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またまた、シン・ゴジラを観てしまいました(IMAXで) [映画]

台風10号の動きが実に不気味で、その影響もあってか、この週末は雨勝ちの肌寒い日となりました。

そんなお天気だから、というわけではもちろんないのですが、先日観た「シン・ゴジラ」をどうしてももう一度観たくて仕方がなくなり、連れ合いを口説き落として「夫婦割引(50歳以上)」を利用し、またまた出かけてしまいました。
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連れ合いにとって映画とは「楽しいもの」「美しいもの」を描き出す世界であり、残酷だったり凄惨だったり悲惨だったりするのは耐えられない!とのことで、最初は渋っていたのですが、この映画には最後に希望がある!と熱弁し、付き合わせたのです。

夫婦割引は二人で2000円。早速、ネットで予約を申し込むと、この週末からIMAXによる再上映が始まるとのこと。
追加料金は一人500円ですし、IMAXは初体験なので、躊躇することなくこちらを選びました。

もう一度観たくなった一番大きな私としての理由は、野村萬斎さんのゴジラ役。
そう思いながら観ると、血液凝固剤を経口投入されて動きを止めたゴジラの姿が何とも悲劇的に感ぜられました。
「ゴジラがかわいそうで涙が出た」というのが連れ合いの感想ですが、正に同感です。
ビキニ岩礁での水爆実験を皮切りに、核廃棄物の無秩序な海洋投棄がゴジラを生み出した要因とするのであれば、そのsin「罪」は正に人間に科せられるべきであり、人間の欲望によって生み出され人間の都合によって「駆除」されようとするゴジラは、正にその「罪」を具現化した存在なのでしょう。
「ゴジラは脅威であり、かつ希望(完全無欠な進化の可能性としての)であるのかもしれない」というセリフには、その意味での深遠なる想いが込められています。

口と尻尾の先と背びれから紫色に光る熱線を放出し、東京を破壊するゴジラの姿。
それは米軍による空爆を受けての反撃なのですが、その悲劇的かつ絶望的な攻撃が展開される夜のシーンの美しさは、IMAXの画面の描写力とも相俟って筆舌に尽くしがたいものでした。

この「シン・ゴジラ」、やはりかなりヒットしている模様ですね。
私どもが観に行った時も当然のように満席でしたし、報道でもその人気の度合いが伝わってきます。
かなりの数のレビューがネットにも掲載されていましたが、次の松江哲明さん(映画監督)のレビューは殊に納得ものでした。

松江哲明の『シン・ゴジラ』評:90年代末の“世界認識がグラグラする”映画を思い出した

また、ヤシオリ作戦の重要なキーマンでもある環境省自然環境局野生生物課の課長補佐役を演じた市川実日子さんの演技も、演技なのかドキュメンタリーなのかわからないほどの迫真力を放出させました。
その市川実日子さんをめぐる次の記事も納得です。

「シン・ゴジラ」市川実日子さん、最後のセリフに込めた複雑な思い 脇役ヒロミ人気に「TV見てる感じ…」

この役作りのための葛藤も含め、なんというかものすごい「役者魂」を感じてしまいました。

東日本大震災を体験する前と後とでは、こういう破壊によるカタストロフを描いた映画や創造作品に対する観客の感受性はかなり異なったものになっているような気がします。
前の記事でも書きましたが、私はこの映画をいわゆる怪獣映画とはどうしても感得することができませんでした。
ある意味での生々しさや切迫感があり、どこか他人事のように破壊場面を享楽的に見ていた従来の怪獣映画の破壊シーンとは決定的に違うものを感じたのです。
この映画では、愚昧かつ硬直化した行政機構や米国の属国としてしか存続できない「日本」の現状に対して、なんとその硬直化した行政機構の縦割りを無視して集まった「はみ出し者」たちが奇跡のような打開策を成功させるといった、一つの希望も描いています。
しかしその果敢な行動を実現するため、米国の許可を得たり安保理各国間の思惑を図りつつフランスを動かしたりして、熱核攻撃の「政治的な」延長工作を実施したりする場面も抜け目なく挿入されています。

動きを止めたゴジラ。
いうまでもなくこれは「解決」なのではなく、これからの新たな脅威や恐怖の始まりを描いているのではないでしょうか。
連れ合いには「最後に希望がある」などといって連れ出しておきながら、改めて観て、単なるストレートな感動だけでは終わらない「深さ」を感じてしまったわけです。

さて、二度も観に行った、ということもあり、前回では疑問に残ったいくつかの部分も自分なりに解決ができ、さらに新たな疑問や問題点なども生じています。
少なくとも、久しぶりに「もう一度劇場で観たい!」と思わせる映画であったこと、そして、もう一度観て、やはり無類の面白さであったことだけは間違いありません。
そういえば、前回観終わった後、ちょうど昼過ぎに時間帯でしたから、たまには外食をしようと思い、ラーメンを食べたのですが、今回もう一度見て、その理由がわかりました。
平泉成さんが、長引いた打ち合わせの後で、注文したラーメンを食べるとき、「あああ、伸びちゃったよ」とつぶやく。
このシーンが、里見臨時代理の人となりを如実に表しているような気がして、なんだかほっこりしたのですが、そのシーンが印象深くて、ラーメンが無性に食べたくなったのでした。
ということで、帰り道、連れ合いと二人でラーメン屋に入り、映画の感想を語り合うとともに、そんな話で盛り上がったところです。

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シン・ゴジラを観てきました [映画]

台風の影響で落ち着かないお天気が続きます。
今日も朝から台風9号の影響で風雨が強まり、11時頃から暴風雨となりました。
幸い、出勤時の電車はまともに動いていて、むしろほとんど遅れが出なかったくらいです。
もしかすると、暴風雨を計算に入れて外出を控えた人が結構いたことが要因なのかもしれません。電車遅延の理由のほとんどは人為的なものですからね。
せっかくなので、先日購入したハイパーVソールのスニーカーを履いて出勤しました。
三沢遡行の時にも実感したのですが、さすがに濡れた地面に対するグリップ力は相当の高さです。
激しく水の流れるマンホールのふたやリノリウムの床などでも全く滑ることはなく、むしろがっちりとフリクションが効くように思われました。
黒い色を選んだこともあり、出勤時に履いていてもそれほどの違和感はありません。
ただし、スニーカータイプですから、メッシュから水が浸入し、こうした激しい雨の中では靴の中は盛大に濡れます。
濡れるのが嫌な方は、先日ご紹介した防水型の靴下を穿いた方が宜しいかもしれませんね。
いずれにしても、この価格(2850円)でこの性能はなかなかのものと思います。夏の沢歩きや山歩きにも十分使用に耐えるのではないでしょうか。
ただし、濡れにはほとんど無力ですから、晩秋から冬・初春にかけての沢登りなどに使う場合はきちんとした保温対策を考えた方が良いと思います。ネオプレーン型の完全放水ソックスとの併用がお勧めです。

閑話休題

そんな中、先日、前から気になっていた映画、「シン・ゴジラ」を観てきました。
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怪獣映画ファンの私としては、やっぱり外せない映画なのです。
期待を込めて出かけ、そして、その期待以上の映画でした。
これは、いわゆる「怪獣映画」というジャンルをはるかに超えた、一つの人間群像劇としてもまれにみる傑作だと思います。

シン・ゴジラの「シン」はsin、つまり「罪」を意味しているのでしょうか。
この映画を観ながら、その「sin」の意味するところを考えもしました。

この映画は、第1作目の「ゴジラ(1954年東宝)」を嚆矢とするこれまでのゴジラ映画を全くなかったものとして企画されています。
「ゴジラ」の名前は、日本ではもちろん、海外においても知れ渡っており、これまでのゴジラ映画では、ある程度それを前提として形作られてきたのですが、この映画では、その第1作に立ち戻り、「大戸島」に伝わる伝説の荒ぶる神として、関係者は初めてその名前を認識する、という設定になっています。
従って、ゴジラ映画という一種の先入観からはフリーとなっているわけであり、初めて観る観客であっても純粋に楽しめる、というコンセプトを目指したのかもしれません。

映画自体の中身の詳細については敢えて触れませんが、先にも書きましたように、これは稀に見る傑作です。できれば是非とも「劇場」で観てほしい、と思います。
1800円を払っても観る価値はある、私はそう思いました。
本多監督による初代ゴジラ同様、本編の人間ドラマ・群像劇の部分の描写は極めて緻密かつリアリスティックであり、こうしたベースをきちんと構築することによって、特撮部分の信憑性をさらに高めている、ともいえるのではないか。
特に、人知を超えた想定外の大規模災害の発生を目の当たりにした閣僚や政府関係者の描写は、よくもここまで踏み込んで表現できたものだと舌を巻きました。

例えば、矢口蘭堂(長谷川博己)内閣官房副長官が、各省庁に巨大不明生物に対する姿勢を「捕獲」「駆除」「排除」の3ケースに分けて対策を考えてくれ、と指示を出した際、「今のってどこの役所に言ったんですか?」とその場に詰めていた各省庁の役人が問うシーンなど、「これは確かにありそうだ」と思わせます。
詰めていた役人は、閣僚会議での決定や指示事項を正確に自分の省庁の幹部に伝えて対策を立てる必要があるのであり、勝手な憶測で課題を持ち帰るわけにはいきません。それを振り分けるのは閣僚の仕事であり、役人は受けた指示に基づいて遺漏なきを期する役割しか与えられていないのですから。

また、極めて切羽詰まった状況にありながら、総理大臣(大杉漣)ですら迅速な意思決定をなし得ないという行政上の手続き面でのもたつき加減も、かなり正確に描写されていました。
独裁国家だとか、大統領といった絶対権力者を頂かない日本という国の運営の不自由さを批判的に描いているようにも見えますが、庵野監督は、こうした意思決定プロセスにおける煩瑣な手続などを全面的に否定しているわけではなく、民主主義には一定のコストが必要不可欠なのだと訴えているようにも思えます。
第3形態に進化した巨大生物への自衛隊からの攻撃を、開始直前に、踏切を横切る避難民(老母を背負った男性)の姿を認めて中止してしまうところや、総理大臣臨時代理となった里見(平泉征)が、国連安保理決議に基づく米国を中心とした多国籍軍による東京都心への熱核攻撃に備えるため国民の疎開を要請されたときの、「住民を疎開をさせるということは、その人の生活を奪うっていうことだ。簡単に言わないでほしい」とつぶやくシーンなどに、庵野監督のそうした想いが反映されているように感じ、私は不覚にも涙ぐんでしまいました。

その熱核攻撃という国連安保理の決議を知らされた時に、それまで冷静な対応を見せていた赤坂内閣総理大臣補佐官(竹之内豊)は、一瞬怒りをたぎらせますが、安保理決議の元に行われた核攻撃である以上、事態収拾後の日本の復興には国連加盟各国の強力かつ絶大なる支援が約束されるはずだと考えます。
こうした考え方をするのも閣僚であるが故のことなのでしょう。

そうした緊迫かつ混沌とした状況の中で、矢口は希望を捨てずに「ヤシオリ作戦(ゴジラの生体原子炉の冷却・凍結・機能停止)」の決行に向けて奔走します。
それを盟友でありライバルでもある泉政調副会長(松尾諭)が強力に支援し、熱核攻撃を受け入れざるを得ない立場に追い込まれた里見総理大臣臨時代理に向かって、「自国(米国)の利益のために他国(日本)の犠牲を強いるのは、覇道です」と再考を強く意見具申するシーン。
政治家として閣僚として、ある種の理想と強い決意を持った若い彼らにこそ、危機的な状況にある日本を救うことができる、そういうメッセージが込めようとしているのかもしれません。
矢口が、上役たる国土交通大臣(矢口健一)の楽観的・希望的観測に対して放つ「先の大戦では、旧日本軍の希望的観測、こうあってほしいという願望により、国民に三百万人もの犠牲者が出ました」「油断は禁物です」というセリフにも、それが垣間見られるように思われました。
そして、熱核攻撃のギリギリまでの延期のためにフランスを動かしたあと、里見臨時代理は駐日仏大使に対して深く頭を下げ続けます。
里見とて、ヒロシマ・ナガサキに続く三度目の核攻撃を日本に加えさせることは決して容認できなかったのでしょう。この描写にも、私は深く胸を打たれました。

さて、そんな重厚な映画ではありますが、ちょっとクスりとした場面ももちろんあります。
東京湾に出来した災害の原因が巨大生物であったことが明らかになった折、三人の生物学者を急遽官邸に召集するのですが、この演者が全員映画監督(犬童一心氏 、原一男氏、緒方明氏)なのです。しかも、それぞれ富野由悠季監督、宮崎駿監督、高畑勲監督のパロディ。そのうえ、全く役に立たない言説を垂れ流すというひどい設定で、総理をして「時間の無駄だった」と吐き捨てさせる。
あんまりじゃないかと思いつつ、不覚にも失笑してしまいました(本来笑えるようなシチュエーションではないのですが)。
監督の出演といえば、故岡本喜八監督が重要な役割を「演じて」おられます。岡本監督を心からリスペクトしている庵野監督の想いが、こんなところにも表れているのでしょう。

この映画には、エンドクレジットに掲載されているだけでも300人を超える俳優が出演しており、他の作品では当然に主役を張れる役者さんが1シーンだけ出演していたりしておりました。
この映画を観るに当たって、私は事前情報を調べたりせず極力潜入観念なしに対峙しようと思ったので、思いがけない役者さんの姿をスクリーンで発見し、何とも云えない感慨に浸ったものです。
というのも、この映画に出演している俳優さんたちにとって、「ゴジラ」と「庵野監督」という二つの名前は閑却すべからざる重みをもっていたように思われたからでした。
映画館で購入した「シン・ゴジラ」のパンフレットを映画を観た後で読んだのですが、主演の長谷川博己や竹之内豊も、この組み合わせに対してある種の尊崇の念すら感じさせるコメントをしています。
恐らく、この300人を超える俳優さんたちも、同じような想いを抱いてこの作品への出演を果たしたのでしょう。

そのエンドクレジットを眺めながら、あれ?この人、どのシーンで出ていたんだろう?などと首をかしげてしまうこともしばしばで、そうしているうちに、クレジットの最後で「野村萬斎」の名前が!
あれ!?萬斎さん、いったいどこに出ていたんだ?
帰宅するまで首をひねりっぱなしで、全くわかりません。
結局思い当たらず、悔しい限りでしたが帰宅してネットでググってみると、なんと「ゴジラ」役だったのでした!
ネタバレになるので詳しくは書きませんが、今回の「シン・ゴジラ」におけるゴジラは、従来の怪獣映画にありがちだった怪獣による積極的な(余り必然性を感じない)街の破壊行動には出ず、もっぱら「何かに向かって移動し(歩き)続ける」という存在でした。
海中にいた時の、オタマジャクシのような深海魚のような第1形態から、川をくねくねと遡行しつつ這い回って徐々に両生類のような第2形態に発展していき、ついにたどたどしいながらも二足歩行(第3形態)に転ずる。
そしていったん東京湾に戻り、さらにパワーアップして完全な姿(第4形態)として鎌倉沖に出現し、またもや東京都心を目指して歩き始める。
そのゴジラの動きは、ただ歩いているだけ(ゆえに「shin(=歩く)・ゴジラ」なのでしょうか)なのに、人知を超え生物の枠組みを超えた神々しささえも感じさせられました。
「スーツアクター」は誰なのだろうか?という疑問が渦巻いたのですが、私の記憶にあるスーツアクターの動きとは正に一線を画したもの。強いて云えば、第一作目の中島春雄さんの動きに近いかな、などと思っておりましたから、これが野村萬斎と知り、さすがにびっくり。
もちろんスーツアクターではなく、モーションキャプチャーだったそうですが、なるほどそうだったのかと得心がいった次第です。
しかしそうなってみると、やはりゴジラが萬斎さんだったということを承知の上で、もう一度この映画を観たくてたまらなくなりましたね。

特撮部分のことを書く余力がなくなってきました。
でも、これはここで書かない方がよろしいのかもしれません。
ものすごい映像です。まさに「筆舌に尽くしがたい」リアルな世界が展開されます。
余りに真に迫り過ぎていて、もしかしたら本当にこういうことが起こる可能性があるのではないか、と思わせるほどです。
この映画のシチュエーションには、東日本大震災と福島原発事故が色濃く反映されていると考えられますし、その意味でゴジラは原発のカリカチュアなのでしょう。
河口から遡上してくる第2形態によって押し上げられる船舶などの情景は、正に東日本大震災の津波の情景を彷彿とさせるものでした。

何だかまとまりのない感想文となってしまいましたが、最後に一つ、私としては大変印象に残ったことがあるので触れさせて頂きます。
矢口を演ずる長谷川博己は、「日本」を「にほん」と発音していました。
このことが私には大変印象深かった。
これは単なる個人的な好き嫌いの話ですが、私は「ニッポン」という発音を非常に嫌悪しているのです。
「ニッポン」という音の響きを聞くと、あの「大日本帝国」という威張りくさって調子ばかりがいい割に中身が空疎な形態を思い起こしてしまう。
だからあの「ニッポン、チャチャチャ」という応援に対しても、正直にいって吐き気を催してしまうほどの嫌悪感を抱いてしまいます(もともと「スポーツ観戦」自体、私は全く好んでおりませんが)。
日本国憲法が「にほんこくけんぽう」であることに、何ともいえない安らぎを感じてしまうのですが、これもこうした感覚に基づくものなのかもしれません。
そんなわけで、ラストで未来に向かって決意を新たにする矢口が、守るべき対象を「にほん」といってくれたことに感動したわけです。
この読み方にしたのが長谷川氏の判断なのか庵野監督の脚本がそうであったのか、それはわかりません。
しかし、このラストの重要な台詞の中で「日本」を「にほん」と発音してくれたことによって、この作品のメッセージ性が私個人には極めて明確に伝わってきました。
それは、前にも書いた、上役たる国土交通大臣の軽口を嗜める矢口の態度にも通底するもののように思われたのです。

映画のラスト。
凍結して動きを止めたゴジラの尻尾には、人のような形をした無数の「芽」が不気味に生え始めていました。
それが何を意味するのか、また、凍結したゴジラをどのように処理するのか、現在私たちが抱えている福島原発の後処理に絡めて想いを馳せるとき、そうした描写がことさら私たちの不安をかき立てるように感ぜられたのでした。


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阿賀川支流三沢遡行 [山登り]

暑い日が続きます。

連れ合いの実家である会津に帰省したおり、前々から気になっていた阿賀川流域の三沢を遡行しました。
私の実家である長野県の諏訪地方から佐久に出て、上信越道・関越道・北関東道・東北道と車を走らせて会津まで行ったので、結局この帰省では久しぶりに1000km位を運転したことになります。
幸い大きな渋滞には巻き込まれなかったので、その点は楽でしたが、やはりさすがに疲れました。

帰省の目的は、私の実家の風呂場の改修工事契約の確認・締結と、連れ合いの実家のお墓詣りと義母の実家の法要です。

私の実家は私が上京した年に建て替えたので、築40年を超えています。
そこいら中にガタがきているのは仕方のないところですが、父母も高齢となっていることから、風呂場の改修は早急に手を付ける必要がありました。
昔と異なり、今はユニットバスで対応できますから、コストパフォーマンスもかなり高く、しかも、温水を利用して、室内の暖房にも対応できるとのこと。
それらを含めると費用はそれなりにかかりますが、やむを得ない出費と腹をくくりました。
改修工事はお盆過ぎに着手し、8月中には終わるようです。
結構迅速な対応で感心しました。

家内の実家では、義母の実家の法要(伯父と祖父母)とお墓詣りが中心ですが、実家のお墓参りもこの時期の重要な行事です。
会津ではことのほか先祖を敬い供養する風潮が強く、昨年のように連れ合いの体調が思わしくなく長期間の移動が厳しいなどのやむを得ない理由を除き、お盆の墓参りは欠かしませんでした。
私も、こうした折に連れ合いの実家に帰省し、向こうの親戚と会うのは大変楽しみですので、多少距離はありますが喜んで出かけています。

さて、そんな公式の行事の合間を縫って、前々から狙っていた沢の遡行を実行に移しました。
8年前の夏に、大内宿の背後にそびえる小野岳に登ったことがあり、その折に稜線から眺めた沼尾沼の神秘な姿が強く印象に残りました。
沼尾沼を経由する登山道はかなり前に廃道となり、踏み跡すらも判然としない状況のようです。
しかし、機会があればこの沼に行ってみたい気持ちを拭い去ることができず、それ以来ずっとその機会をうかがってきたのでした。
このあたりの草深い藪を鑑みれば、登山好機は冬枯れの時期。しかし、名にし負う豪雪地帯ですから、真冬に入るのはそれなりの装備が必要です。
従って、春先の残雪期から5月の連休くらいまでの間が最も適していると考えるべきでしょう。
実際その頃に計画を立てたことがありますが、阿賀川(大川)を挟んだ大戸岳から小野岳、そして那須の方に伸びる甲子山までの一帯は、クマが頻繁に出没する地域で、鉄砲撃ち(てっぽうぶち)が腕を競ったという話も残っているところです。
従って、当然地元の親戚は大反対で、腹を空かしたクマが冬眠から覚める時期にわざわざ餌になりに行くことはないといわれました。
そんなわけで荏苒と時を過ごしておりましたが、今回の帰省では少し時間もとれそうな気配。夏であれば熊との遭遇もそれほど頻繁ではなかろうと実行に移すことにしたのです。
しかしその話を身内のみんなにしたら、「今は夏でも熊が出る」と云って、地元で調べたクマの出没マップを見せて止められました。
このマップは実によくできていて、それを見る限り、私が登ろうとしている三沢の付近はかなりのクマの出没がありそうです。
そうはいっても、私にしてみれば長年の懸案事項。とにかく無理はしないで、安全を第一に出かけるからと説き伏せました。
熊もそうだがマムシも出るからとにかく十分注意するように、とのアドバイスを頂き、抜けるような青空と猛暑の中、阿賀川流域の三沢の遡行に出かけました。

国道118号線を下郷方面に走っていき、芦ノ牧温泉を越えて小沼崎トンネルを過ぎると左に大川ダム(若郷湖)方面に下る旧道が分岐します。
この道を下ると左側に大きな駐車場があり、そこに車を置きました。
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モニュメントなどもあり、なかなか立派なスペースです。

身支度を整えて三沢方面に向かう旧道を行きます。
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「関係者以外通行禁止」と「くま出没注意」の看板がありました。
下郷町の指示を無視することになりますが、ゲートの狭い隙間をまたいで越えました(^_^;

旧道を歩いて下り、三沢を渡ると沢沿いの林道が右に分岐します。
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ここにも「関係者以外通行禁止」のゲートがありました(ただし、ゲートそのものは上がっています)。
三沢はものすごい藪が生い茂り、かつ堰堤が連続している模様なので、この林道を登って行きました。

左岸に渡り返し、さらに急坂を登っていくと堰堤上の草むらに出ます。
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ここから三沢に降りました。

ハーネス・ヘルメット・8環などを身に着け、スリングとカラビナ数枚を用意し、ザイルもすぐに出せるように準備します。
足回りは、基本は沢の遡行ながら、藪やザレや泥壁をゆくことになるだろうと想定し、いつものフェルト製沢靴ではなく、濡れた路面でもグリップが効くという謳い文句の「ハイパーVソール」のスニーカーを履きました。



さらに靴下は、濡れに強いことをこれまた謳い文句にしているDEXSHELLの防水靴下です。



これに、これまで使い続けてきた、沢用のスパッツをつけました。

以前から、フェルト靴に代わる沢用のシューズに興味があったのですが、ファイブテンのアクアステルスは価格が高いうえに、評判が良かった旧モデルの販売が中止になり、新モデルの評判は今一つらしく、キャラバンが出した「KR_3R」も価格に見合う性能なのかどうか評判が分かれているようです。
いずれにしても15000円以上の出費となるので悩んでいたところ、用途としては全く異なるのですが、先にあげた日進ゴムのハイパーVソールなら価格も安い(2850円)ので試してみる価値があるのではないかと考えた次第です。

さて、三沢に降りてみると、ほとんど人が遡行した気配はなく、沢筋は倒木や藪がかなりうるさい状況です。
大雨による増水の影響を受けたままになっているためなのでしょう、ゴーロ状の流れの中は石や岩も動きやすく、足元の注意は欠かせません。
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それでもさほど水量は多くなく、目立った大きな滝もないため、その点はありがたい限り。
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ウワバミソウやアイコ(ミヤマイラクサ)などの山菜が豊富で、最初からこれらを採集する目的で入れば相当の収穫が見込めそうです。
ただし、アイコは素手で触れると結構痛みを感じ、とげなどは刺さっていないのに、いつまでも嫌らしい痛痒さが残るので注意。茹でたり天ぷらにしたりすると全然気にならなくなるのに、本当に不思議なものです(タラの芽などもそうですが)。

ところどころにブナなどの大木があります。
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流れを遡っていくと、三段の滝に出合いました。
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下の二段は水流沿いに楽々登れましたが、最上段は完全に水草に覆われたツルツルの滝で、ホールド・スタンス共に、確実なものはほとんどありません。
手鍬とかバイルのブレードなら何とか掻き落とせるのではないかと思いますが、今回はそれらを所持しておらず、とても素手では剥がせません。
やむを得ず右岸の泥壁の草付を、シダなどをまとめてつかんで押し付けながら慎重に登って越えました。
このあたりまで来ると、沢の斜度もかなり急になっており、不用意な滑落は絶対に避けねばなりません。

沢筋に戻ってなおも遡行を続けていくと水が涸れました。
しかし、目標の沼尾沼はみあたりません。

実は今回の遡行ではいくつかの失敗をしてしまいました。
その一つは、いつもの山行の時には必ず使っていたカシオのプロトレックを実家に忘れてしまったことです。
山の中での現在位置確認のため、地形図とプロトレックを日頃使用していたため、これは致命的でした。
方位とある程度の高度がわかれば、地形図上での自分の位置を推測することができ、それ以降の行動の目標を立てることができます。
今回はそれができず、果たして沼尾沼からどれほど離れた地点に今いるのか見当がつかないのです。
一面の深い藪の中で、やみくもに歩くのは体力の消耗を促進するだけです。
それでも恐らく沼は間近だろうと藪をかき分けていくと、かすかな踏み跡を発見しました。
踏み跡とはいっても、人間のものではなく、恐らくけもの道と思われます。
しかし、獣とはいえどもある程度踏み跡として残っているということは彼らの生活に即した道であることは間違いないことでしょう。
これを使って登っていくと、果たしてちょっとした原っぱにでました。
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恐らく水があるときには彼らのヌタ場となっているのでありましょう。

しかし、いうまでもなく、ここは沼尾沼ではありません。
そこに佇みながら、少し途方にくれました。
このままやみくもに登ってあくまでも沼尾沼を目指してみるか、それとも安全を期して、今回は退却するか。
暫く考えてみましたが、いずれにしても、下るのはこの嫌らしい斜面と、ゴロゴロで不安定な沢筋、ということになります。
非常に心残りではありますが、もしものことがあれば連れ合いを始め身内のみんなに迷惑をかけることになりますから、やむを得ず後者を選択しました。

覚悟はしておりましたが、下りはやはりかなり悪く、懸垂で降りようと思った斜面に支点となる木などがなかったりして往生しました。
沢筋の浮石は、当然のことながら登りよりも始末に悪く、頭くらいの石がたやすく崩れてしまい、それによって足場そのものが崩壊するというていたらくです。
うかつに草をつかむとそれがアイコだったりするので、とげのある山菜取りの際に使っている豚皮の手袋をして下りました。

ようやく今朝の入渓点に下り着き、大川ダム方面を見下ろすと、青い空が広がっていました。
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国土地理院のサイトにある三沢から沼尾沼までの地形図です。
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見た目は簡単そうで、事実、沢自体にそれほどの悪場はありません。ゆえに見くびってしまったのが敗因の全てです。
プロトレックを忘れたのに気付いたとき、取りに戻ればよかったのに、まあ、沢筋を忠実に登れば大丈夫だろうと高をくくってそのままにしてしまった。
また、いつもなら、未知の沢筋に入るときにはブレードのついたバイルを持参していたのに、今回はそれも忘れた。
実に恥ずかしい限りの敗退です。
もう一つ、以前から山歩き用のGPS(ガーミンなど)が欲しいなと思っていましたが、今回の経験から、やはりお金を貯めて買おうとも思っています。
世の中にはせっかくこうした便利なツールが出てきているのに、それを使わずやせ我慢をするのは決してほめられたことではありません。
今回の山行でも、沢の終了地点で現在確認ができていれば沼への登路も判明した可能性が高いのではないかと思います。
何よりも安全に目的を果たすためには最良のツールではないかと感じました。

ところで、今回は幸いなことに熊さんには出会いませんでしたが、マムシは事前情報通り結構いました。
考えてみれば、マムシが子蛇を生むのはこの時期からですから、個体が活発に動くのは無理のないことです。
夏から秋にかけての沢登りでは、結構頻繁に出くわし、若かった頃は捕獲して売りとばしたしたりしたものですが、さすがに私もこの年になって無益な殺生をするつもりもなく、過ぎ去るマムシを温かく見守りました。

最後に、靴と靴下の評価について。

まず靴の方。
ハイパーVソールのフリクションは思った以上に効きます。
濡れた岩でも水苔がなければ全く滑りませんし、滝の登攀も不安なくこなせます。
水苔でぬめった岩ではさすがに滑りますが、これはフェルトソールでも同じことで、謳い文句のもう一つ「油の上でも滑らない」は状況次第というところかもしれません。
ただしアクアステルスでは、水苔でぬめった岩でのフリクションは全く効かないという話を聞きましたから、もしかすると、それよりは効くのではないかと推測します。少なくともフェルトソールの沢靴との間では遜色はないように思われます。
スニーカータイプですから、水はどんどん入ってきます。
靴の中が濡れるのは嫌だ(そういう沢屋はいないと思いますが)という人には不向きかもしれませんが、フェルトソールの沢靴に比べて格段に水はけは良く、しかもすぐに乾きます。
何よりも、泥壁などの登るときのフリクションは絶大ですし、スパッツをすれば尾根筋でもあまり不愉快な思いはせずに済むのではないでしょうか。
何といっても、2850円という価格は魅力的ですね。

それから靴下。
これは当然のことですが、完全に濡れます。
フェルトソールの沢靴を使う際に穿く完全防水の沢用靴下のような感覚でいると裏切られます。
しかし、肌触りは悪くなく、水に濡れた際には冷たさを感じますが、それはすぐに感ぜられなくなりました。
夏の沢歩きであれば問題なく使えますし、雨の中で登山道に水が流れているなどという状況においてはいかんなくその性能を発揮することでしょう。

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