So-net無料ブログ作成

長時間労働の末の自裁 [日記]

10月も中旬となりました。
気温も低くなってきて、秋も深まった感が致します。
しかし、秋の抜けるような青空は、首都圏では縁遠く、8月下旬からこのかた、ずっとどんよりとした鬱陶しいお天気が続いています。
今週末は久しぶりに晴天が訪れるようですが、いかがでしょうか?
因に、今夜は久しぶりに美しい月が浮かんでいました。

このところこのブログの更新を怠っており、それと軌を一にするが如く皆様のブログへの訪問もおろそかになってしまいました。
記事にしたいことはあるのですが、様々な雑事に取り巻かれているうちにどうもモチベーションが上がらず、それをまとめきる気力が湧いてこないという情けない状況なのです。

さて、今年は御柱祭ということもあり、先日、実家に帰省して、小宮の御柱祭に参加してきました。
諏訪大社本社のそれとは規模も大きさもまるで異なる小規模なものですが、やはり曳行にはそれなりの労力もいり、頑張って曳いたこともあって翌日には全身が筋肉痛になってしまいました。
onbasira.jpg
私はもともと人ごみが嫌いなので、お祭りもそれほど好きなのではありませんが、実家の老父母が地域の皆様にお世話になっていることもあって、こうした行事(地域の広域清掃や道作りなども含む)には出来る限り参加しようと思っています。
実際、近所の方々には老父母の見守りをお願いしておりますので、顔つなぎやご挨拶も兼ねて、というところでしょうか。
それでも、久しぶりに同級生や知人と出会うのは嬉しいもので、参加しながら話をしていると何だか遠く離れた時間を互いに過ごしていることさえも忘れてしまいますね。
故郷というものは本当にありがたいものだとしみじみ感じています。

ところで、このブログではちょっと場違いな感もありますが、次のようなネットの記事があったので紹介します。

「残業百時間で過労死、情けない」教授書き込み

これは、電通の新入社員の女性(当時24歳)が連日の激務がもとで自殺し、月に100時間を超す長時間労働がその原因とされて労災認定が降りたことに関するものです。

長谷川教授のニューズピックスへの投稿内容は次の通り(10月7日)。
「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。更にプロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。それでも駄目なら、その会社が組織として機能していないので、転職を考えるべき。また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき」

長谷川教授は、東芝やニトリの役員など実業畑で経験を積んだ後、同大学の教授に就任された方で、恐らくそうしたご自身の経験からこういう「感想」を書き込んだのでしょう。
こうした考え方があることは事実でしょうが、これを一般論に敷衍して24歳の新入社員に要求する見識はいかがなものかと思われます。
実際、当の長谷川教授は、「言葉の選び方が乱暴だった」「自分の過去の経験のみで判断し、今の時代にその働き方が適合かの配慮が欠けていた」などとして謝罪し、前言を取り消し削除しています。

世の中には様々な痛ましいことがありますが、自死・自裁はその中でも特にやりきれないものを感じます。
亡くなった当人はもとより、残された身内・友人・知人などへの影響は計り知れないものがあり、その喪失感や絶望感は埋めようもなく深く暗いものとなることでしょう。
この教授の不用意な発言はその意味でも言語道断であり、こういう人物に学問を授けられる学生には同情を禁じ得ません。

長谷川教授は61歳だそうですから、私とほぼ同年代です。
役員にまで上り詰め、教授に就任しているのですから、まずもって世間的には相当な成功者とみてよいのでしょう。
その人が、自分がこれまで歩いてきた(厳しい)道のりを振り返って述べた感想。
敢えて嫌な言い方をしますが、同年代以上の同じような経歴の人々からは(公には口にしないだろうけれども)一定の共感を得ているような気もしています。
私はこの方のような「成功者」では決してなく、会社人間としてはむしろ落伍者だったろうとは思いますが、虚心坦懐に考えればそのメンタリティには一致する部分もなくはないのです。
20歳半ばから40歳代まで、繁忙期は月200時間以上の超過勤務が連続することもしばしばあり、閑散期ですら22時前に退社することはほとんどなかった。
独身の頃は家に帰るのが面倒になり、そのまま会社に居続け、眠るのは机に突っ伏して20分くらい、などという、今振り返れば笑ってしまうほどブラックな勤務環境だったわけです。
もちろん、残業代が全額支払われるはずもなく、8割くらいはサービス残業でしたし、また(会社の状況を鑑みれば)それも致し方ないことだと諦めていました。2割でももらえるだけラッキーだと。

どうしてそんな非人間的な労働環境に耐えることができたのか。
一番大きな理由の一つは「周囲が皆そうだったから」なのではないかと思います。
今から40年くらい前のことですから、PCはおろかワープロさえも常時使える状況にはなく、コピーなども単価が高かったことから大量の資料複写には輪転機を使い、計算は電卓や算盤、資料は基本的に手書きと清書、外向けに出す正式な文書はタイピストに頼む、という感じで、生産性も今から考えればとてつもなく低かったため、とにかく人力・人海戦術で成し遂げるしかなかった。
そんな中で一緒に頑張るわけですから、長時間労働も一体感を以てみんなで頑張れたのです。一日中一緒の時間を過ごしたのですし。
それからこれも大きなポイントですが、そういう労働環境であることを先輩から受け継ぎ教えられる中で、それに耐えられるように息抜きをする方法を身に着けていったこと。
ちょっとした空き時間を見つけて眠ることはもちろん、本を読んだり、散歩に出たりという時間を作ることができました。
当時爆発的に売れ始めたウォークマンの存在はことのほかありがたいもので、厳しい仕事の空き時間に聴くブルックナーやマーラーやブラームスにだいぶ慰められたことを思い返します。
「無能」だの「バカ」だのと面罵されたり、目の前で稟議書を破られ丸められて顔にぶつけられたり、といったパワハラも、そうした空気の中で過ごしていることによって自然と「柳に風」と受け流せるようになり、いわば不感症の極致みたいな図太い神経になっていきました。

長谷川教授のことを「言語道断」と書きながら、私自身がもうこのていたらくです。
今でも時折、前の職場の仲間などと飲むことがありますが、そういうひどい勤務環境を肴に盛り上がることも多く、つまり、「酷い状況だったけれどもお互いよく頑張ったよな」という、修羅場を生き残ってきた者たち共通の傷のなめ合い、という状況になってしまいます。
その輪の中に入りつつも、今、その職場からドロップアウトして感ずることは、あれは一種のマインドコントロールではなかったか、ということです。

常軌を逸した激務の中に身を置きつつ、お互いにそうした環境の中で頑張っているという状況の中で、いつしかそのこと自体に疑問を抱かなくなる。それどころか、自分がこれだけ頑張っているのだから業績も伸びているのだ、このプロジェクトも成功するのだ、と考える。
これはある意味ではカルト集団の考え方なのではないでしょうか。
カルト宗教を外部から見ている人たちは、「なんというひどい環境に身を置いているんだ」と考え、身内はそれ故に何とかそこから引き離そうとしますが、カルトの中に入っている人たちは、そうした外部の人間を「信仰心に欠けた真の幸福を知らない哀れな連中」とみていたりして、相互の溝の深さは絶望的に深いものがあったりします。

カルト集団と会社を同列に見るのはいかがなものかとは思いますが、信者を外の世界と隔絶し情報を遮断して一つの方向に目的を収斂させるという意味では、あまり変わりはないのではないでしょうか。
少なくとも、ドロップアウトした私のような人間から見ればそういう共通点があるように感ぜられます。
第一、これは重要なポイントですが、冷静になって振り返ってみれば極めて非効率な仕事をしていたということが問題で、さらにいえばそれに対して疑問すら抱かなかったということ。
先に、厳しい勤務環境にあっても適当に息抜きをしたりしていた、と書きましたが、それは裏を返せば集中力がしばしば途切れていたということであり、長時間労働をすることに意義があったような錯覚に陥って、自らを慰めていた、ということでもあります。
恥ずべきことであったな、としみじみと思います。

恒常的な長時間労働の解消に関しては、以前からずっと問題視されており、労使共々解決に向けた方策を見つけることに余念がないかのようにも見受けられます。
少なくとも表面上はそうでしょう。
しかし、日本の企業文化は一朝一夕に変わるものではなく、さらに手繰れば封建時代の武家社会的な滅私奉公精神にまで行きついてしまうのかもしれません。
当時の御家人たちは、そもそも決まった労働時間などというものはなく、何か事があれば全てを擲って殿様の元に駆けつけなければならなかったという話を聴いたことがあります。その意味では24時間勤務であり、たとえ自宅に帰っていたにしても四六時中拘束され続けていたのであると。

そういうメンタリティからフリーになるためにはどうすればいいのか。
こういう悲しい事件を防ぐ根本的な解決策を、国や政府や会社はもとより、個々人が自分のこととして考えていく必要があるのかなとも思います。

辛かったら降りてしまえばいい。
降りてしまった私は(別の意味での辛さももちろんありますが)ある意味ではかなり清清した気分にもなっているのです。
ただ、それを新入社員に求めることも、またかなり酷なことではあるのかもしれません。
どうしたらいいのか、やはり途方に暮れてしまいますね。
マインドコントローから如何に覚醒するか。
個人の問題ではありつつも、やはり社会全体として考えるべきなのでしょう。

nice!(16)  コメント(10)  トラックバック(0) 

nice! 16

コメント 10

のら人

この労働問題はまさに、自分も最近考えていた事であり、結論としても同様の感想です。(*^^*)
強い企業の組織力がカルトと同等、は最近時折目にします。組織力には様々な色、云わば形態があり、昔で言えば、長屋の助け合い、相互扶助による連帯感からの組織力などは素晴らしいと思います。根底に上下関係の無い対等なもの。サッカー等団体スポーツの組織力はまさにコレです。比して日本企業のものは、単に上からの圧力です。同期や周囲が強制カルトに同調してしまい、コレに馴染めなければ当然孤立します。その後の選択肢は会社を辞める、カルトに入信!(笑)、入信した振りをして会社では演じ続けプライベートを充実させる。選択肢はこの3つだけで、自殺はあり得ない事、と学校で教える事。しかし家庭環境もあり、うるさい見栄っ張りなバカ親が引き金になる事が多そうです。困ったものです。(`へ´*)ノ
by のら人 (2016-10-17 18:54) 

夏炉冬扇

あの電通が、とびっくりでした。
by 夏炉冬扇 (2016-10-17 21:50) 

tochimochi

私もかつては長時間労働が当たり前の異常な労働環境にいました。もちろんサービス残業が多かったです。ただ周りの人たちも同じような環境だったので慣らされてしまった、今考えてみればマインドコントロール状態だったのかもしれません。
それだけに長谷川教授の発言に少しは理解できます。しかし仕事をあまり理解していない新人にプロ意識を求めるのはそもそも間違っています。仕事に対する嫌悪感が募るだけでしょう。
新人に対する教育を長い時間をかけて行い、仕事に対する責任感を育てていくのが大事と考えます。
しかし今の政権はホワイトカラーエグゼンプションと称して無制限の労働時間を押しつけようとしています。さらに非正規雇用を増やして給料は押さえ込む、キャリアの蓄積も出来ない方向にしようとしています。次代を担う若者を育てようという姿勢が全くありません。どうしようもないところに進もうとしているようにしか思えません。
by tochimochi (2016-10-18 22:23) 

伊閣蝶

のら人さん、こんばんは。
仰る通り、日本古来からある相互扶助・助け合いという本来的な意味での完全な民主主義と、企業が主導する全体主義とは全く似て非なるものだと思います。
言い方は悪いのですが、結局、手当や昇進などを餌にした実利で人をつるようなもので、その中にいると感覚が麻痺していきます。組織の中で孤立することも個人的には極めて恐ろしいことですし。
しかし、少なくとも自分の命を自ら縮めるようなものではありません。
命を大切にする教育。それらの根本は自分を大切にするところから始まるのでしょう。
by 伊閣蝶 (2016-10-19 22:29) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんばんは。
電通の職場が如何に非道なものであるかは、前からいろいろと言われてきましたが、とうとう官憲が入るような事態になりました。
どのような展開になるのか、社会に与える影響も鑑みて注目すべきと思います。
by 伊閣蝶 (2016-10-19 22:31) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
やはり、同じような職場環境をご経験でしたか。
そうではないかなと感じておりました。
政府も漸く重い腰を上げたかに見えましたが、仰る通りホワイトカラーエグゼンプションのような非道な方向への議論、あの、ほとんど骨抜きともいえるような36協定をさらに悪化される方向へと議論を進めています。
日本の長時間労働が如何に非効率なものかは、OECD各国との一時間当たりの生産性の比較でも明らかになっていますが、そうした現実にも頬かむり。
若者たちには、とにかく自らを守ることを最優先に考えて欲しいと思います。
by 伊閣蝶 (2016-10-19 22:38) 

ヒロノミンV

 この問題については、自分も色々と思うところはありました。思い返せば私も、月100時間を超える環境で働いたことが2か所あり、1か所目は新規プロジェクトの立ち上げで、周囲に自分のモデルとなる様な優秀な先輩社員が多く、部署も活気にあふれていました。ゴールも明確に見えていましたし、ゴールまでのロードマップを指示してくれる優秀な管理職もいました。そこでも残業はほとんど苦になりませんでした。
 次は失敗した事業の撤退戦を強いられていた仕事です。思えば、バブル崩壊後に入社した自分は、こうした撤退戦の仕事ばかりしてきた気がしますが、そこでの月100時間の残業は本当にキツかった。結果、身体を壊して入院・休職することになってしまいました。
 僕も企業社会のカルトに片足を突っ込んでいるのですが、寝食を忘れて仕事に没頭する充実した日々も、ある意味、集団マインドコントロール状態だったのかもしれません。NHKの人気番組だったプロジェクトXでは、それこそ寝食を忘れて開発に没頭したエピソードがちりばめられていましたが、最後は過剰な脚色とヤラセにより打ち切られたことが、日本社会をある意味象徴していたのかもしれません。
by ヒロノミンV (2016-10-20 23:46) 

伊閣蝶

ヒロノミンVさん、こんばんは。
やはり、月100時間の超勤をご経験でしたか。
しかし、メンバーに恵まれた新規プロジェクトの立ち上げと、その逆の撤退戦では、その身体における負担感は全く違うのは仰る通りと思います。
私も同じような経験がありますが、具体的な達成感を得られる仕事における長時間労働は全く苦になりませんでした。
それも今振り返ってみれば、一種のマインドコントロールであったと、私も思っています。
プロジェクトXもしかりですが、チームで一つの困難な状況を打破するというのは、極めて日本的なメンタリティであり、それ故にこそ、今でも一定以上のシンパシーを感ずる人が多くおられるのかもしれません。

by 伊閣蝶 (2016-10-23 21:13) 

九子

東大卒の優秀な女子社員をこんな形で亡くしてしまうなんて、あまりにももったいない!彼女が生きていたら達成できたであろう様々な未来とその創造物が永久にゼロになってしまったことに対して、痛切に悲しみを覚えます。

心を病んでしまうと、命の重さなんてまったく耳に入らなくなります。
そうなる前に、誰かが何かの形で関わってあげられなかったものかと残念でなりません。
by 九子 (2016-11-18 21:24) 

伊閣蝶

九子さん、こんばんは。
将来のある若い命がこのような形で失われるのは誠に無念です。
私も経験がありますが、仕事に追いつめられてくると、どんどん視野が狭くなり、その仕事の先にしか目線が行かなくなってしまう。
ちょっとほかに目を移せば、その異常な世界を冷静に見ることも出来たはずなのですが、そうしたアドバイスができる人が周囲にいなかったことも悔やまれますね。
by 伊閣蝶 (2016-11-22 23:11) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0