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赤プリの跡地 [日記]

朝晩はまだまだ気温は低めですが、昼には真夏日となる日が続いています。
それでも湿度が低いせいか爽やかな暑さですから、気持ちよく散歩ができますね。

私の現在の職場近くで、旧赤プリの跡地に建設されていた複合商業施設の一部が今月の10日にオープンしました。

複合市街地「東京ガーデンテラス紀尾井町」開業 - グランドプリンスホテル赤坂跡地に

毎日の出・退勤時、この建設工事に面した道路を歩いていましたから、工事で歩道が狭くなったり、頻繁に工事車両が出入りしていたりと、まあ、正直に申し上げればかなりうんざりするほど迷惑なものでしたが、こうしてあらかた整備が終わると、さすがに見ごたえがあります。

清水谷公園への階段脇から施設への歩道も整備され、昼休みの散歩がてらちょっと足を踏み入れました。

これは「赤坂プリンス クラシックハウス」です。1955年の建築物とのことで、道路近くまで移転してきました。
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園内には小さな流れがしつらえられていて、かわいらしい滝もあります。
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シャクナゲの花も満開でした。
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一部にホテルである「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」を併設するものの、ビジネスタワーや商業施設がメインとなるようですね。

先日閉館が発表されたホテルオークラもそうですが、都心の歴史ある大型ホテルが閉館され、その跡地が複合商業施設に模様替えされるのは時代の趨勢なのでしょうか。
大都市のホテル業は、そのコストに見合うだけの収益をなかなか上げにくくなっていると聞きます。
公共交通機関の利便性が飛躍的に高まってきていることもあり、例えば東京を中心に考えた時、大阪や仙台までの地域は完全に日帰り圏内となっています。
つまり、ビジネス目的であれば泊付き出張にはならない。
また、単純な観光目的ですと、高級ホテルに泊まるモチベーションもそれほど高くはならず、高級ホテルとしての一流のサービスを提供したまま価格競争に勝ち残るのは非常に困難なのでしょう。

さて、新しい職場に転職して一年が経ちました。
いろいろなことがあったはずなのに記憶は断片的で、一年間というスパンで追うことができません。
振り返ってみれば、日々の生活に追われているだけで終わってしまった、つまり日々の「ルーチン」をこなすのみの生活に汲々としていたということなのでしょう。
つまり、「千曲川旅情の歌」の上っ面のままに、昨日が今日になりそして明日になっていく、ということ。
そこには当然に未来はなく、さらに現在すらもないのかもしれない。
時間が恐るべき速度で過ぎ去り、そして過去ばかりが積みあがっていくのでしょう。

久しぶりの更新だというのに、なんだかつまらない愚痴を書いてしまいました。

新たな一年は、啻に時間を費消するだけでなく、もう少し内面的な実りを探し求めて頑張りたいと思います。
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奥会津、三島町、柳津町 [日記]

大型連休の走りとなった4月29日から5月1日まで、連れ合いの実家である会津に帰省し、義妹夫婦の案内で、奥会津の三島町と柳津町に出かけてきました。

この、只見川の流域に位置する町は、冬場は名にし負う豪雪地帯(一説では、人が常住する地域としては世界一の積雪量なのだそうです)ですし、公共交通機関も只見線くらいしかないので、足をのばすのも少し考えてしまうところがありますが、春の頃はことさら生命力に溢れて美しい風景が広がります。
こちらに方に行ってみようか、という話になったのは、義弟から、三島町にある西隆寺(宝澤山西隆寺)の三十三観音(乙女三十三観音)のことを聞いたからです。
三島町の観光協会の説明は以下の通りです。
そもそも、西隆寺が作られたことの起こりは、弘仁2年(811年)に法相宗の僧、安竹という人が聖徳太子の尊像を松竹庵に安置したことから始まります。(場所は不明)その後貞元2年(977年)「銭森長者」と呼ばれた藤原保祐 が寺沢という地に松竹庵を新築し寺に改めました。そして明応元年(1492年)会津若松の天寧寺より開山傑堂禅師から7代の天附禅師の弟子、一気正元禅師に頼んで開山し、寺の名前は「宝澤山西隆寺」と改められ、曹洞宗に変わりました。その後文化13年(1816年)に現在地に再建され、今の姿に至ります。現在は23代禅苑弘佳和尚が住職としてつとめられています。

山門は小振りです。
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境内には、石工師の鈴木マリ子・るり子姉妹の手による三十三体の観音様が安置されており、これが実に清らかに愛らしい姿なのでした。
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小高い丘には翁草が花を咲かせておりました。
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因に翁草はキンポウゲの仲間で毒草です。

本堂の形態は曲屋です。
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内部は立派な折上格天井の伽藍となっています。
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お寺の裏手にお墓があって、その中を登っていくと裏山に鬼子母神があるとのこと。
せっかくなので登ってみようということになりました。
雨上がりの滑りやすい急坂を登ります。
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最初はこんな感じの穏やかな道でしたが、そのうちにつづら折りの急坂になり、足下もかなり悪くなってきました。
急斜面をトラバース気味に登る山道は、所々が崩れていて、かなり嫌らしいもの。
私の連れ合いと義妹は早々にギブアップして、結局、義弟と二人で登りました。
20分くらい頑張って登りつめると奥の院に到着。
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標高は500メートルをちょっと超えたくらいでしょうか。
しかし、山の頂上ですので、眺望はすばらしいものがありました。
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只見川沿いに新緑と山桜の花が映えています。

山頂には立派な観音像が建っていました。
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さらにここにも三十三体の観音様が安置されています。
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足下を見るとシャクナゲの花が咲いていました。
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これはアカヤシオでしょうか。
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道が悪くしかもぬかるんでいるので、下りは登り以上に嫌らしく慎重に足を運びます。
この鬼子母神までは、お墓の先に指道標が一つあるだけで、特に何の注意書きもありません。
私も義弟も、普通のスニーカーで登りましたから、やはりかなり足下に気を遣いました。
軽登山靴くらいを履いていればあまり問題はないのかもしれませんが、普通の短靴などで登るとかなり苦労をしますし、登り詰めの20分間の急登ですから、それなりの注意喚起は必要なように思います(感覚的には長靴が一番良いような気がします)。
鬼子母神にお参りするつもりで来て、転倒や滑落などの事故に見舞われたのではシャレにもなりません。
この辺は一考の余地があるのではないでしょうか。

さて、帰り道、せっかくなので、柳津町の虚空蔵尊に参拝しました。
連れ合いと結婚した頃に義父に連れて来てもらって以来ですから、もう四半世紀近くが経っています。
境内には、大きな赤ベコがありました。
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虚空蔵尊は、さすがに連休だけあって多くの参拝客がいます。
立派な本堂ですね。
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帰りに、虚空蔵尊名物の粟饅頭を買いました。
甘いものはあまり得意ではない私ではありますが、この粟饅頭は独特の舌触りが気に入っています。

4月29日に出かけ5月1日に帰宅したので、さすがに少し慌ただしい帰省でしたが、実家のお墓参りもし、甥ともいろいろ話が出来、奥会津にも出かけたのみならず、会津坂下の立木観音にもお参りできたので、非常に充実した休暇でありました。
4月29日は、朝4時30分くらいに家を出、5月1日は午前中に実家を出たので、ありがたいことに渋滞にも掴まらず、その点でも大満足です。

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