「白き山」に触発されて、そうした題名にしたのではないか、などと思ってみたりもしたのでした。
もちろん何の根拠もない私の思い込みに過ぎないのですが。
歯の治療(マウスピース作製) [日記]
今日は久しぶりに安定した晴天となりました。
日比谷公園の小手鞠も陽射しを受けて一層輝きを増しています。

夜になって気温が下がり、上着がないと少し肌寒く感じます。
週末はお天気が良く、気温はさらに低めになるとのこと。
気温の変化が激しいので、体調を崩さないように気をつけたいものです。
何度かご報告致しました歯の治療について。
今日、マウスピースが出来上がってきました。

ちょっとグロテスクですが、左側が私の上あごの歯の型です。
これに合わせて合成樹脂製のマウスピースを作りました。右の透明のものです。
前歯から嵌めていき、外す時は奥歯から、となります。
私の上の前歯は内側に引っ込んでいますが、こうして歯形の模型を見ると、矯正しておけば良かったかなと思ってしまいますね。
それでもほかの歯の並びはそれほど乱れていないようなので、ちょっと嬉しくなりました。
欠けてしまった奥歯の修理を目的とした一連の治療でしたが、取り敢えずこれで一段落です。
当初はクラウンをかぶせなければならないかも、と戦々恐々としておりましたので、思ったよりもスムーズにすんで本当に安堵しました。
因に、今回作製したマウスピースはオーダーメイドですので、保険適用で5400円の出費となりました。
三割負担ということを考えれば、18000円くらいになるのでしょうか。高価なものですから大切に使いたいと思っています。
ただ、慣れるまで、これを歯に嵌めて熟睡できるか、ちょっと心配ですね。
早速今夜から試して見るつもりですが。
ところで、本日、閲覧累計が40万件を超えました。
こんな中身の薄い稚拙なブログにもかかわらず、2年半くらいの間にこんなにたくさん閲覧して頂けたことを嬉しく思い、改めて御礼申し上げる次第です。
ありがとうございました。
何卒今後とも変わらぬご愛顧のほど、お願い申し上げます。
日比谷公園の小手鞠も陽射しを受けて一層輝きを増しています。

夜になって気温が下がり、上着がないと少し肌寒く感じます。
週末はお天気が良く、気温はさらに低めになるとのこと。
気温の変化が激しいので、体調を崩さないように気をつけたいものです。
何度かご報告致しました歯の治療について。
今日、マウスピースが出来上がってきました。

ちょっとグロテスクですが、左側が私の上あごの歯の型です。
これに合わせて合成樹脂製のマウスピースを作りました。右の透明のものです。
前歯から嵌めていき、外す時は奥歯から、となります。
私の上の前歯は内側に引っ込んでいますが、こうして歯形の模型を見ると、矯正しておけば良かったかなと思ってしまいますね。
それでもほかの歯の並びはそれほど乱れていないようなので、ちょっと嬉しくなりました。
欠けてしまった奥歯の修理を目的とした一連の治療でしたが、取り敢えずこれで一段落です。
当初はクラウンをかぶせなければならないかも、と戦々恐々としておりましたので、思ったよりもスムーズにすんで本当に安堵しました。
因に、今回作製したマウスピースはオーダーメイドですので、保険適用で5400円の出費となりました。
三割負担ということを考えれば、18000円くらいになるのでしょうか。高価なものですから大切に使いたいと思っています。
ただ、慣れるまで、これを歯に嵌めて熟睡できるか、ちょっと心配ですね。
早速今夜から試して見るつもりですが。
ところで、本日、閲覧累計が40万件を超えました。
こんな中身の薄い稚拙なブログにもかかわらず、2年半くらいの間にこんなにたくさん閲覧して頂けたことを嬉しく思い、改めて御礼申し上げる次第です。
ありがとうございました。
何卒今後とも変わらぬご愛顧のほど、お願い申し上げます。
大阪市音楽団解散のこと [音楽]
穏やかな天気です。
日比谷公園に出かけたら、小手毬の花が咲いていました。

いつの間にか八重桜も終わっていて、花たちも姿も移り変わっていっているようですね。
尤も、小手毬もバラ科ですから桜の仲間ともいえるのでしょうけれども。
ヒロノミンVさんのブログで取り上げられていた「大阪市音楽団が解散!?」に関し、次のような報道がありました。
橋下市長殿、いきなり市音楽団「ジ・エンド」?
<大阪市>橋下市長、音楽団員と初の面談 廃止方針を説明
橋下市長は「『行政が楽団を抱える必要はない。(廃止後は)分限免職だ』と、音楽士(楽団員)36人の整理解雇まで言及」したのだそうです。
ヒロノミンVさんの記事によれば「大阪市の橋下徹市長は5日、市が同日発表した施策・事業の見直し試案で『2013年度に廃止』とされた市音楽団の音楽士36人の処遇について『単純に事務職に配置転換するのは、これからの時代、通用しない。仕事がないなら、分限(免職)だ』と述べた」とのことですが、これはかなりひどい仕打ちだと思います。
橋下氏は、市音楽団の音楽士の仕事を一方的に剥奪しながら「仕事がないなら免職」と言い切ってしまったわけで、市音楽団の音楽士がこれまで果たしてきた仕事や功績には全く一瞥もくれない、ということなのでしょうか。
公務員のことはよくわかりませんが、民間でも、与えられた職責をまがりなりにも全うしてきた職員に対し、問答無用で「免職」を言い渡すのは、外資系やブラック企業ならいざ知らず、ちょっと考えられないような気もするのですが如何。
ただ、次の記事では若干ニュアンスが異なっているようです。
大阪市音楽団「廃止1年延期を」 橋下市長と意見交換
これなら、いきなり2013年から分限免職!などという過激な対応は取らない可能性もあり、と読めますが、一体どちらが橋下氏の本心なのでしょうか。
いずれにしても、こうした文化的活動への歳出削減と組織改廃などという方針に対し、大阪市民はどのような評価を下しているのか、そうした点に大変興味があります。
「音楽鑑賞の機会を市民に安く提供する」という目的は、市民のための演奏団体であるからこそのものと私には思われます。
また、市音楽団の音楽士は、大阪市立の中学や高校の吹奏楽部員の指導も無償で積極的に行っているのだそうで、それがこうした学校の吹奏楽部のレベルの底上げに大きく寄与しているとのこと。
確かに、橋下氏の「子どもたちに指導するために、税金でサッカーやラグビーのプロチームを抱えるのか」という主張にも一理あるのかもしれませんが、果たしてこれは同列に扱うべき性質のものなのか、私にはどうも判り兼ねます。
それはともかくとして、大阪市音楽団がこれまで取り組んできたこのような活動は、やはり現在の大阪市民の思いからは遠く離れたものなのでしょうか。
そのように大阪市民が考えているのであれば、私のような部外者に口を出す権利など全くないのですけれども。
日比谷公園に出かけたら、小手毬の花が咲いていました。

いつの間にか八重桜も終わっていて、花たちも姿も移り変わっていっているようですね。
尤も、小手毬もバラ科ですから桜の仲間ともいえるのでしょうけれども。
ヒロノミンVさんのブログで取り上げられていた「大阪市音楽団が解散!?」に関し、次のような報道がありました。
橋下市長殿、いきなり市音楽団「ジ・エンド」?
<大阪市>橋下市長、音楽団員と初の面談 廃止方針を説明
大阪市の橋下徹市長は7日、市改革プロジェクトチーム(PT)が来年度からの「廃止」を打ち出している市音楽団の団員36人と初めて面談し、「行政が音楽団を丸抱えするのは時代に合わない」と方針を説明した。団員らは将来的な廃止には一定の理解を示しつつ、急な変化への戸惑いや不安を吐露。準備期間の延長や、廃止後も活動継続のため支援を求める声が相次いだ。
橋下市長は「『行政が楽団を抱える必要はない。(廃止後は)分限免職だ』と、音楽士(楽団員)36人の整理解雇まで言及」したのだそうです。
ヒロノミンVさんの記事によれば「大阪市の橋下徹市長は5日、市が同日発表した施策・事業の見直し試案で『2013年度に廃止』とされた市音楽団の音楽士36人の処遇について『単純に事務職に配置転換するのは、これからの時代、通用しない。仕事がないなら、分限(免職)だ』と述べた」とのことですが、これはかなりひどい仕打ちだと思います。
橋下氏は、市音楽団の音楽士の仕事を一方的に剥奪しながら「仕事がないなら免職」と言い切ってしまったわけで、市音楽団の音楽士がこれまで果たしてきた仕事や功績には全く一瞥もくれない、ということなのでしょうか。
公務員のことはよくわかりませんが、民間でも、与えられた職責をまがりなりにも全うしてきた職員に対し、問答無用で「免職」を言い渡すのは、外資系やブラック企業ならいざ知らず、ちょっと考えられないような気もするのですが如何。
ただ、次の記事では若干ニュアンスが異なっているようです。
大阪市音楽団「廃止1年延期を」 橋下市長と意見交換
橋下市長は、文化の担い手として自立した上で市に補(ほ)填(てん)を求める▽文化の手段として行政の立場でやっていく-など、今後の道筋について楽団側に選択肢を示し、議論を深めて内部で認識を共有するよう求めた。
これなら、いきなり2013年から分限免職!などという過激な対応は取らない可能性もあり、と読めますが、一体どちらが橋下氏の本心なのでしょうか。
いずれにしても、こうした文化的活動への歳出削減と組織改廃などという方針に対し、大阪市民はどのような評価を下しているのか、そうした点に大変興味があります。
楽団の維持経費は10年度、人件費を中心に約4億7800万円。収入は10分の1しかなく、差額の4億3000万円を市が負担する。
学校や音楽ホールなどからの演奏依頼を受けて計94回公演し、入場者約7万2000人を集めたが、うち8割超の79回は観客から料金を徴収していない。音楽鑑賞の機会を市民に安く提供するため、条例で出演料を「1回6万3000円以内」と制限していることも収益が伸びない一因だ。
「音楽鑑賞の機会を市民に安く提供する」という目的は、市民のための演奏団体であるからこそのものと私には思われます。
また、市音楽団の音楽士は、大阪市立の中学や高校の吹奏楽部員の指導も無償で積極的に行っているのだそうで、それがこうした学校の吹奏楽部のレベルの底上げに大きく寄与しているとのこと。
確かに、橋下氏の「子どもたちに指導するために、税金でサッカーやラグビーのプロチームを抱えるのか」という主張にも一理あるのかもしれませんが、果たしてこれは同列に扱うべき性質のものなのか、私にはどうも判り兼ねます。
それはともかくとして、大阪市音楽団がこれまで取り組んできたこのような活動は、やはり現在の大阪市民の思いからは遠く離れたものなのでしょうか。
そのように大阪市民が考えているのであれば、私のような部外者に口を出す権利など全くないのですけれども。
スーパームーン [音楽]
GWの後半は、毎日大荒れの天気でしたが、今日もその例外ではなく、夕方から雷を伴った暴風雨にとなりました。
この5日と6日、ニュースではスーパームーンとのことで、通常の満月よりも明るいお月様が見られるそうです。
今夜は“スーパームーン”…大きくて明るい
楽しみにしていたのですが、5月5日は白河にいて、雷雨に雹までも降る大荒れの天気。
今日も夕方から雷を伴う暴風雨でしたから、半ば諦めていたのですが、ありがたいことに日没とともに空がきれいに晴れ、十六夜の月を見ることが出来ました。

ひどい写真ですが、私の住居の屋上からコンパクトデジカメで撮ったものですので、どうぞご容赦下さい。
こういう現象が起きるのは、月の軌道が楕円形であるためだそうで、最も地球に接近するときに満月になるとスーパームーンとなるとのこと。
それが、5〜7日の間なのだそうです。
明日の夜もまずまずの天気となりそうですから、もしもまだご覧になっておられないのであれが、是非ともとお勧めする次第です。
今日は日曜日。
連休が続くと曜日の感覚が薄れますが、放映されるテレビ番組などで確認する方も結構おられるのではないでしょうか。
私もその傾向があって、例えばNHKの大河ドラマなどは格好の題材なのです。
その大河ドラマ、今年は「平清盛」で、私は毎回大変楽しく観ています。
何といっても、白河院の時代から保元の乱までのいきさつや当時の内裏の内部抗争などを丁寧に描いているところがお気に入り。
鳥羽院の三上博史、崇徳上皇の井浦新、後白河天皇の松田翔太の演技もなかなかのものですし、あの藤原頼長を演ずる山本耕史も絶品ですね!
これからいよいよ保元の乱に突入。どんなふうに描かれるのか、今からワクワクしています。
この大河ドラマの音楽を担当している吉松隆氏の仕事も、期待通り素晴らしいものだと思います。
彼はシベリウスの「タピオラ」や第6番交響曲に大きな刺激を受けたといい、作曲家の道を歩き始めた頃に、類型化した現代音楽の行き方に反旗を翻したことで、いわゆる「作曲賞」の類いの受賞歴は極端に少ないそうです。
しかし、テープ音楽から邦楽、ジャズやロックにまで、その表現の範囲を広げたことで、非常に豊かな響きを作り出すことの出来るアーティストに成長したのではないかと、私は思います。
この平清盛でも、オーケストラやピアノはもちろん、ボコーダーやボーカロイドまで使っていますし、邦楽を基調にした音楽も実に有効に利用しています。
ただちょっと音楽を書き過ぎかな、とも思いますが、これは大河ドラマというものの性質上、やむを得ないところもあるのでしょう。
彼が音楽を担当した「ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜」は、一転して実にリリカルで美しい曲を付けています。
これもまた素晴らしい仕事ではないかと思います。
大河ドラマ「平清盛」は、視聴率が低いと新聞種にもなっているそうですが、変に視聴率を稼ぐための薄っぺらなものにならないようにと、私としては願うばかりです。
この5日と6日、ニュースではスーパームーンとのことで、通常の満月よりも明るいお月様が見られるそうです。
今夜は“スーパームーン”…大きくて明るい
NASAの報道によると、5月5日ごろに「スーパームーン」が見られるとのこと。スーパームーンとは、通常の満月より大きく明るい満月のこと。NASAによるとこの5月の満月は、2012年の他の満月より14%大きく、30%明るいそうだ。
楽しみにしていたのですが、5月5日は白河にいて、雷雨に雹までも降る大荒れの天気。
今日も夕方から雷を伴う暴風雨でしたから、半ば諦めていたのですが、ありがたいことに日没とともに空がきれいに晴れ、十六夜の月を見ることが出来ました。

ひどい写真ですが、私の住居の屋上からコンパクトデジカメで撮ったものですので、どうぞご容赦下さい。
こういう現象が起きるのは、月の軌道が楕円形であるためだそうで、最も地球に接近するときに満月になるとスーパームーンとなるとのこと。
それが、5〜7日の間なのだそうです。
明日の夜もまずまずの天気となりそうですから、もしもまだご覧になっておられないのであれが、是非ともとお勧めする次第です。
今日は日曜日。
連休が続くと曜日の感覚が薄れますが、放映されるテレビ番組などで確認する方も結構おられるのではないでしょうか。
私もその傾向があって、例えばNHKの大河ドラマなどは格好の題材なのです。
その大河ドラマ、今年は「平清盛」で、私は毎回大変楽しく観ています。
何といっても、白河院の時代から保元の乱までのいきさつや当時の内裏の内部抗争などを丁寧に描いているところがお気に入り。
鳥羽院の三上博史、崇徳上皇の井浦新、後白河天皇の松田翔太の演技もなかなかのものですし、あの藤原頼長を演ずる山本耕史も絶品ですね!
これからいよいよ保元の乱に突入。どんなふうに描かれるのか、今からワクワクしています。
この大河ドラマの音楽を担当している吉松隆氏の仕事も、期待通り素晴らしいものだと思います。
彼はシベリウスの「タピオラ」や第6番交響曲に大きな刺激を受けたといい、作曲家の道を歩き始めた頃に、類型化した現代音楽の行き方に反旗を翻したことで、いわゆる「作曲賞」の類いの受賞歴は極端に少ないそうです。
しかし、テープ音楽から邦楽、ジャズやロックにまで、その表現の範囲を広げたことで、非常に豊かな響きを作り出すことの出来るアーティストに成長したのではないかと、私は思います。
この平清盛でも、オーケストラやピアノはもちろん、ボコーダーやボーカロイドまで使っていますし、邦楽を基調にした音楽も実に有効に利用しています。
ただちょっと音楽を書き過ぎかな、とも思いますが、これは大河ドラマというものの性質上、やむを得ないところもあるのでしょう。
彼が音楽を担当した「ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜」は、一転して実にリリカルで美しい曲を付けています。
これもまた素晴らしい仕事ではないかと思います。
大河ドラマ「平清盛」は、視聴率が低いと新聞種にもなっているそうですが、変に視聴率を稼ぐための薄っぺらなものにならないようにと、私としては願うばかりです。
今日は晴れました [日記]
会津に帰省しています。
一昨日、雨の中を出かけたのですが、覚悟はしていたものの、ひどい渋滞と豪雨による東北道の通行止めで、たどり着くまでに疲れ果ててしまいました。
午前中に出ると渋滞がひどいのではないかと思い、午後1時30過ぎに自宅を出たところ、江北までの首都高環状線が大渋滞。
それも反対車線の事故見渋滞だったので、さすがに腹立たしい限りです!
さらに、東北道の佐野藤岡I.C.から栃木I.C.までの間が、雨により渋滞しているとの表示があってさすがに唖然としました。
通行止めになるほどの雨とはどんなものなのかと思いつつ、もしかすればその辺りにつく頃には解除になるかもしれないと高を括って向かいましたが、これは甘い考えでした。
羽生P.A.でもう一度確認し、佐野藤岡I.C.で高速道路から降りるための渋滞が5km、所要時間が100分などということです。
やむを得ず、一つ手前の館林で降りることにしましたが、ここでもやはり渋滞。
一般道に出て栃木I.C.に向かおうとしたのですが、なんとナビは館林で高速に乗れと指示。
呆れながら無視して走ることにしましたが、ナビがあてにならないのでさすがに参りました。
ナビのないときにはちゃんと地図を持っていったのに、ナビがあることで中途で降りる可能性のない栃木や埼玉の地図などは用意もしなかったので、S.A.などに置いてある高速道路地図を見ながら見当をつけて走ります。
ようやく栃木I.C.付近までたどり着き、念のため家内に頼み携帯電話で東北道の状況を調べてみたところ、通行止めの区間が宇都宮I.C.まで延びているとのこと。
しかし、ナビではその情報が反映されていません。栃木I.C.で高速道路に乗れと指示します。
どちらが正しいのだろうかと悩みましたが、大事を取って宇都宮I.C.まで行くことにしました。
ナビの指示を無視しながら走り、やっとの思いで宇都宮I.C.たどり着くと、やはり佐野藤岡I.C.と宇都宮I.C.の間が通行止めになっています。
ナビのいう通りに栃木I.C.に向かわなくて良かったと安堵しました。
東北道に乗ってから、俄然雨脚が強くなり、車線ラインもよく見えない中を走り続けます。なるほど、これなら通行止めもやむを得ないかなと納得です。
くたくたになりながら会津の実家に着いたのは10時。
なんと8時間30分もかかってしまいました。
翌日の5月4日も雨模様。
実家の庭のスノーフレークが雨に濡れて美しかった。

姉夫婦と妹夫婦とともにお墓参りにでかけ、そのあと、以前に出かけたことのある喜多方の雄国農園「百日紅館」で昼食。

奇跡的に飯豊山を望むことが出来ました。
ここの蕎麦はなかなか美味しく、さすがに連休中とあってかなりの人出です。
そんなに宣伝をしているわけでもないので口コミの客がほとんどなのでしょうが、にぎわっている様を見るのは嬉しいものでした。
夕方、晩禱のDVDを、みんなに無理矢理見せます。
合唱をやっている姪が真剣に聴いてくれたのに感動しました。
夜には従兄夫婦も訪ねてきて、みんなで楽しく食事をしましたが、その折にも晩禱のDVDの話題が出て、なんと従兄夫婦にも見てもらうことに。
この演奏を巡る数々のいきさつを説明したところ、従兄は大変感動してくれ、私もありがたさで目頭が熱くなったところです。
さて、5月5日は晴れる予報でしたが、残念ながら午前中は雨がち。
本来なら付近山に登る予定にしていたのに、これでは仕方がありません。
昨晩、久しぶりに飲み過ぎたこともあって、午前中ぼーっとしていたら、昼前から天気はぐんぐん快復してきました。
実家の庭の八重ヤマブキが陽の光に映えて輝いています。

これは、今では珍しくなってしまったニホンタンポポ。

お天気が快復し、気持も穏やかになっているところです。
一昨日、雨の中を出かけたのですが、覚悟はしていたものの、ひどい渋滞と豪雨による東北道の通行止めで、たどり着くまでに疲れ果ててしまいました。
午前中に出ると渋滞がひどいのではないかと思い、午後1時30過ぎに自宅を出たところ、江北までの首都高環状線が大渋滞。
それも反対車線の事故見渋滞だったので、さすがに腹立たしい限りです!
さらに、東北道の佐野藤岡I.C.から栃木I.C.までの間が、雨により渋滞しているとの表示があってさすがに唖然としました。
通行止めになるほどの雨とはどんなものなのかと思いつつ、もしかすればその辺りにつく頃には解除になるかもしれないと高を括って向かいましたが、これは甘い考えでした。
羽生P.A.でもう一度確認し、佐野藤岡I.C.で高速道路から降りるための渋滞が5km、所要時間が100分などということです。
やむを得ず、一つ手前の館林で降りることにしましたが、ここでもやはり渋滞。
一般道に出て栃木I.C.に向かおうとしたのですが、なんとナビは館林で高速に乗れと指示。
呆れながら無視して走ることにしましたが、ナビがあてにならないのでさすがに参りました。
ナビのないときにはちゃんと地図を持っていったのに、ナビがあることで中途で降りる可能性のない栃木や埼玉の地図などは用意もしなかったので、S.A.などに置いてある高速道路地図を見ながら見当をつけて走ります。
ようやく栃木I.C.付近までたどり着き、念のため家内に頼み携帯電話で東北道の状況を調べてみたところ、通行止めの区間が宇都宮I.C.まで延びているとのこと。
しかし、ナビではその情報が反映されていません。栃木I.C.で高速道路に乗れと指示します。
どちらが正しいのだろうかと悩みましたが、大事を取って宇都宮I.C.まで行くことにしました。
ナビの指示を無視しながら走り、やっとの思いで宇都宮I.C.たどり着くと、やはり佐野藤岡I.C.と宇都宮I.C.の間が通行止めになっています。
ナビのいう通りに栃木I.C.に向かわなくて良かったと安堵しました。
東北道に乗ってから、俄然雨脚が強くなり、車線ラインもよく見えない中を走り続けます。なるほど、これなら通行止めもやむを得ないかなと納得です。
くたくたになりながら会津の実家に着いたのは10時。
なんと8時間30分もかかってしまいました。
翌日の5月4日も雨模様。
実家の庭のスノーフレークが雨に濡れて美しかった。

姉夫婦と妹夫婦とともにお墓参りにでかけ、そのあと、以前に出かけたことのある喜多方の雄国農園「百日紅館」で昼食。

奇跡的に飯豊山を望むことが出来ました。
ここの蕎麦はなかなか美味しく、さすがに連休中とあってかなりの人出です。
そんなに宣伝をしているわけでもないので口コミの客がほとんどなのでしょうが、にぎわっている様を見るのは嬉しいものでした。
夕方、晩禱のDVDを、みんなに無理矢理見せます。
合唱をやっている姪が真剣に聴いてくれたのに感動しました。
夜には従兄夫婦も訪ねてきて、みんなで楽しく食事をしましたが、その折にも晩禱のDVDの話題が出て、なんと従兄夫婦にも見てもらうことに。
この演奏を巡る数々のいきさつを説明したところ、従兄は大変感動してくれ、私もありがたさで目頭が熱くなったところです。
さて、5月5日は晴れる予報でしたが、残念ながら午前中は雨がち。
本来なら付近山に登る予定にしていたのに、これでは仕方がありません。
昨晩、久しぶりに飲み過ぎたこともあって、午前中ぼーっとしていたら、昼前から天気はぐんぐん快復してきました。
実家の庭の八重ヤマブキが陽の光に映えて輝いています。

これは、今では珍しくなってしまったニホンタンポポ。

お天気が快復し、気持も穏やかになっているところです。
樋口一葉、生誕140年。 [日記]
5月1日はメーデー。
私が労働運動に血道をあげていた頃(四半世紀以上前)は、職場を休んで参加したものですが、現在、連合は休日に集会などの行事を実施するようになりました。
それでも全労連など非連合系の団体は5月1日に開催しているようですね。
確かに、平日、まとまった労働者が同時に休暇を取得すれば、ある意味での同盟罷業に近いものになるわけですから、連合の行き方も、現在ではやむを得ないところでしょう。
そんなこともあって、当時は総評を中心として「『5月1日』を国民の休日に!」などというスローガンを掲げたものでしたが。
それはともかく、5月1日・2日を休めば、週休二日の会社は9連休となるので、さぞかし電車も空いていていつもの慢性的な遅延もなかろうと高を括っていたところですがさにあらず。
子供たちは学校に行き、通勤電車はきちんと混んでいて、案の定、電車も遅延しました。
少しはまとまった休みをとって観光でもし、消費に貢献したらどうなのだろう、などと思ってしまいますね。
尤もそんなことを書いている私自身も暦通りの出勤ですから、下手なことはいえないのですが(^_^;
先程、日付が変わって5月2日になりました。
今日は樋口一葉の生誕140年に当たる日なのだそうです。

1872年5月2日に生まれ、1896年11月23日にわずか24歳の若さで肺結核により亡くなった一葉。
しかしその短い生涯の、とりわけ最後の1年余りの間に生み出された作品は、正しく日本文学史上に燦然と輝く傑作ぞろいであったと私は思っています。
その中でも私はとりわけ「にごりえ」が大好きで、それを題材に取った文章を、以前このブログでも書きました。
「にごりえ」を読んで
改めて読み返してみましたが、うーん、やはり生硬な文章です(^_^;
他では、「大つごもり」「十三夜」「ゆく雲」「裏紫」などが好みです。
そのほか、「琴の音」の、流れるように美しい文章を読むと、ああ、短編小説を読む悦びとは斯くの如きものであるかと、ため息をついてしまいますね。何よりもこんなに短い文章でこれだけの世界を描き出す筆力には、心底から驚嘆させられます。
それから特筆すべきは彼女の日記と書簡集でしょうか。
何れも素晴らしく、殊に書簡集は手紙を書く際の手本にもなりそうなほど端正できちんとしたものでした。
それでも、時折、泉鏡花などに甘えてみたりといった20代前半の女性の心根が綴られていて、思わず頬が緩んでしまいます。
ところで、一葉の文章は文語体で書かれているため、現代の人はそのままでは読めないのではないか、という話をよく聞きます。
確かに文語文には間違いありませんが、中学校とか高校で習った程度の古文の知識があれば、特に読み下すのに問題があるとは思えません。源氏物語のようなものとは違うのですから。
例えば、先にあげた「琴の音」の冒頭。
どうでしょう、すーっと読めてしまいませんか?
「玉の緒」をどう解釈するか、という点はあるのかもしれませんが、あまり深く考えず、式子内親王の歌「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」から「命」あたりを連想すれば足りるのではないかと考えますし。
是非とも文語文の持つ、優美でリズミカルな韻律を楽しんでほしいものだなと、老婆心ながら思う次第です。
私が労働運動に血道をあげていた頃(四半世紀以上前)は、職場を休んで参加したものですが、現在、連合は休日に集会などの行事を実施するようになりました。
それでも全労連など非連合系の団体は5月1日に開催しているようですね。
確かに、平日、まとまった労働者が同時に休暇を取得すれば、ある意味での同盟罷業に近いものになるわけですから、連合の行き方も、現在ではやむを得ないところでしょう。
そんなこともあって、当時は総評を中心として「『5月1日』を国民の休日に!」などというスローガンを掲げたものでしたが。
それはともかく、5月1日・2日を休めば、週休二日の会社は9連休となるので、さぞかし電車も空いていていつもの慢性的な遅延もなかろうと高を括っていたところですがさにあらず。
子供たちは学校に行き、通勤電車はきちんと混んでいて、案の定、電車も遅延しました。
少しはまとまった休みをとって観光でもし、消費に貢献したらどうなのだろう、などと思ってしまいますね。
尤もそんなことを書いている私自身も暦通りの出勤ですから、下手なことはいえないのですが(^_^;
先程、日付が変わって5月2日になりました。
今日は樋口一葉の生誕140年に当たる日なのだそうです。

1872年5月2日に生まれ、1896年11月23日にわずか24歳の若さで肺結核により亡くなった一葉。
しかしその短い生涯の、とりわけ最後の1年余りの間に生み出された作品は、正しく日本文学史上に燦然と輝く傑作ぞろいであったと私は思っています。
その中でも私はとりわけ「にごりえ」が大好きで、それを題材に取った文章を、以前このブログでも書きました。
「にごりえ」を読んで
改めて読み返してみましたが、うーん、やはり生硬な文章です(^_^;
他では、「大つごもり」「十三夜」「ゆく雲」「裏紫」などが好みです。
そのほか、「琴の音」の、流れるように美しい文章を読むと、ああ、短編小説を読む悦びとは斯くの如きものであるかと、ため息をついてしまいますね。何よりもこんなに短い文章でこれだけの世界を描き出す筆力には、心底から驚嘆させられます。
それから特筆すべきは彼女の日記と書簡集でしょうか。
何れも素晴らしく、殊に書簡集は手紙を書く際の手本にもなりそうなほど端正できちんとしたものでした。
それでも、時折、泉鏡花などに甘えてみたりといった20代前半の女性の心根が綴られていて、思わず頬が緩んでしまいます。
ところで、一葉の文章は文語体で書かれているため、現代の人はそのままでは読めないのではないか、という話をよく聞きます。
確かに文語文には間違いありませんが、中学校とか高校で習った程度の古文の知識があれば、特に読み下すのに問題があるとは思えません。源氏物語のようなものとは違うのですから。
例えば、先にあげた「琴の音」の冒頭。
空に月日のかはる光りなく、春さく花のゝどけさは浮世万人おなじかるべきを、梢のあらし此処((ここ))にばかり騒ぐか、あはれ罪なき身ひとつを枝葉ちりちりの不運に、むごや十四年が春秋を雨にうたれ風にふかれ、わづかに残る玉の緒の我れとくやしき境界にたゞよふ子あり。
どうでしょう、すーっと読めてしまいませんか?
「玉の緒」をどう解釈するか、という点はあるのかもしれませんが、あまり深く考えず、式子内親王の歌「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」から「命」あたりを連想すれば足りるのではないかと考えますし。
是非とも文語文の持つ、優美でリズミカルな韻律を楽しんでほしいものだなと、老婆心ながら思う次第です。
春岳沢を遡行してきました(久しぶりの沢登り) [山登り]
今日は大型連休前半の最終日。
残念ながら厚い雲が張り出してきています。
それでも、昨日・一昨日と久しぶりに良い天気でしたから、この三連休は気持よく過ごせた方も多かったのではないでしょうか。
後半の連休は会津に帰省する予定としているので、前半はちょっと骨休めということにして、昨日、久しぶりに沢登りに行ってきました。
行く先は、春が長けてきたので、東丹沢の蓑毛から大山に突き上げる金目川支流の春岳沢(はるたけざわ)に。
なんともいい加減な態度ですが、初夏のような陽気ということですし、盛夏になると藪も厳しくなると思われますので、妥当なところかな、と思います(^_^;)
流域の短い沢ですから遡行時間も余りかからないと思われたので、なんと山登りとしては反則に近い8時30分過ぎに自宅を出ました。
小田急線の秦野に着いたのは10時15分過ぎ。10時30分に蓑毛行きのバスに乗り、11時過ぎに蓑毛到着。
穏やかな天気に誘われてか、自転車のツーリングの人たちがたくさんいて、バスはそれを追い抜くわけにもいかず、ゆっくり走ります。
自転車も、そんな状況にありながら歩道に上がることなくきちんと車道を走っているので、まあ、速度は出せませんが、自転車もバスもなかなか見上げたものだと感じました。
蓑毛のバス停には、自転車やバイクの人たちでごった返しています。
この時刻ですから、山に登る人はほんのわずかで、蓑毛裏参道を右に分けると、ヤビツ峠に向かう登山道にほとんど登山者は見かけません。
11時10分に出発。
春岳沢を左に見ながらだらだら登っていくと、堰堤で春岳沢を横切り、「髭僧ノ滝」分岐の道標に到着。

道標に導かれながら「髭僧ノ滝」方面に向かいます。
途中で山吹の花に出会いました。

左に滝を巻き登る踏み跡を分け、右の斜面を降りて「髭僧ノ滝」の下に到着。11時55分。

「髭僧ノ滝」は豊富な水を落としていました。
ここまでのアプローチはサンダルでしたので、ここで沢靴に履き替え、ハーネスやスリング、クイックドロー、下降器などの装備を身につけていると、若いカップルが滝見に登って来ました。
写真などを撮ったら降りるのだろうと思っていたら、女性の方はすぐに降りてきましたが、男性はまだ写真を撮ったり眺めたりしています。
邪魔をしても申し訳ないので、しばらく待っていましたが、カメラを下ろしたのを機に、ヘルメットを被りすみませんと挨拶をして登攀開始。
髭僧ノ滝は二段10mで、下段の左壁を登ります。水量が多いところが厳しいのですが、下段はホールドもスタンスも豊富で、出だしから7mくらいまでは快適に登れました。
ところが一段目の落ち口にあと一歩のところでホールドが乏しくなり、水流も厳しいため、確実に立ちこめるスタンスが確保できません。いくら気温は高めとはいえ、この時期の水はやはり冷たく、水流の中でホールドしている手の方も冷たさで痺れてきました。また、思った以上に水苔がついていてぬめっており細かいホールドで無理をすると滑ってしまいそうです。
ようやく落ち口近くに少し利くカチホールドを見つけ、這い上がりました。
しかし、上段の方がさらに水量が多い上、ぬめり具合も厳しく、左壁沿いに直登するのは危なさそうです。
高さは2m程度なのですが、ここで滑落すると、間違いなく一段目の下まで転落し、ただではすまないことでしょう。
やむを得ず、水流を跨いで右壁に移り側壁を強引に這い上がりました。
落ち口から覗く二段目の滝の様子です。

くわばらくわばらですね(^^;
モミジ谷を左にわけると小滝が連続します。

小滝とナメを楽しく越えていくと、5m程度の三条の滝に出合いました。
左壁を登りますが、相変わらずぬめっていてホールドも細かく水量も豊かなので、緊張しつつも楽しめました。
さらに小滝が続きますが、3〜4m程度の滝の連続で、濡れるのを厭わなければ水流沿いを楽しく登っていけます。

因に今回は当然沢靴を履いています。

久しぶりですが、結構フェルトのフリクションも利いています。
特にこのようなナメでは大変有効ですね。

さらに小滝が連続します。



いずれも楽しく越えていきますが、あまり人が入っていないせいか、水苔でぬめって滑りやすく、しかも倒木も邪魔をしていて結構煩わしく感ぜられました。
高さはいずれもせいぜい4m程度といったところですが、中には、ホールドに乏しくスタンスも水流に圧されて足をすくわれそうになるちょっと嫌らしい滝もあります。
まあ、仮に落ちても数mですから深刻な怪我をするようなことはないと思いますが、久しぶりの沢登りゆえ慎重に登りました。
しばらく行くと、2段8mくらいのちょっとねじれた滝に出合います。
右壁から取り付きましたが、二段目の倒木がうるさかった(^^;

この滝を越えると、またもや連瀑帯です。



連瀑帯の先に2段10mほどの傾斜の緩やかな滝がかかっていました。

この辺りまでくると、多少水苔も洗い流されるようで、閃緑岩の美しい岩床が見られます。

やがて、沢は広がってきて、枝沢が複雑に入り組んだ四俣のような地形の台地に出ました。
振り返る見る沢筋は春の若葉に満ちていて、輝くほどの美しさです。

ここに「水源の森林 神奈川県」の標柱があり、試しに流れを掬って飲んだところ、ほんのり甘く冷たく美味しい水でした。

スミレの花の群落があり、ウグイスやキビタキがさえずっている声が聞こえてきます。

春岳沢の本流は左側に滝をかけていますが、この水源を横切る立派な仕事道があったので、これを右に辿ってみることにしました。

沢靴から長靴に履き替えます。

ところどころ崩壊している部分もありますが、仕事道ゆえはっきりした踏み跡であり、快適な道が続いていました。

鹿の防護柵を二カ所越えると、大山表参道と裏参道との合流点に飛び出しました。

良く手入れされた蓑毛裏参道をぶらぶらと下っていくと、左側に眺望が開けます。

下社や日向薬師への分岐を過ぎたあたりで石像を見かけましたが、いずれも首がありません。

恐らく廃仏毀釈の被害を受けたものでしょう。首のあたりに石が乗っている姿が何とも無惨です。
浅間山から高取山を越え善波峠に至る大山南尾根から右に蓑毛方面に降ります。
途中で何本かの林道を横断し、朝登ってきたヤビツ峠に向かう道に降りつきました。
八重桜がこちらでも満開です。

シャガの花も咲いていました。

蓑毛に着くと、折よく秦野駅往きのバスが停車中。
走って乗り込むとすぐに出発で、これは助かりました。
暖かな春の陽射しを浴びながら秦野駅に向かうと、そのまま相模大野行きの急行に乗り、16時過ぎには自宅に帰り着きました。
先日の市房山登山の一週間後ですが、そのおり筋肉痛はあったものの膝も足首も概ね快復している様子でしたので、久しぶりに沢登りに出かけてみたところです。
春岳沢は流域の短い沢ですし、技術的に難しいところはない上、アプローチも便利なので、前々から遡行してみたいと狙っていた沢でした。
思った通り、誠に快適な沢です。
イタツミ尾根までの詰め上がりをめざすのであれば最後に藪漕ぎを覚悟せねばなりませんが、水源林からの仕事道を使えば、楽勝で戻ってこられます。
参考までに、汚い手書きではありますが、私の書いた遡行図を掲載します。

注意すべきは髭僧ノ滝の滝の登攀でしょう。
高さは10mくらいですが、水量豊かな立派な滝で、出だしが容易なので気軽に取り付くと、上部で行き詰まります。
途中にハーケンなどの支点はなかったと思いますので、カムを使うなどして安全を確保しつつ登った方が良いと思われます。
グレードは体感的にですが3級上というところでしょうか。
あまり岩になれていない方が登るのであれば、フリーソロで登ることの出来るベテランが同行して、きちんと確保しなければ危ないと考えます。
この滝さえ登れば、後は何とでもなりましょう。
私は全ての滝を登ろうと最初から考えてたので、パンツも含めてびしょぬれになりましたが、右岸には水源林に向かうためと思われる踏み跡がところどころ見られましたし、顕著なゴルジュもないので、膝より上を濡らしたくない向きは、小さく高巻きながら遡行することも可能だと思われます。
髭僧ノ滝の上から水源森林の標柱まではだいたい一時間くらいの遡行時間でしょうか。アプローチと下山も含め3時間30分くらいで、登山口である蓑毛まで戻って来れます。
東丹沢にあるこんなに便利な沢なのに、この日、沢筋では誰にも会いませんでした。まさにこの沢を独り占め、という気分です。
恐らく、昼前という、山登りとしては些か不謹慎な時間帯に入ったことが功を奏したのではないかと思われますが、先行者が存在していたような形跡もありませんでしから、そもそも人がそれほど入っていないのではないかとも感じられました。
そうであるとするのなら、ちょっともったいない話ですね。
休日ともなるといつもかなり込み合う葛葉川本谷とか水無川や四十八瀬川流域の沢との明暗がくっきりです。
ご興味のある向きは一度登ってみられては如何でしょうか。
参考タイム(伊閣蝶単独)
蓑毛バス停11:10 → 髭僧ノ滝分岐11:45 → 髭僧ノ滝11:55 → 髭僧ノ滝上部12:15 →
二段8m滝12:55 → 水源森林の標柱13:20 → 大山参道14:05 → 蓑毛14:46
残念ながら厚い雲が張り出してきています。
それでも、昨日・一昨日と久しぶりに良い天気でしたから、この三連休は気持よく過ごせた方も多かったのではないでしょうか。
後半の連休は会津に帰省する予定としているので、前半はちょっと骨休めということにして、昨日、久しぶりに沢登りに行ってきました。
行く先は、春が長けてきたので、東丹沢の蓑毛から大山に突き上げる金目川支流の春岳沢(はるたけざわ)に。
なんともいい加減な態度ですが、初夏のような陽気ということですし、盛夏になると藪も厳しくなると思われますので、妥当なところかな、と思います(^_^;)
流域の短い沢ですから遡行時間も余りかからないと思われたので、なんと山登りとしては反則に近い8時30分過ぎに自宅を出ました。
小田急線の秦野に着いたのは10時15分過ぎ。10時30分に蓑毛行きのバスに乗り、11時過ぎに蓑毛到着。
穏やかな天気に誘われてか、自転車のツーリングの人たちがたくさんいて、バスはそれを追い抜くわけにもいかず、ゆっくり走ります。
自転車も、そんな状況にありながら歩道に上がることなくきちんと車道を走っているので、まあ、速度は出せませんが、自転車もバスもなかなか見上げたものだと感じました。
蓑毛のバス停には、自転車やバイクの人たちでごった返しています。
この時刻ですから、山に登る人はほんのわずかで、蓑毛裏参道を右に分けると、ヤビツ峠に向かう登山道にほとんど登山者は見かけません。
11時10分に出発。
春岳沢を左に見ながらだらだら登っていくと、堰堤で春岳沢を横切り、「髭僧ノ滝」分岐の道標に到着。

道標に導かれながら「髭僧ノ滝」方面に向かいます。
途中で山吹の花に出会いました。

左に滝を巻き登る踏み跡を分け、右の斜面を降りて「髭僧ノ滝」の下に到着。11時55分。

「髭僧ノ滝」は豊富な水を落としていました。
ここまでのアプローチはサンダルでしたので、ここで沢靴に履き替え、ハーネスやスリング、クイックドロー、下降器などの装備を身につけていると、若いカップルが滝見に登って来ました。
写真などを撮ったら降りるのだろうと思っていたら、女性の方はすぐに降りてきましたが、男性はまだ写真を撮ったり眺めたりしています。
邪魔をしても申し訳ないので、しばらく待っていましたが、カメラを下ろしたのを機に、ヘルメットを被りすみませんと挨拶をして登攀開始。
髭僧ノ滝は二段10mで、下段の左壁を登ります。水量が多いところが厳しいのですが、下段はホールドもスタンスも豊富で、出だしから7mくらいまでは快適に登れました。
ところが一段目の落ち口にあと一歩のところでホールドが乏しくなり、水流も厳しいため、確実に立ちこめるスタンスが確保できません。いくら気温は高めとはいえ、この時期の水はやはり冷たく、水流の中でホールドしている手の方も冷たさで痺れてきました。また、思った以上に水苔がついていてぬめっており細かいホールドで無理をすると滑ってしまいそうです。
ようやく落ち口近くに少し利くカチホールドを見つけ、這い上がりました。
しかし、上段の方がさらに水量が多い上、ぬめり具合も厳しく、左壁沿いに直登するのは危なさそうです。
高さは2m程度なのですが、ここで滑落すると、間違いなく一段目の下まで転落し、ただではすまないことでしょう。
やむを得ず、水流を跨いで右壁に移り側壁を強引に這い上がりました。
落ち口から覗く二段目の滝の様子です。

くわばらくわばらですね(^^;
モミジ谷を左にわけると小滝が連続します。

小滝とナメを楽しく越えていくと、5m程度の三条の滝に出合いました。

左壁を登りますが、相変わらずぬめっていてホールドも細かく水量も豊かなので、緊張しつつも楽しめました。
さらに小滝が続きますが、3〜4m程度の滝の連続で、濡れるのを厭わなければ水流沿いを楽しく登っていけます。

因に今回は当然沢靴を履いています。

久しぶりですが、結構フェルトのフリクションも利いています。
特にこのようなナメでは大変有効ですね。

さらに小滝が連続します。



いずれも楽しく越えていきますが、あまり人が入っていないせいか、水苔でぬめって滑りやすく、しかも倒木も邪魔をしていて結構煩わしく感ぜられました。
高さはいずれもせいぜい4m程度といったところですが、中には、ホールドに乏しくスタンスも水流に圧されて足をすくわれそうになるちょっと嫌らしい滝もあります。
まあ、仮に落ちても数mですから深刻な怪我をするようなことはないと思いますが、久しぶりの沢登りゆえ慎重に登りました。
しばらく行くと、2段8mくらいのちょっとねじれた滝に出合います。
右壁から取り付きましたが、二段目の倒木がうるさかった(^^;

この滝を越えると、またもや連瀑帯です。



連瀑帯の先に2段10mほどの傾斜の緩やかな滝がかかっていました。

この辺りまでくると、多少水苔も洗い流されるようで、閃緑岩の美しい岩床が見られます。

やがて、沢は広がってきて、枝沢が複雑に入り組んだ四俣のような地形の台地に出ました。
振り返る見る沢筋は春の若葉に満ちていて、輝くほどの美しさです。

ここに「水源の森林 神奈川県」の標柱があり、試しに流れを掬って飲んだところ、ほんのり甘く冷たく美味しい水でした。

スミレの花の群落があり、ウグイスやキビタキがさえずっている声が聞こえてきます。

春岳沢の本流は左側に滝をかけていますが、この水源を横切る立派な仕事道があったので、これを右に辿ってみることにしました。

沢靴から長靴に履き替えます。

ところどころ崩壊している部分もありますが、仕事道ゆえはっきりした踏み跡であり、快適な道が続いていました。

鹿の防護柵を二カ所越えると、大山表参道と裏参道との合流点に飛び出しました。

良く手入れされた蓑毛裏参道をぶらぶらと下っていくと、左側に眺望が開けます。

下社や日向薬師への分岐を過ぎたあたりで石像を見かけましたが、いずれも首がありません。

恐らく廃仏毀釈の被害を受けたものでしょう。首のあたりに石が乗っている姿が何とも無惨です。
浅間山から高取山を越え善波峠に至る大山南尾根から右に蓑毛方面に降ります。
途中で何本かの林道を横断し、朝登ってきたヤビツ峠に向かう道に降りつきました。
八重桜がこちらでも満開です。

シャガの花も咲いていました。

蓑毛に着くと、折よく秦野駅往きのバスが停車中。
走って乗り込むとすぐに出発で、これは助かりました。
暖かな春の陽射しを浴びながら秦野駅に向かうと、そのまま相模大野行きの急行に乗り、16時過ぎには自宅に帰り着きました。
先日の市房山登山の一週間後ですが、そのおり筋肉痛はあったものの膝も足首も概ね快復している様子でしたので、久しぶりに沢登りに出かけてみたところです。
春岳沢は流域の短い沢ですし、技術的に難しいところはない上、アプローチも便利なので、前々から遡行してみたいと狙っていた沢でした。
思った通り、誠に快適な沢です。
イタツミ尾根までの詰め上がりをめざすのであれば最後に藪漕ぎを覚悟せねばなりませんが、水源林からの仕事道を使えば、楽勝で戻ってこられます。
参考までに、汚い手書きではありますが、私の書いた遡行図を掲載します。
注意すべきは髭僧ノ滝の滝の登攀でしょう。
高さは10mくらいですが、水量豊かな立派な滝で、出だしが容易なので気軽に取り付くと、上部で行き詰まります。
途中にハーケンなどの支点はなかったと思いますので、カムを使うなどして安全を確保しつつ登った方が良いと思われます。
グレードは体感的にですが3級上というところでしょうか。
あまり岩になれていない方が登るのであれば、フリーソロで登ることの出来るベテランが同行して、きちんと確保しなければ危ないと考えます。
この滝さえ登れば、後は何とでもなりましょう。
私は全ての滝を登ろうと最初から考えてたので、パンツも含めてびしょぬれになりましたが、右岸には水源林に向かうためと思われる踏み跡がところどころ見られましたし、顕著なゴルジュもないので、膝より上を濡らしたくない向きは、小さく高巻きながら遡行することも可能だと思われます。
髭僧ノ滝の上から水源森林の標柱まではだいたい一時間くらいの遡行時間でしょうか。アプローチと下山も含め3時間30分くらいで、登山口である蓑毛まで戻って来れます。
東丹沢にあるこんなに便利な沢なのに、この日、沢筋では誰にも会いませんでした。まさにこの沢を独り占め、という気分です。
恐らく、昼前という、山登りとしては些か不謹慎な時間帯に入ったことが功を奏したのではないかと思われますが、先行者が存在していたような形跡もありませんでしから、そもそも人がそれほど入っていないのではないかとも感じられました。
そうであるとするのなら、ちょっともったいない話ですね。
休日ともなるといつもかなり込み合う葛葉川本谷とか水無川や四十八瀬川流域の沢との明暗がくっきりです。
ご興味のある向きは一度登ってみられては如何でしょうか。
参考タイム(伊閣蝶単独)
蓑毛バス停11:10 → 髭僧ノ滝分岐11:45 → 髭僧ノ滝11:55 → 髭僧ノ滝上部12:15 →
二段8m滝12:55 → 水源森林の標柱13:20 → 大山参道14:05 → 蓑毛14:46
歯の治療 [日記]
今日は朝から小雨の降るぐずついた天気になりました。
この時期のお天気は誠に不安定で、晴れ間も二日と続かない感じがします。
それでも昨日は爽快な晴天となり、日比谷公園でもツツジやハナミズキが花を付け始めていました。
サツキ

オオムラサキツツジ

ハナミズキ

まだ蕾もたくさんあるので、暫くは楽しめそうですね。
さて、先日、「4年ぶりの歯の治療」などという記事を書きましたが、本日、ようやく歯の治療の第一段階が終わりましたのでご報告いたします。
4月11日に、まず歯石の除去を行いました。
放っておいた割にはそれほどひどい状況にはなっていなかったようですが、やはり歯ブラシなどの届きにくいところは歯茎の中にまで溜まっていて、それを掘り出すのにちょっと苦労しました。
その頑固なヤツを手作業で取るときはさすがに閉口しましたが(いや、もちろん口は開けたままです)、そのほかはそれほど沁みたり痛みを感じたりはしませんでした。
ずいぶん治療器の改善が進んでいるのだな、というのが実感です。
4月18日、いよいよ欠けている左奥歯の治療が始まりました。
最初はクラウンを被せる、という話だったのですが、奥歯そのものは意外にしっかりしているようなので、詰めもので対処可能とのこと。これにはさすがに安堵しました。
歯を削るために麻酔をかける必要があり、これまでの経験から、その麻酔注射こそが最も痛いという認識でしたから、もうドキドキものです。
ところが今は、その周辺にまず麻酔薬を含ませているのであろう脱脂綿を詰めて、前準備をするのですね。
胃カメラを飲んだりするときに麻酔薬を口に含みますが、そんな感じなのでしょうか。
これのおかげで、麻酔注射の痛みはだいぶ緩和されるようです(それでももちろん痛みはありますが)。
しかし、親知らず近辺という顎の骨の厚い部分が対象なので、やっぱり麻酔薬は効きづらく、歯を削り始めるとやはり沁みたり痛みが走ったりします。
その都度、麻酔薬を追加注射するので、これはちょっときついところですね。
しかし、十数年前の親知らずの治療の時に味わったような痛みからすれば物の数ではなく、こちらの方もだいぶ技術が進んでいるのだな、というのが実感です。
近頃「痛くない歯の治療」を売り物にする歯科医が増えてきているということですが、なるほどと実感しました。
削った後で型を取り、それを元に詰め物を作るとのことで、それまでは仮の詰め物をしてもらいます。
しかし、これが結構心もとないもので、爪楊枝かなんかでひっかけたら取れそうな感じがしました。
まあ、そうはいっても翌週までの我慢なのですが。
ということで、本日、4月26日の夕方、出来上がった詰め物を入れてもらいました。
詰めた後に、研磨機などで微調整を施し、第一段階の治療は無事終了。
右下の奥歯については、マウスピースを使って少し様子を見ようということになりました。
マウスピースによって、歯の欠けがこれ以上進まないのであれば、クラウンを被せなくてもいいかもしれない、とのこと。
右下の奥歯を治すためには、詰めものでは却って被害が大きくなる可能性があるため、クラウンにせざるを得なくなりますから、もしも治まれば儲けものというところでしょう。
そのあと、マウスピース用の型を取って、本日の治療は終了。
マウスピースは連休明けに出来てくるとのことですから、出来てきましたら、その折にまたご報告いたしたいと思います。
いずれにしても、現段階ではあまり大ごとになっていないので、ホッと一安心というところです。
この時期のお天気は誠に不安定で、晴れ間も二日と続かない感じがします。
それでも昨日は爽快な晴天となり、日比谷公園でもツツジやハナミズキが花を付け始めていました。
サツキ

オオムラサキツツジ

ハナミズキ

まだ蕾もたくさんあるので、暫くは楽しめそうですね。
さて、先日、「4年ぶりの歯の治療」などという記事を書きましたが、本日、ようやく歯の治療の第一段階が終わりましたのでご報告いたします。
4月11日に、まず歯石の除去を行いました。
放っておいた割にはそれほどひどい状況にはなっていなかったようですが、やはり歯ブラシなどの届きにくいところは歯茎の中にまで溜まっていて、それを掘り出すのにちょっと苦労しました。
その頑固なヤツを手作業で取るときはさすがに閉口しましたが(いや、もちろん口は開けたままです)、そのほかはそれほど沁みたり痛みを感じたりはしませんでした。
ずいぶん治療器の改善が進んでいるのだな、というのが実感です。
4月18日、いよいよ欠けている左奥歯の治療が始まりました。
最初はクラウンを被せる、という話だったのですが、奥歯そのものは意外にしっかりしているようなので、詰めもので対処可能とのこと。これにはさすがに安堵しました。
歯を削るために麻酔をかける必要があり、これまでの経験から、その麻酔注射こそが最も痛いという認識でしたから、もうドキドキものです。
ところが今は、その周辺にまず麻酔薬を含ませているのであろう脱脂綿を詰めて、前準備をするのですね。
胃カメラを飲んだりするときに麻酔薬を口に含みますが、そんな感じなのでしょうか。
これのおかげで、麻酔注射の痛みはだいぶ緩和されるようです(それでももちろん痛みはありますが)。
しかし、親知らず近辺という顎の骨の厚い部分が対象なので、やっぱり麻酔薬は効きづらく、歯を削り始めるとやはり沁みたり痛みが走ったりします。
その都度、麻酔薬を追加注射するので、これはちょっときついところですね。
しかし、十数年前の親知らずの治療の時に味わったような痛みからすれば物の数ではなく、こちらの方もだいぶ技術が進んでいるのだな、というのが実感です。
近頃「痛くない歯の治療」を売り物にする歯科医が増えてきているということですが、なるほどと実感しました。
削った後で型を取り、それを元に詰め物を作るとのことで、それまでは仮の詰め物をしてもらいます。
しかし、これが結構心もとないもので、爪楊枝かなんかでひっかけたら取れそうな感じがしました。
まあ、そうはいっても翌週までの我慢なのですが。
ということで、本日、4月26日の夕方、出来上がった詰め物を入れてもらいました。
詰めた後に、研磨機などで微調整を施し、第一段階の治療は無事終了。
右下の奥歯については、マウスピースを使って少し様子を見ようということになりました。
マウスピースによって、歯の欠けがこれ以上進まないのであれば、クラウンを被せなくてもいいかもしれない、とのこと。
右下の奥歯を治すためには、詰めものでは却って被害が大きくなる可能性があるため、クラウンにせざるを得なくなりますから、もしも治まれば儲けものというところでしょう。
そのあと、マウスピース用の型を取って、本日の治療は終了。
マウスピースは連休明けに出来てくるとのことですから、出来てきましたら、その折にまたご報告いたしたいと思います。
いずれにしても、現段階ではあまり大ごとになっていないので、ホッと一安心というところです。
アリルイヤ合唱団「晩禱」全曲演奏会のDVDとCDが来ました! [音楽]
今日は久しぶりの晴天になりました。
首都圏では六日ぶりの晴れ間とのことです。
やはりお天気がいいと嬉しくなりますね。
昼間、日比谷公園に出かけたら、八重桜とシャガの花が盛りを迎えていました。
八重桜

シャガ

どちらも大好きな花なので、ちょっと嬉しい気分の散歩となったところです。
夕方からは雲が出てきて、20時を回る頃、雷を伴って激しい雨が降りました。
どうもなかなか天気が安定する気配はなさそうです。
昨日、2月26日に演奏した「晩禱」のDVDとCDが到着しました!
この二カ月、今か今かと待ちかねていたので、昨日は喜びのあまり早速再生。
自分たちの演奏している姿をこうして見るのは格別のものがあります。
それでも、こんなに待ち遠しく思ったのは久しぶりのことで、2007年5月に演奏した三木稔作曲の「レクイエム(混声改訂版)」初演以来ではないかと思います。
私自身、これまでに独唱や独奏を含め結構たくさんの演奏会や発表会に出演する機会があって、その都度、その演奏のCDやビデオなどが作られましたが、届いたその折に聴いてあとはそのまま、というケースがほとんどでした。
まあ、冷静に考えれてみればそれも当然のことで、他日を期してより良い演奏を成し遂げようと反省しながら自らの演奏をチェックするという目的以外に、繰り返し聴くような気にはとてもなれないということでしょう。
純粋にその曲の演奏を楽しむのであれば、当然しかるべき演奏家のレコードやCDを聴きたいところですし。
しかし、この「晩禱」はきっと何度も聴くことになるだろうなと思います。
帰省の折などを利用して、身内の連中にも無理矢理聴かそうと画策もしているところです。
アマチュア合唱団によるラフマニノフの「晩禱」全曲演奏、それも最後の演奏会に不思議な縁で参加できたという感激が、未だに私の心を熱くしているからなのかもしれません。
その意味では、三木先生のレクイエム混声改訂版の初演、と通低する部分もあるのでしょうね。
しかしそれ以上に、この演奏が私にとって大きな意味を持ち得ている理由があります。
それは、本番演奏の報告記事でも触れましたが、当日聴きに来てくれた職場の同僚とご子息を通じ、音楽の持つ力と無限の可能性について、改めて感じ入ったことに他なりません。
私は「自閉症」の具体的な特徴などに関し、それまで全く認識したことがありませんでした。
この演奏会に自閉的傾向のあるご子息と一緒に聴きに来てくれた同僚と、その後もそのことについてたくさんの話をしましたが、如何に自分が無知であったかを痛感しております。
そもそも「自閉症」という言葉自体が間違っている。彼らは決して、「自ら」心を「閉ざして」などいません。
生真面目で正直で、自分を偽らない純粋な人たちなのです。その意味では自分の心を包み隠さずあけっぴろげに開いている、むしろ「自開」というべきなのではないかとも思われました。
そのため、場の空気を読んだり人の顔色をうかがったりすることで成り立つコミュニケーション行為が苦手ということなのでしょう。
自分の想いや感情を、言葉などで相手方にうまく伝えられないことから、「知恵遅れ」みたいな誤解を受けることもあるそうですが、特に「アスペルガー症候群(高機能自閉症)」の中には並外れた集中力をもつ天才肌の人もいて、むしろ知的レベルは相当に高度な例もあります。
要はそれを我々のような凡人にきちんと伝えられないから大変なのではないでしょうか。
我々日本人は、とりわけ相手の心中を忖度するとか場の空気や雰囲気を読んで発言するなどという行為が尊重されがちなのですが、考えてみればこれは確かに曖昧で、それぞれにある種の負担を強いている嫌いがないわけでもないと思われます(この書き方も大変曖昧ですね)。
その意味ではお互いに不自由なものを感じているはずなのですが、それに対する負担よりも、自分の想いなどを直截的にぶつけることによって生ずる衝突や葛藤への対処の方がより多くのエネルギーを必要とせざるを得ないため、お互いの距離を計りながら上手に世の中を泳いでいく能力が珍重されるということなのかもしれません。
私は、(もともとが怠け者ということもありますが)あることに対して徹底的に集中して取り組むということが苦手で、特に仕事においては周囲にうまく合わせながらも適当に手を抜いてあまり頑張らないようにする傾向が強く自分ながらに内心忸怩たるものを感じております。
そうすることによってあまり敵を作らないようにしてきましたが、そういう生き方は組織の中で泳いで行くのにはいいのでしょうけれども、所詮大した結果も残せず泡沫(うたかた)のように生まれて消えていくだけの存在に終わることでしょう。
自閉症の方は、自分の興味の向くことに対して、それこそ飽きることを知らずに取り組む傾向が強いのだそうです。
私のような飽きっぽく辛抱の足らない人間からすれば驚異的な努力に見えますが、つまり、彼らにとってそれは「努力」などではないということなのかもしれません。努力というのは、嫌なことを無理してやることにほかならないのですからね。
先に書いたような社会の中で自閉症の方が自立して生きていくためには、恐らく様々な困難を伴うことでしょう。
同僚も、そのことに関してはやはり胸を痛めている様子でした。
しかし、ご子息の通っている武蔵野東学園の素晴らしい取り組みにより、ありのままを受け入れて共に前を向いて歩いていこうと考えているそうです。
武蔵野東学園のサイトがありますので、よろしければご覧ください。
武蔵野東学園へようこそ
同僚は、私のような怠け者とは違って大変優秀で仕事もバリバリこなす上、バスケットを趣味とし各地のマラソン大会にも出場する屈強なアスリートでもありますが、読書も良くし音楽をこよなく愛する、正に文武両道を地で行く逸材です。
しかし、私が最も感心するのは彼の人間としての器の大きさにほかなりません。
その懐の深い優しさは、もしかするとこの東学園との出会いによってさらに磨きをかけられたのかもしれないなと、勝手ながら私は感じています。
先日の我々の「晩禱」全曲演奏会で、ご子息が最後まで身じろぎもせずに演奏に聴き入ってくれたことに、私は言葉にならないほど感激しましたが、同僚がそのことを友人の方に話したところ、大要次のようなことを語ってくれたそうです。
「○○君は、きっとその場で演奏された『晩禱』を通してラフマニノフや神様と直接に通じあったのだろう。アリルイヤ合唱団による『晩禱』の最後の全曲演奏というイベントと演奏者の想いがそれを引きよせ、ピュアな彼の心に響いたのかもしれない」
この言葉を聞いた時には、さすがに胸に込み上げてくるものを抗うことができませんでした。
私もいくつかの演奏の折に、ほんの数えるほどですが、何者かが天空から降りてきて、自分でも信じられないような演奏(誰かが私の中から音を引き出してくれるような)ができた経験があります。
ご子息はクラシック音楽が大好きで、ピアノも弾き(指導者から「とても素直で良い音を出す」と評価されているとのこと)、しかも和音を聞いただけでその調性がわかるほど音楽に対して鋭敏な感性を持っているとのことですから、音楽の神様が降りてくる確率は断然高いのかもしれません。
彼は、東学園で充実した日々を過ごしているほか、お父さんと一緒にマラソン大会にも出場するなど、積極的に様々な活動に取り組んでいるとのことで、とても良い親子関係を築いている姿に羨望すら感じている次第です。
何よりも私のような無知な人間の蒙を啓き、人間の本質的でピュアな美しさを実感させてくれたことに、心の底からの感謝をささげたいと思います。
そんなわけで、この「晩禱」のDVDとCDは、私の大切な宝物となりました。
改めて聴き返すと、所々に演奏の傷が散見されますが、これからも大切に聴いていきたいと思います。
(註)「自閉症」という表現について、先にも書きましたが心を閉ざしているかのごとき誤解を与える虞があるので、同僚はこれを「自へい症」と書き、「閉ざす」という字を用いないようにしているそうです。
私もこの意見には賛成なので、表記をそのようにしようかとも思いましたが、混乱を避けるために今回は敢えて一般に流布している漢字の方を使いました。念のため申し添えます。
首都圏では六日ぶりの晴れ間とのことです。
やはりお天気がいいと嬉しくなりますね。
昼間、日比谷公園に出かけたら、八重桜とシャガの花が盛りを迎えていました。
八重桜

シャガ

どちらも大好きな花なので、ちょっと嬉しい気分の散歩となったところです。
夕方からは雲が出てきて、20時を回る頃、雷を伴って激しい雨が降りました。
どうもなかなか天気が安定する気配はなさそうです。
この二カ月、今か今かと待ちかねていたので、昨日は喜びのあまり早速再生。
自分たちの演奏している姿をこうして見るのは格別のものがあります。
それでも、こんなに待ち遠しく思ったのは久しぶりのことで、2007年5月に演奏した三木稔作曲の「レクイエム(混声改訂版)」初演以来ではないかと思います。
私自身、これまでに独唱や独奏を含め結構たくさんの演奏会や発表会に出演する機会があって、その都度、その演奏のCDやビデオなどが作られましたが、届いたその折に聴いてあとはそのまま、というケースがほとんどでした。
まあ、冷静に考えれてみればそれも当然のことで、他日を期してより良い演奏を成し遂げようと反省しながら自らの演奏をチェックするという目的以外に、繰り返し聴くような気にはとてもなれないということでしょう。
純粋にその曲の演奏を楽しむのであれば、当然しかるべき演奏家のレコードやCDを聴きたいところですし。
しかし、この「晩禱」はきっと何度も聴くことになるだろうなと思います。
帰省の折などを利用して、身内の連中にも無理矢理聴かそうと画策もしているところです。
アマチュア合唱団によるラフマニノフの「晩禱」全曲演奏、それも最後の演奏会に不思議な縁で参加できたという感激が、未だに私の心を熱くしているからなのかもしれません。
その意味では、三木先生のレクイエム混声改訂版の初演、と通低する部分もあるのでしょうね。
しかしそれ以上に、この演奏が私にとって大きな意味を持ち得ている理由があります。
それは、本番演奏の報告記事でも触れましたが、当日聴きに来てくれた職場の同僚とご子息を通じ、音楽の持つ力と無限の可能性について、改めて感じ入ったことに他なりません。
私は「自閉症」の具体的な特徴などに関し、それまで全く認識したことがありませんでした。
この演奏会に自閉的傾向のあるご子息と一緒に聴きに来てくれた同僚と、その後もそのことについてたくさんの話をしましたが、如何に自分が無知であったかを痛感しております。
そもそも「自閉症」という言葉自体が間違っている。彼らは決して、「自ら」心を「閉ざして」などいません。
生真面目で正直で、自分を偽らない純粋な人たちなのです。その意味では自分の心を包み隠さずあけっぴろげに開いている、むしろ「自開」というべきなのではないかとも思われました。
そのため、場の空気を読んだり人の顔色をうかがったりすることで成り立つコミュニケーション行為が苦手ということなのでしょう。
自分の想いや感情を、言葉などで相手方にうまく伝えられないことから、「知恵遅れ」みたいな誤解を受けることもあるそうですが、特に「アスペルガー症候群(高機能自閉症)」の中には並外れた集中力をもつ天才肌の人もいて、むしろ知的レベルは相当に高度な例もあります。
要はそれを我々のような凡人にきちんと伝えられないから大変なのではないでしょうか。
我々日本人は、とりわけ相手の心中を忖度するとか場の空気や雰囲気を読んで発言するなどという行為が尊重されがちなのですが、考えてみればこれは確かに曖昧で、それぞれにある種の負担を強いている嫌いがないわけでもないと思われます(この書き方も大変曖昧ですね)。
その意味ではお互いに不自由なものを感じているはずなのですが、それに対する負担よりも、自分の想いなどを直截的にぶつけることによって生ずる衝突や葛藤への対処の方がより多くのエネルギーを必要とせざるを得ないため、お互いの距離を計りながら上手に世の中を泳いでいく能力が珍重されるということなのかもしれません。
私は、(もともとが怠け者ということもありますが)あることに対して徹底的に集中して取り組むということが苦手で、特に仕事においては周囲にうまく合わせながらも適当に手を抜いてあまり頑張らないようにする傾向が強く自分ながらに内心忸怩たるものを感じております。
そうすることによってあまり敵を作らないようにしてきましたが、そういう生き方は組織の中で泳いで行くのにはいいのでしょうけれども、所詮大した結果も残せず泡沫(うたかた)のように生まれて消えていくだけの存在に終わることでしょう。
自閉症の方は、自分の興味の向くことに対して、それこそ飽きることを知らずに取り組む傾向が強いのだそうです。
私のような飽きっぽく辛抱の足らない人間からすれば驚異的な努力に見えますが、つまり、彼らにとってそれは「努力」などではないということなのかもしれません。努力というのは、嫌なことを無理してやることにほかならないのですからね。
先に書いたような社会の中で自閉症の方が自立して生きていくためには、恐らく様々な困難を伴うことでしょう。
同僚も、そのことに関してはやはり胸を痛めている様子でした。
しかし、ご子息の通っている武蔵野東学園の素晴らしい取り組みにより、ありのままを受け入れて共に前を向いて歩いていこうと考えているそうです。
武蔵野東学園のサイトがありますので、よろしければご覧ください。
武蔵野東学園へようこそ
同僚は、私のような怠け者とは違って大変優秀で仕事もバリバリこなす上、バスケットを趣味とし各地のマラソン大会にも出場する屈強なアスリートでもありますが、読書も良くし音楽をこよなく愛する、正に文武両道を地で行く逸材です。
しかし、私が最も感心するのは彼の人間としての器の大きさにほかなりません。
その懐の深い優しさは、もしかするとこの東学園との出会いによってさらに磨きをかけられたのかもしれないなと、勝手ながら私は感じています。
先日の我々の「晩禱」全曲演奏会で、ご子息が最後まで身じろぎもせずに演奏に聴き入ってくれたことに、私は言葉にならないほど感激しましたが、同僚がそのことを友人の方に話したところ、大要次のようなことを語ってくれたそうです。
「○○君は、きっとその場で演奏された『晩禱』を通してラフマニノフや神様と直接に通じあったのだろう。アリルイヤ合唱団による『晩禱』の最後の全曲演奏というイベントと演奏者の想いがそれを引きよせ、ピュアな彼の心に響いたのかもしれない」
この言葉を聞いた時には、さすがに胸に込み上げてくるものを抗うことができませんでした。
私もいくつかの演奏の折に、ほんの数えるほどですが、何者かが天空から降りてきて、自分でも信じられないような演奏(誰かが私の中から音を引き出してくれるような)ができた経験があります。
ご子息はクラシック音楽が大好きで、ピアノも弾き(指導者から「とても素直で良い音を出す」と評価されているとのこと)、しかも和音を聞いただけでその調性がわかるほど音楽に対して鋭敏な感性を持っているとのことですから、音楽の神様が降りてくる確率は断然高いのかもしれません。
彼は、東学園で充実した日々を過ごしているほか、お父さんと一緒にマラソン大会にも出場するなど、積極的に様々な活動に取り組んでいるとのことで、とても良い親子関係を築いている姿に羨望すら感じている次第です。
何よりも私のような無知な人間の蒙を啓き、人間の本質的でピュアな美しさを実感させてくれたことに、心の底からの感謝をささげたいと思います。
そんなわけで、この「晩禱」のDVDとCDは、私の大切な宝物となりました。
改めて聴き返すと、所々に演奏の傷が散見されますが、これからも大切に聴いていきたいと思います。
(註)「自閉症」という表現について、先にも書きましたが心を閉ざしているかのごとき誤解を与える虞があるので、同僚はこれを「自へい症」と書き、「閉ざす」という字を用いないようにしているそうです。
私もこの意見には賛成なので、表記をそのようにしようかとも思いましたが、混乱を避けるために今回は敢えて一般に流布している漢字の方を使いました。念のため申し添えます。
市房山に登ってきました。 [山登り]
雨の肌寒い日になりました。
この時期の雨は「穀雨」といって、植物の成長を促す恵みの雨なのだそうです。
それでも、やっぱり雨の日は鬱陶しいものに変わりはありませんね。
終末、予定通り、熊本と宮崎の県境に聳える市房山(標高1722m)に登ってきました。
熊本勤務時代の先輩が定年退職を迎えられ、当時、一緒に山登りをしていたメンバーから「定年退職記念山行」のお誘いを頂いたからです。
市房山には忘れられぬ思い出があります。
もう10年以上前のこと、熊本に転勤して間もない頃、球磨川支流の祓川を遡行して市房山に至ったのですが、山頂で日没を迎え、暗闇の中を降りてきて、市房神社のU字溝にハマって転倒し、しかも道まで間違えるというスカタンをやらかしたのでした。
そんな事情もあって、今回のような再来の機会が与えられたのは思いがけなくも嬉しいことでありました。
登山口を10時過ぎに出発。
信仰の山ということもあり、市房神社までの参道には、杉などの巨木が林立しています。

人と対比してみると、その大きさがわかりましょう。
その根が張り出した参道の両脇に、こうした巨木が、人間どもを睥睨するかのように枝を伸ばして立っていました。

緩やかな参道を登っていくと、市房神社に到着します。

ここから先が登山道ということになり、この辺りの標高は800mくらいですから、標高差は1000m弱というところ。
所要時間は2時間強というところでしょうが、今日は盛大な低気圧がやってくる大荒れの天気が予測されていますので、時間には余裕をみて、山頂までは2時間30分くらいを目途に考えることにしました。
天候の状況やメンバーの体調を考慮に入れ、場合によっては途中で撤退することも想定し、登り始めます。
市房神社までは誰でも歩ける参道ですが、そこから上は急登が続き、途中には梯子なども掛けられています。

雨が間断なく降っていましたが、時折、風によって雲が払われ下界の眺望が開けます。
7合目くらいまでは、かなり傾斜のきつい登りが続きますが、稜線に出ると少し緩やかになります。
しかし、今度はまともに低気圧の接近に伴う南からの強風を受けることになり、雨脚も強まってかなり厳しい登りとなりました。
ふと斜面をみると、鹿の親子がびっくりしたような顔でこちらを眺めています。

辺りにはコバイケイソウの若葉が出始めていました。

8合目を越え、9合目に差し掛かるころから、風は俄然強烈に吹き荒れるようになり、しばしば足を止めて耐風姿勢を取らなければならなくなりました。
厳しい場合は途中での退却もあり、と考えていたのですが、頂上は間近ですので、誰も「降りよう」とは言いだしません。
これは、下山後に叱られるかもしれないなと思いつつ登り、待望の市房山山頂に到着。

12時30分でしたから、まあ概ね予定通りのコースタイムというところでしょう。
悪天候を鑑みれば、上出来だと思います。
暫くしてメンバー全員が登ってきました。
予想通り、風雨の吹き荒れる真っ白けの世界で、南九州の名だたる山のほとんどを見ることができる絶好の眺望も、当然のことながら得ることはできません。
とてもじっとしていられるような状況ではないので、みんなで記念写真を撮ると、とにかく風の治まる場所まで下山することにしました。
以前、指導票も含めて登山道の整備をした、心見の橋から二つ岩方面への縦走路は、台風などによって登山道が崩壊し、危険なので通行禁止になっているようです。
せっかく整備したのに残念無念です。
下山を開始し、9合目を過ぎたあたりのちょっとしたくぼ地で、取り敢えず昼食にします。
風雨には晒されていますが、山頂に比べればはるかに楽なので、とにかく熱量の元を取りましょう。
しかし、やはりじっとしていると凍えてしまうくらいの寒さです。
こうした折に震えが来るのは、体がそうやって熱量を作り出そうとしているからなので、震えが来るうちは大丈夫。
食事を終えて歩きだし、稜線から離れるに従って風は多少弱まってきました。
登るときにそれと気づきつつも写真を撮る余裕のなかったアケボノツツジの写真を撮影。

悪天であることと、私の撮影技術が稚拙であるがゆえにこんな情けない風情になってしまいましたが、この時期、樹の高い位置に桃色の見事な花をつけるアケボノツツジの姿は誠に神々しいほどの美しさだと、私は思っています。
また、椿の花も残っていました。

急坂の下りは滑りやすいので慎重に降りなければなりませんが、なにせ寒いので、一刻も早く下山し、温泉に入ってビールと焼酎を飲もうと、一目散に下ります。
全員、無事に登山口まで帰りつき、厳しかったけれども山頂を踏めた充実感で、メンバーの顔には等しく満足そうな表情が浮かんでおりました。
ところで、私が山登りをする際に履く靴は、冬山やクライミングや沢登りなどの時を除き、基本的に長靴です。
今回もそうしようかなと思ったのですが、荷物をコンパクトにするため、地下足袋にしました。

地下足袋は、長靴ほどフリクションが効くわけではないのですが、何しろ軽くて蒸れずに快適ですから、これも愛用しているのです。
私と一緒に初めて山に登る人は、大抵、どうしてそんなもので登るのですかと不思議そうに訊くのですが、答えは簡単。
安くて性能が良いから、です。
それから、地下足袋はともかく、長靴ならどこでも入手可能ですからね。
その長靴も、何千円もする高級なものは却ってよくなくて、1000円くらいの普通の短長靴が一番足にフィットし歩きやすいような気がします。
そのままだと足の収まりが悪いので、私はフェルトの中敷きを使って調整をし、必要に応じて上の方をビニールテープなどで固定することもあります。
長靴は、これを履いて歩いてみればわかるのですが、普通の山道はもちろん、ちょっとした岩場や沢、湿った残雪などにおける踏破性能は誠に高く、特に泥道や水が流れている山道などを歩くときには、これほど快適な履物はありません。
地下足袋も同じく大変歩きやすくバランスも取りやすいのですが、惜しむらくは長靴ほどフリクションが効かないこと。
今回のような天気ではちょっと滑りやすくなってしまいます。
しかし、それは逆にいえば、きちんとしたフットポジションにちゃんと意識をして足を置いていくいい訓練になるわけで、怪我で暫く山から遠ざかっていた私には格好のトレーニングになりました。
と、いろいろと長靴や地下足袋の、登山における効能を述べてきましたが、もちろんこれは山歩きの基本ができている人にお勧めするものです。
足首までガードしてくれる登山靴は、あまりフットホールドのことを考えなくても歩けますから、人によってはそちらの方が楽だし安全だということも当然あり得ましょう。
重い荷物を背負いながら長靴で山に登っていくボッカや大量のギアやザイルなどの装備を背負いつつ何食わぬ顔をしながらスニーカーでルートの取付点に登っていくクライマーは、そういう登山の基本ができているから、そんないでたちでも足を痛めないのです。
そうした経験のない方が真似をするのは非常に危険だと思います。
さて、市房山キャンプ場のバンガローで、定年退職記念登山の打ち上げパーティを盛大にやった翌日、天気はようやく回復傾向になってきました。
市房ダムではカヌーを体験できるというので、せっかくだからみんなで行こうと衆議は一致。
さすがに大荒れの天気の翌日だけあって、お客は私たちのグループだけです。
私はカヌーを漕ぐのは初めての体験で、しかも泳ぎは不得手ですから若干の不安はありましたが、ライフジャケットをつけていれば何とかなるだろうと、初体験にチャレンジしました。

このダム湖に漕ぎだすのですが、ダム湖ですから当然流れもあります。
風もあるので、漕ぎだすとどうも進路が定まらず、無理矢理パドルを振り回すと回転してしまいます。

いやはや、カヌーのコントロールがこんなに難しいものだとは知りませんでした。
それでも濡れ鼠になりつつパドルを振り回していると、だんだんコツがつかめてきます。
せっかくなので流れの速い魚道付近まで行ったり、ダム湖にそそぐ小さな沢を遡ったりしてたっぷり楽しみました。
しかし、さすがに速い流れをフネの横に受けるとバランスを崩しそうになり焦りましたね。
市房ダムで鹿児島からの参加組と別れたあと、熊本城に案内してもらいました。

私が熊本に勤務していた頃の二の丸周辺とはだいぶ雰囲気が変わり、本丸御殿という壮麗な建物まで再建され、海外を含めたたくさんの観光客でにぎわっていました。
10年以上経ってしまった年月を痛感しつつ、慌ただしくも楽しかった市房山登山を終えて、日曜日の深夜に自宅へ帰りついたところです。
帰宅したら、もう午前零時に近い時刻でした。
この時期の雨は「穀雨」といって、植物の成長を促す恵みの雨なのだそうです。
それでも、やっぱり雨の日は鬱陶しいものに変わりはありませんね。
終末、予定通り、熊本と宮崎の県境に聳える市房山(標高1722m)に登ってきました。
熊本勤務時代の先輩が定年退職を迎えられ、当時、一緒に山登りをしていたメンバーから「定年退職記念山行」のお誘いを頂いたからです。
市房山には忘れられぬ思い出があります。
もう10年以上前のこと、熊本に転勤して間もない頃、球磨川支流の祓川を遡行して市房山に至ったのですが、山頂で日没を迎え、暗闇の中を降りてきて、市房神社のU字溝にハマって転倒し、しかも道まで間違えるというスカタンをやらかしたのでした。
そんな事情もあって、今回のような再来の機会が与えられたのは思いがけなくも嬉しいことでありました。
登山口を10時過ぎに出発。
信仰の山ということもあり、市房神社までの参道には、杉などの巨木が林立しています。

人と対比してみると、その大きさがわかりましょう。
その根が張り出した参道の両脇に、こうした巨木が、人間どもを睥睨するかのように枝を伸ばして立っていました。

緩やかな参道を登っていくと、市房神社に到着します。

ここから先が登山道ということになり、この辺りの標高は800mくらいですから、標高差は1000m弱というところ。
所要時間は2時間強というところでしょうが、今日は盛大な低気圧がやってくる大荒れの天気が予測されていますので、時間には余裕をみて、山頂までは2時間30分くらいを目途に考えることにしました。
天候の状況やメンバーの体調を考慮に入れ、場合によっては途中で撤退することも想定し、登り始めます。
市房神社までは誰でも歩ける参道ですが、そこから上は急登が続き、途中には梯子なども掛けられています。

雨が間断なく降っていましたが、時折、風によって雲が払われ下界の眺望が開けます。

7合目くらいまでは、かなり傾斜のきつい登りが続きますが、稜線に出ると少し緩やかになります。
しかし、今度はまともに低気圧の接近に伴う南からの強風を受けることになり、雨脚も強まってかなり厳しい登りとなりました。
ふと斜面をみると、鹿の親子がびっくりしたような顔でこちらを眺めています。

辺りにはコバイケイソウの若葉が出始めていました。

8合目を越え、9合目に差し掛かるころから、風は俄然強烈に吹き荒れるようになり、しばしば足を止めて耐風姿勢を取らなければならなくなりました。
厳しい場合は途中での退却もあり、と考えていたのですが、頂上は間近ですので、誰も「降りよう」とは言いだしません。
これは、下山後に叱られるかもしれないなと思いつつ登り、待望の市房山山頂に到着。

12時30分でしたから、まあ概ね予定通りのコースタイムというところでしょう。
悪天候を鑑みれば、上出来だと思います。
暫くしてメンバー全員が登ってきました。
予想通り、風雨の吹き荒れる真っ白けの世界で、南九州の名だたる山のほとんどを見ることができる絶好の眺望も、当然のことながら得ることはできません。
とてもじっとしていられるような状況ではないので、みんなで記念写真を撮ると、とにかく風の治まる場所まで下山することにしました。
以前、指導票も含めて登山道の整備をした、心見の橋から二つ岩方面への縦走路は、台風などによって登山道が崩壊し、危険なので通行禁止になっているようです。
せっかく整備したのに残念無念です。
下山を開始し、9合目を過ぎたあたりのちょっとしたくぼ地で、取り敢えず昼食にします。
風雨には晒されていますが、山頂に比べればはるかに楽なので、とにかく熱量の元を取りましょう。
しかし、やはりじっとしていると凍えてしまうくらいの寒さです。
こうした折に震えが来るのは、体がそうやって熱量を作り出そうとしているからなので、震えが来るうちは大丈夫。
食事を終えて歩きだし、稜線から離れるに従って風は多少弱まってきました。
登るときにそれと気づきつつも写真を撮る余裕のなかったアケボノツツジの写真を撮影。

悪天であることと、私の撮影技術が稚拙であるがゆえにこんな情けない風情になってしまいましたが、この時期、樹の高い位置に桃色の見事な花をつけるアケボノツツジの姿は誠に神々しいほどの美しさだと、私は思っています。
また、椿の花も残っていました。

急坂の下りは滑りやすいので慎重に降りなければなりませんが、なにせ寒いので、一刻も早く下山し、温泉に入ってビールと焼酎を飲もうと、一目散に下ります。
全員、無事に登山口まで帰りつき、厳しかったけれども山頂を踏めた充実感で、メンバーの顔には等しく満足そうな表情が浮かんでおりました。
ところで、私が山登りをする際に履く靴は、冬山やクライミングや沢登りなどの時を除き、基本的に長靴です。
今回もそうしようかなと思ったのですが、荷物をコンパクトにするため、地下足袋にしました。

地下足袋は、長靴ほどフリクションが効くわけではないのですが、何しろ軽くて蒸れずに快適ですから、これも愛用しているのです。
私と一緒に初めて山に登る人は、大抵、どうしてそんなもので登るのですかと不思議そうに訊くのですが、答えは簡単。
安くて性能が良いから、です。
それから、地下足袋はともかく、長靴ならどこでも入手可能ですからね。
その長靴も、何千円もする高級なものは却ってよくなくて、1000円くらいの普通の短長靴が一番足にフィットし歩きやすいような気がします。
そのままだと足の収まりが悪いので、私はフェルトの中敷きを使って調整をし、必要に応じて上の方をビニールテープなどで固定することもあります。
長靴は、これを履いて歩いてみればわかるのですが、普通の山道はもちろん、ちょっとした岩場や沢、湿った残雪などにおける踏破性能は誠に高く、特に泥道や水が流れている山道などを歩くときには、これほど快適な履物はありません。
地下足袋も同じく大変歩きやすくバランスも取りやすいのですが、惜しむらくは長靴ほどフリクションが効かないこと。
今回のような天気ではちょっと滑りやすくなってしまいます。
しかし、それは逆にいえば、きちんとしたフットポジションにちゃんと意識をして足を置いていくいい訓練になるわけで、怪我で暫く山から遠ざかっていた私には格好のトレーニングになりました。
と、いろいろと長靴や地下足袋の、登山における効能を述べてきましたが、もちろんこれは山歩きの基本ができている人にお勧めするものです。
足首までガードしてくれる登山靴は、あまりフットホールドのことを考えなくても歩けますから、人によってはそちらの方が楽だし安全だということも当然あり得ましょう。
重い荷物を背負いながら長靴で山に登っていくボッカや大量のギアやザイルなどの装備を背負いつつ何食わぬ顔をしながらスニーカーでルートの取付点に登っていくクライマーは、そういう登山の基本ができているから、そんないでたちでも足を痛めないのです。
そうした経験のない方が真似をするのは非常に危険だと思います。
さて、市房山キャンプ場のバンガローで、定年退職記念登山の打ち上げパーティを盛大にやった翌日、天気はようやく回復傾向になってきました。
市房ダムではカヌーを体験できるというので、せっかくだからみんなで行こうと衆議は一致。
さすがに大荒れの天気の翌日だけあって、お客は私たちのグループだけです。
私はカヌーを漕ぐのは初めての体験で、しかも泳ぎは不得手ですから若干の不安はありましたが、ライフジャケットをつけていれば何とかなるだろうと、初体験にチャレンジしました。

このダム湖に漕ぎだすのですが、ダム湖ですから当然流れもあります。
風もあるので、漕ぎだすとどうも進路が定まらず、無理矢理パドルを振り回すと回転してしまいます。

いやはや、カヌーのコントロールがこんなに難しいものだとは知りませんでした。
それでも濡れ鼠になりつつパドルを振り回していると、だんだんコツがつかめてきます。
せっかくなので流れの速い魚道付近まで行ったり、ダム湖にそそぐ小さな沢を遡ったりしてたっぷり楽しみました。
しかし、さすがに速い流れをフネの横に受けるとバランスを崩しそうになり焦りましたね。
市房ダムで鹿児島からの参加組と別れたあと、熊本城に案内してもらいました。

私が熊本に勤務していた頃の二の丸周辺とはだいぶ雰囲気が変わり、本丸御殿という壮麗な建物まで再建され、海外を含めたたくさんの観光客でにぎわっていました。
10年以上経ってしまった年月を痛感しつつ、慌ただしくも楽しかった市房山登山を終えて、日曜日の深夜に自宅へ帰りついたところです。
帰宅したら、もう午前零時に近い時刻でした。
前の10件 | -










