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時代を超越する音楽と時代を感じさせる音楽のこと [音楽]

連日、冷え込みが厳しくなっています。
首都圏でも雪が降り、交通機関はほぼマヒ状態に陥りました。
月曜日、駅構内への入場制限、列車の間引き運転、駅での発車待ちなどの影響で、職場への出勤に4時間半(通常は1時間半弱)を要しました。
もちろん車内は大混雑。
ようやく乗れた列車も各停車駅で長時間の発車待ちとなり、さすがに疲れ果てました。
乗車後小一時間ほどして少し体を動かすことができたのでiPodを出し、ブルックナーの交響曲7番を聴き始めました。
そして、8番が終わるころにようやく仕事場に到着。
この二曲のトータルの演奏時間は3時間弱かかりますから、状況をご想像頂けるのではないかと思います。
ブルックナーのおかげで少し心は和みましたが、出勤だけで一日の体力の大半を使い果たしたように感じたところです。

現在、都内の雪のほとんどは消え、日陰に多少残っている程度となりました。
hikagenoyuki.jpg
しかし、天気予報によると土曜日にはまた雪が降るようです。
先日出かけた丹沢も、通勤途上で眺める限り相当量の積雪があったようで、近々時間を作って出かけてみたいなと思いました。

ブーレーズの訃報に接し、久しぶりに彼の指揮によるワグナーの「リング」を鑑賞しました。
全曲とまではいかず、「ラインの黄金」と「ワルキューレの騎行」のみではありましたが、そのクリアなサウンドに改めて瞠目した次第です。

その後、何となく思いたち、フルトヴェングラー指揮による「トリスタンとイゾルデ」を聴きました。
フラグスタートがイゾルデを歌った1952年録音の演奏で、65年近く前のものです。
直前にブーレーズの精緻な演奏で耳を洗われていたせいもあるのでしょうけれども、いつも以上に生々しく聴こえ、音だけのものであるのにもかかわらず、そこにうごめく登場人物の輪郭や情景が実体を持った重みで迫ってきました。
もちろんモノラルでありますし、音質も(デジタルリマスターとは云い条)極上とはとてもいえません。
しかし、何と云いましょうか、正しく今現在ここで演奏がなされて、その音の渦の中に自分が入り込んでしまっているという精神状態に陥ってしまったのです。
少なくとも、「65年近く前の演奏」という時代を全く感じませんでした。

無論、前出のブーレーズの「リング」も同じです。
40年という時間の隔たりは一切感じさせず、そこにワグナーの楽劇「リング」が繰り広げられている、という思いに浸らせてくれました。

「芸術は未来において完結する」

これは、小説家福永武彦が著作「草の花」の中に書いている言葉ですが、創造された作品のみならず、再現芸術である演奏においても、やはりそうした境地は存在するのだなと、改めて感じ入った次第です。

J.S.バッハやモーツァルトそしてベートーヴェンを始め、私の大好きなブラームス、ブルックナー、マーラーといった人たちは、それぞれ、17世紀・18世紀・19世紀・20世紀を生きた、その意味では「過去」の人々ですが、残された曲からは、それに接するたびに新しい発見をさせられる。まさに現代に脈々と生をつないでいる確かな存在です。
これらの曲を聴いて、それが作られた過去の時代をことさらに意識することはなく、大げさな言い方をすれば時空を超えて永遠にそびえる創造物、とさえ感ずるのです。
逆に云えば、こうした長い年月を強かに生き、かつ未来に向けてもいささかも陳腐化しないであろう作品こそが、こうして現代に生き残り私たちに音楽を聴く喜びを与え続けてくれている、ということなのでしょう。
ちょっと語弊があるかもしれませんが、例えば「モーツァルトとその時代の音楽」などというコンセプトで、同時代に活躍した作曲家(現在では一般にほぼ忘れ去られた存在)の作品を紹介する、という企画があった折、そうした作品に接すると、「なるほどモーツァルトの時代の音楽っぽいな」などというように当該時代背景などをまず考えてしまいます。音楽そのものの質ではなく、それが生み出された時代の響きという観点で受け止めてしまう。
モーツァルトの音楽が、あたかも永遠の生命を有しているかのごとく、たった今そこに存在している、という感動を以て受け止められるのに比して、何という違いかと思います。

今ではもうあまりいわれなくなった感もありますが、「懐メロ」というものがあります。
私の父は、(子供の私を音楽好きにするほどに)様々なクラシック音楽を愛好してきた人間で、それこそバロックから始まって、ドビュッシーの「海」やストラヴィンスキーの「春の祭典」まで聴いておりました。
それが、私が高校生になるころだったのではないかと思うのですが、昭和初期の歌謡曲のシリーズものLPを買い求めるようになり、懐メロばかりを聴くようになりました。
当時、40歳代の半ばを迎えた父に、どのような心境の変化があったのかはわかりませんが、恐らく自身の幼少時から青年時代に想いを馳せつつ、その当時の様相などを反映するこうした曲を聴き、その「時代」を懐かしんでいたのではないかと愚考します。
自分の若き日を懐かしむ心が、その時代を反映する懐メロにシンパシーを抱かしめる。
今思うと、そういう音楽の聴き方があっても、それはそれで良いことだろうと思うのですが(当時はかなり反発した記憶があります)。

こうした「懐メロ」を聴く感覚は、恐らく、先に述べたブーレーズの「リング」やフルトヴェングラーの「トリスタンとイゾルデ」における時代を超越した感動を求めるものとは全く逆で、むしろその同時代的意識を喚起することそのものに喜びを見出すものなのでしょう。
つまりこうした音楽を「懐メロ」として聴いている限りにおいて、そのリスナーの存在こそが「懐メロ」の存在意義なのです。それにシンパシーを感ずるリスナーがいなくなったしまった時に、同時にこうした楽曲もその命を失うことになるのではないでしょうか。

そして、それは演奏の場合でも当てはまってしまう。
ワグナーの曲を例にとれば、大好きな曲の一つに神聖舞台祝典劇「パルジファル」がありますが、私が最初にその全曲盤を購入したのは、カラヤン指揮ベルリン・フィルによる演奏でした。
全編がこれ以上ないほど完璧に彫琢され、正に光り輝くような美しい演奏で、このコンビの計り知れない実力に打ちのめされたことを思い出します。
ところが、ほどなくして、クナッパーツブッシュ&バイロイト祝祭歌劇場管による1962年の演奏に接すると、今度はその造形の巨大さと時代を超越した響きの深さに圧倒されました。
パルジファルの成長と、クリングゾルの呪いから解放されるクンドリの魂の浄化とその最期までの情景が、眼前に目くるめく展開されて大団円に至る光景がありありと浮かんできたのです。
まだ若かった私は、そのあまりの違いに打ちのめされ、それ以降、クナッパーツブッシュの大ファンになってしまいました。

50歳に近い壮年となったあるとき、久しぶりにカラヤン&BPOの「パルジファル」を聴きましたが、彫琢された美しさは感じたものの、私はそこに(自分自身の)過ぎ去った時代の面影を見たのです。それ以来、私はその演奏を耳にすることはなくなりました。
もちろん、クナッパーツブッシュ&バイロイト祝祭歌劇場管の演奏は、今でも私にとって大切な愛聴盤です。
録音年代からすればこちらの方がはるかに古いのに、今聴いても少しも時代を感じさせません。感動を以て一気に聴きとおしたときのことを鮮やかに思い出させてくれるばかりです。

芸術というものは本当に不思議なものです。「時間」という、万物の存在を統御する巨大な力を、しばしば空無化してしまうのですから。
そういう演奏を、たとえレコードやCDという媒体であろうとも所持することができる幸せ。
ありがたいことだなと改めて感じずにはいられません。

タグ:懐メロ
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類まれなアーティストの訃報 [音楽]

暖冬といわれていましたが、先週末から本格的な冷え込みが始まり、都心でも雪が舞う冬の様相となってきています。
宵の空に浮かぶ三日月が冴え冴えと美しく、零度まで下がった早朝の空気はピンと張りつめた清々しさまで感じさせてくれました。

デヴィッド・ボウイが亡くなりました。


享年69歳で、癌による闘病の末のことです。
ビートルズの解散後、様々な方向性をもったロックスターが登場してまいりましたが、その中でも極めて異彩を放つ存在で、1972年当時、一応「多感」な高校生の端くれでもあった私にも強い衝撃を与えたことを思い返しています。
尤も私個人としては、キング・クリムゾンやピンク・フロイド、ムーディ・ブルースといったプログレッシブ・ロックに血道をあげていたことから、熱心なファンというわけでは決してありませんでしたが。
むしろ、「戦場のメリークリスマス」など、映画俳優としての存在感の方が印象に残っています。
私はまだ未見ですが、ニコラス・ローグ監督の「地球に落ちてきた男」は、正にデヴィッド・ボウイのための映画というべき作品で、その魅惑的な姿を見るだけでも価値がある、という評価もあるようですね(個人的には、ジョン・フィリップスの音楽に多大なる興味があります)。
2004年に心臓疾患で倒れ、その後、第一線からは退いたと思われていた2013年に突如iTunesで配信開始、世界を驚かせ、今年1月に最新アルバムを発表。ファンを驚喜させた直後に死去。
何ともドラマティックな人生だなとため息をついてしまいましたが、やはり69歳で逝去とは残念無念です。
もっともっと活躍して欲しかった。

ピエール・ブーレーズが亡くなりました。


享年90歳。
年齢を鑑みればやむを得ないこととは思いますが、やはり大きなショックです。
指揮者としての活躍があまりに大きかったため、一般には見過ごされがちですが、いわゆる「現代音楽(しっくりこない表現ですね)」の作曲家として、メシアンなどとともに並ぶことのない大きな存在でした。
極めて厳格なトータル・セリエリズム(総音列技法)による楽曲の創造に取り組み、ピアノソナタ第2番(1950年)やストリュクチュール(構造)第1巻(1952年)などの記念碑的作品を生み出します。
そして金字塔ともいうべき「ル・マルトー・サン・メートル」が生み出され、十二音技法の将来性に対して大きな希望を見出すことにつながったのでした。
十二音技法やセリエリズムなどについての詳しい説明は省きますが、無調性つまり調の束縛からフリーになることを目指してより自由な音空間を構築しようとの試みでありました。
それを達成するために、オクターブの中に存在する12の音を一回ずつ使用しかつすべての音が出そろうまで同じ音を使ってはならないという縛りを設けます。
これは音の高さのみですが、トータル・セリエリズムでは強弱・アタックポイント・音色など音楽を形成するすべての要素において、同じような制限を設けようというわけです。
試してみればわかるのですが、これは非常に困難な作業で、しかもその中に創造者としての明らかな個性も盛り込まねばなりません。
ブーレーズと親交のあったジョン・ケージが、この行き方に疑問を持って袂を分かち、それならいっそのこと完全なる偶然性に頼った楽曲の創造(チャンス・オペレーション)に向かったのもわかるような気がします。
こうした厳格な考え方から、十二音技法の生みの親でもあるシェーンベルクに対しては、例えばウェーベルンなどに比べてロマン派的な形式をとどめていると批判し、同じような理由でバルトークなども批判的に見ていました。
そもそも、十二音技法自体がトータル・セリエリズムからみれば中途半端、と考えていたのかもしれません。
ものすごい徹底ぶりですね。

そして、こうした考え方を、指揮者となってからも踏襲したことは特筆すべきことではないかと思います。

先にも書きましたが、ブーレーズといえば、恐らくウィーン・フィル、ベルリン・フィル、ロンドン響、クリーヴランド管、ニューヨーク・フィル、シカゴ響といった一流どころのオーケストラでの指揮、バイロイト音楽祭への出演などに示される、指揮者としての活躍の方がより大きいのではないか。
ニーベルングの指輪全曲演奏とレコーディング及びビデオ化やマーラー・チクルスの完成、ウェーベルン作品の全曲録音、ラヴェルやドビュッシーやストラヴィンスキーの楽曲における積極的な解釈と演奏など、指揮者としての功績においても正に枚挙の暇がありません。
さらに、自身の楽曲をはじめとする現代音楽の演奏にも積極的に取り組み、多くの作品を紹介しました。
ブーレーズといえば、知的・精緻といった評価がただちに返ってくるのではないかと思いますが、例えば「ニーベルングの指輪」の全曲盤(ライヴ)などに接すると、バイロイト祝祭歌劇場のあの深いオーケストラピットの中からの音とはとても思えない緻密かつクリアな響きが溢れてきます。
私は、この(賛否両論のあった)パトリス・シェロー演出のニーベルングの指輪全曲盤LD(なんと「レーザーディスク」です)を所持しておりますが、演技と音楽との極めて緻密な融合には正しく舌をまく想いがしました。
フルトヴェングラー、ベーム、ショルティなどによる全曲盤のLPも当時は所持していましたし、映像ではサヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場管弦楽団によるヴィデオも持っておりましたが、これほど視覚・聴覚面で完全なる一致を見た演奏は寡聞にして知りません。
恐るべき才能と感性だと感じました。
その精緻な演奏は、この壮大な悲劇的ドラマの有する悲しみをたたえて、間然とするところがありませんでした。

今、改めて振り返ってみれば、アーティストとして文字通り稀有の存在であったと思います。

職業的な指揮者の嚆矢はハンス・フォン・ビューローではないかといわれておりますが、それ以前は作曲家がオーケストラの指揮を兼ねることがほとんどでした。
古典派以前の、オーケストラで音楽を聴くということがいわゆる特権階級の娯楽であった頃はいざ知らず、市民階級や労働者階級まで聴衆や観客の範囲が広がってくると、音楽演奏の提供に当たって、やはりそうした聴衆や観客へのアピールを考えなくてはならなくなります。
職業的な指揮者は、生み出されてくる作品を、如何にこうした相手方にわかりやすく感動的に届けるかにも腐心しなくてはなりません。
従って、作曲家でもあり指揮者でもあるアーティストは、いつしか自分の創造する作品に対してもそうした観点を取り入れ、嫌な言い方を敢えてすればその作風は折衷的で複合的な傾向、さらに敢えて言えば一種大衆迎合的な性格を帯びてくるのではないでしょうか。
ツェムリンスキー、フルトヴェングラー、クレンペラー、バーンスタインなど、指揮者として一流であった人たちが作曲した作品を聴けば、やはりそこにはそうした傾向が色濃く表れるように思われます。
その意味では、マーラーやリヒャルト・シュトラウスも例外ではありえなかったことでしょう。

しかし、例えば、ウェーバー、ベルリオーズ、ワグナーといった人々は、指揮者としても極めて斬新かつ先鋭的な表現を用いつつも聴衆を魅了する力量を示したうえ、自身の生み出す作品は常に新たな地平を見据えていて決して妥協などはしなかった。
ブーレーズは、恐らくこうした、今は途絶えてしまったかに見える真に創造的なアーティストの系譜に連なっていたのではないでしょうか。

90歳という年齢に鑑み、今回の訃報はやむを得ないこととも思いますけれども、こうしてブーレーズさんを失ってしまった後、それに続く才能が見いだせないことは、やはり無念でなりません。
無理を承知なのはわかっておりますが、やはりもっともっと長生きをして頂きたかった。
心の底からそう思います。
あの、悲しいまでの精緻な響きが、今も耳朶に蘇ってきます。

ピエール・ブーレーズ/エラート録音全集(14CD)


ル・マルトー・サン・メートル ブーレーズ&EIC


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活を入れる [山登り]

今年の年末年始のお休みは、一般的には12月29日から1月3日までの6日間と短いものでした。
私の場合、新しい職場において土曜日の出勤などが恒常的にあったことなどもあり、年始の6日までお休みをいただくことができました。
12月30日から1月2日までは帰省をしておりましたので、この、一般的な職場よりも三日長い休みはありがたく、掃除・洗濯などの家事も余裕を以てできたところです。

そんな中の一日である5日の日に、だらけきった体に活を入れるため、久しぶりに丹沢の三ノ塔に登ってきました。
昨年、二回も起こした肉離れの後遺症のほか、大腸憩室炎で入院するなどの椿事が重なり、昨年はほとんど山に登ることもできませんでしたので、自分の体の状況を知るためにも足慣らしを兼ねて登っておきたいと思ったのです。

朝ご飯の支度のついでに昼の弁当をこしらえ、既に仕事の始まっている連れ合いを送り出してから家を出ました。
ちょうど出勤時間にぶつかる時間帯であったことから、さすがに駅は混雑しておりますが、都心から離れる電車はさすがに空いています。
本来なら、あの都心に向かう満員電車に乗って仏頂面をしているはずなのに、と思うと、その空いた電車に乗れるということだけで自然に笑みがこぼれてきます。

渋沢から大倉に向かうバスもガラガラでしたが、やはり山に登る人はそこそこ乗っていました。

大倉から三ノ塔尾根を登ります。
風邪の吊り橋から、目指す三ノ塔を望みます。
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雪はなさそうですが、標高が高くなれば霜柱などがあってぬかるんでいたり凍っていたりする可能性もありますから、本日はゴム長靴で登ります。

陽射しのあるところは暖かですが、さすがに風は冷たいので、牛首まではゆっくりペースをつかみながら登りました。
牛首で、地元に住んでいるという年配の男性に声をかけられ(ここまで林道を車で来たようです)、三ノ塔までどのくらいかかるかと尋ねられました。
前にも書いたことがありますが、こういう質問が一番困ります。質問をなさる方の山の経験などが全く分からない中で答えるすべがないからです。
仕方がないので、「ゆっくり歩いて1時間30分くらいでしょう」と答えると、そんなに歩くのかと驚き、少し登ったあたりで眺めのいいところはないか、と聞きます。
三ノ塔尾根は樹林帯の中を黙々と登るので、眺望が目的であれば山頂までいかないと広がらないと答え、それでも、この時期ですから道々樹林帯の切れ目から表尾根や秦野市街方面が望めますよと答えました。
結局この御仁、5~6分程度私の後をついて登ってこられましたが、これ以上は無理とつぶやいて降りていきました。
地元にいながら三ノ塔には登ったことがない、とのことでしたから、どなたかに教えられちょっと様子見に来た、というところなのでしょう。

さて、一人に戻って、黙々と登っていきます。
三ノ塔尾根を登るのは5年ぶりくらいですが、林道工事がだいぶ進んできているようです。静かなこの尾根も、そのうちに喧騒に巻き込まれるようになるのかもしれないと思うと、なんだか暗澹たる思いにさせられました。

ふと気づくと、登山道の傍らにこんな標識がありました。
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これまでに見かけた記憶がないので、最近の設置なのでしょうか。
特に危険地帯もない三ノ塔尾根のようなルートでも、こんな標識が要るようになったのかと、ちょっと複雑な想いです。つまり、それだけこの尾根を訪れる人が増えているということなのでしょう。

頂上直下の右側に葛葉川の源頭部分が広がります。
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上部のガレ場はさらに拡大している様子です。

そこからしばらくで三ノ塔の頂上に到着。
平日なのにもかかわらず結構な人が登っていました。
三ノ塔尾根ですれ違った登山者は二人でしたので、さすがに表尾根との違いを感じたところです。
山頂から塔ノ岳を望みます。
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丹沢の山々の降雪が増すのは、西高東低の気圧配置が崩れて関東地方の太平洋側にも雪が降る一月の下旬あたりからですが、それでもこの時期に全く積雪を見ないのは珍しいことです。
以前、主稜縦走をした折には、竜が馬場で結構厳しいラッセルを経験しましたから、これは意外でした。
しかし、予想通り日陰には霜柱があり、それに陽が当たって道筋はかなりぬかるんでいます。
長靴を履いてきて正解でした。

風の冷たい山頂でも、ライトダウンを着込めば寒さも感じません。
ゆっくり昼食をとり、ヤビツ峠に向かいます。

二ノ塔から望む三ノ塔です。
santou05.jpg

お正月明けの平日なのにもかかわらず、さすがに表尾根だけのことはあります。それなりの登山者が歩いていて驚かされました。

県道70号線に降り立つと、陽がほとんど射さなくなり路面には霰が降っていて、まるで冷蔵庫の中にいるような寒さになりました。

ヤビツ峠でも、駐車場はほぼ埋まっているような状況です。
正月明けだからもしかするとヤビツ峠からでも空いているかな、などとちょっと考えたのですが、三ノ塔尾根にしてよかったと改めて思いました。

ヤビツ峠から蓑毛への下山路は、これまでと打って変わって陽射しもあり快適です。
途中でトレイルランの方が抜いていきましたが、その他の登山者には会うこともなく、蓑毛のバス停に着くとちょうど秦野行のバスの出発時刻でした。
長靴を履き替える間もなく、そのまま乗り込み、秦野からの帰りの電車も、相模大野行きの急行にちょうど間に合ったため、結局帰り道は家に着くまで長靴のままと相成った次第です。

さて、記事の題名にも致しました通り、今回の山行は、なまってしまった体にちょっと活を入れることと、現在の自分の体力がどの程度のものかを計ろうとする意図もありました。
大倉と三ノ塔との間の標高差は概ね1000mです。
これを二時間程度で登れれば、現状としては上出来の部類かなと思っており、何とかそれはクリアできました。
今回歩いた行程は概ね13kmくらいで、休憩時間(昼食時)を含めて4時間余りですから、まあまあというところでしょうか。
ただし、下りに関して云えば、ペースがかなり落ちてしまっています。
下りに必要な筋肉は普段あまり使わないことが多いので、この点は大きな反省点といえそうです。
下りを意識した日常のトレーニングもちょっと考えてみる必要があるのかもしれません。
なお、翌日になって足の筋肉などに痛みや疲労が残るかなと案じておりましたが、この点は大丈夫でした。

私は今年、恥ずかしながら還暦を迎えます。
余り焦らず、少しずつでも体を慣らしながら山登りに復帰したいと改めて思った次第です。
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明けましておめでとうございます [山登り]

暖かな2016年の年明けとなりました。
旧年中はたくさんのご愛顧を頂き、心より感謝申し上げます。
何卒本年も相変わらずのご愛顧のほど、お願い致します。

年末年始は八ヶ岳山麓の実家に帰省しておりましたが、あちらでもやはり暖冬で、入笠山方面などはほとんど雪の姿を見ませんでしたし、八ヶ岳でも、赤岳・権現岳・阿弥陀岳・横岳・硫黄岳や北八ヶ岳に冠雪はあるものの、編笠岳や西岳などに雪の姿は認められませんでした。
尤も、これらの山々は標高が低いので、余程の積雪がないと山麓から雪の姿は拝めないのですが。
それでも大晦日から元旦にかけて降雪があり、初日の出は雪景色の中でした。
2016hatuhi-1.jpg
この写真は、実家の二階からの眺めです。
この時期は富士山の左方面からの日の出となりました。

さて、前回のブログ記事で取り上げましたお気に入りの十個。
山のことを考えてみました。
これは正直に言って音楽の時よりも難題です。
山というからには、やはり頂とすべきなのでしょうが、私個人としては、その登る過程にこそ意味があるのであって、「好みの山」というくくりで山の名前を挙げるのはなかなかに厳しい。
それでもうんうんと考えながら、やはり今、刹那的に頭に浮かんだ山を無理矢理上げてみたいと思います。
  • 永田岳(屋久島
  • 三ノ沢岳
  • 毛勝山
  • 阿蘇山
  • 不動岳
  • 和名倉山
  • 丸山岳
  • 北岳
  • 鋸岳
  • 剣岳

キーボードを叩きながら、ほかの山の名前がどんどん出てきて収拾がつかなくなったので、敢えてそれによる名前の入れ替えはしません。切りがないからです。

頭に浮かんできた山のほとんどは、有り体に言えばあまり人の来ないところです(例外がありますので後述)。
永田岳や三ノ沢岳は、決して登るのに困難な山ではありませんが、主稜線から外れていて、かつ、すぐ近くに例の「百名山」があるため不遇をかこっている存在です。
しかしそれ故に、実に静かで清潔で美しい山頂が保たれています(いました)。

阿蘇山については注釈がいります。
想定しているのは、高岳の鷲ヶ峰、根子岳の天狗峰や西峰、烏帽子岳から御竈門山などの、いわゆるバリエーションルートです。
鷲ヶ峰や天狗峰・西峰などは、ルートのピッチグレードはせいぜい4級程度ですが、支点はもろく不安定で滑落は絶対に許されません。その上、空中懸垂も必要となります。
しかし、実に充実感に溢れた登攀が出来、それゆえに到達した頂の感動も大きなものでした。

毛勝山や不動岳や和名倉山や丸山岳は、その頂に達するまでの過程ももちろん重要ですが、その苦労のし甲斐のある山頂が待っていました。
鋸岳も同じような理由から挙げています。

北岳と剣岳は、告白しますと、いずれも敗退の記憶が強烈に残っているからです。
北岳バットレスを、下部フランケから中央稜を登攀した折、これはワンデイでやろうと目論みました。
夜中に広河原まで車で入り、4時前に出発。大樺沢二俣に荷物をデポして登攀開始。順調に登っていきましたが、中央稜の1ピッチをリードしていて突然、右手がうまく動かなくなり、中途で敗退。
実は、その二週間ほど前に、別の岩場で小滑落をし、右の肋骨を打撲していたのでした。恐らくそれが原因と思われますが、実に無念で、パートナーに対する申し訳なさに涙がこぼれたものです。
剣岳の方は、36年前、社会人山岳会に所属していた頃、正月山行で早月尾根から山頂を目指したのですが、天候悪化のため、平蔵小屋(当時)付近で待機。結局四日間粘った挙げ句の敗退となりました。
冬の剣岳の難しさを骨身に沁みて経験したのですが、まだ22〜3歳の駆け出しの若造には荷の重い経験だったのかもしれません。
北岳や剣岳は、百名山の中でも大人気の山ですから、私の主義としては挙げたくない気持も強かったのですが、やはり敗退の記憶をぬぐい去ることは出来ないようです。

ということで、今回のお題もやはりかなり中途半端なものになってしまいました。

私の試みは、斯様に面白みに欠けるものとなってしまいましたが、うんうんと唸りながら十個を選定するという作業自体は大変面白いのではないかと思います。
皆様も機会がございましたらお試しになっては如何でしょうか。
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