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秋の気配 [日記]

ずいぶん長い間雨が続いていました。
今日は久しぶりに少し晴れ間が出たので、近所の里山に散歩に出かけました。
午前中にガスの点検などがあり、一日中家を空けるわけにはいかなかったので遠出はできず、それは無念でしたが、秋の気配を感ずることができたのは幸いでした。

桔梗。
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彼岸花
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黄色い彼岸花。
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そういえば陽もだいぶ短くなってきました。
秋分の日を過ぎたのですから、これからは冬至にまっしぐら。
ムラサキシキブの紫色の実も見かけるようになり、街路樹のイチョウもギンナンを落とし始めています。
もうすぐ金木犀の花の香も漂ってくるのでしょう。

毎年のようにこうして季節を感じながら、今年でとうとう私も還暦を迎えます。
これから先、どのくらいこうして季節を感ずることができるのか。
なぜか秋になるとそんなことを考えてしまいます。
やはり陽が短くなり冬に向かうことに対してセンチメンタルな気分に支配されるからなのでしょうか。

タグ:彼岸花 桔梗

トスカニーニ指揮ニューヨーク・フィルによるブルックナー交響曲第7番 [音楽]

秋雨前線と台風の影響などで、このところ関東は晴天から見放された感があります。
来る日も来る日も雨ばかりで、心も湿りがちになってしまいますね。

こういう気候の時には、音楽に耳を傾けながら気持ちを静め、また、その中から新たな世界を眺めてみるのがいいのかもしれません。

以前、「ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによるブルックナーの交響曲第9番」という記事を書いた折、できればトスカニーニによる第7番の演奏を聴いてみたいものと記しました。
大変うれしいことに、gkrsnamaさんよりこの録音がネットにアップされている旨のコメントを頂いたところです。
簡単なreplyをコメント欄に付しましたが、改めてこの録音のことを少し取り上げてみたいと思います。



1935年1月27日、カーネギーホールでのライブ録音。
オケはニューヨーク・フィルです。

1935年ということを考えれば仕方のないことなのでしょうが、やはりノイズが気になります。
しかし音質は思ったほどひどくはなく、少なくともトスカニーニの意図するところをある程度汲みとることは可能と思います。
ただし欠落箇所が結構あることから、隔靴掻痒の感を強くしますが。

この曲が完成したのは1883年9月のことで、ワーグナーの死去を悼んで第2楽章のアダージョに葬送の音楽(184小節から)を付加したことでも知られています。
何よりも、ブルックナーの交響曲が初演で好評を博す嚆矢となった作品であり、第4番と並んで現在に至るまでも高い人気を保っています。

トスカニーニとブルックナーとは、どうもあまり親和性を感じない部分もあり、実際、晩年にあれほど精力的な演奏活動を共に行ったNBC交響楽団とのコンビによる演奏や録音も見当たりません。
しかし、記録によると、第4番や第7番はしばしば取り上げていたようで、1896年12月には早くも第7番のアダージョの演奏を行っていたそうです(この年の10月にブルックナーは亡くなっておりますから、きっとその追悼という側面もあったのでしょうね)。
また、ブルックナーの故国であるオーストリアとかドイツなどではいざ知らず、遠く海を隔てた米国では、その当時、まだまだブルックナーの音楽に対する理解が深かったとは云えなかったと思われますので、トスカニーニの試みは、今から思えば非常に意義深いものがあったのではないでしょうか。
そのような演奏を、80年を経て聴くことができることを心から喜びたいと思います。

さて、まずは第1楽章です。
情感たっぷりの、遠い世界から光が注いでくるような美しい演奏が始まりました。
24小節のフライング・ホルン(練習番号「A」の一拍前のアウフタクト)は、改訂版のお約束みたいなものですが、原典版を聴きなれた耳にはやはり不自然に聞こえます。
尤も、ハース版が世に出たのは1944年のことですから、それ以前の楽譜では当然の演奏なのですが。
それから、これは後の楽章でも顕著なのですが、ティンパニが様々な形で飛び入りをします。この楽章では練習番号E(a tempo)の前の4小節をトレモロで入ってきます。
その他、第2ヴァイオリンのエコーが省略されていたり、ホルンに(楽譜には記載のない)フルートが補強されているように聞こえたり、あれれ?と思うような部分もありますが、ノイズによるものか私の聞き間違いなのか判然としません。
ただ、「楽譜に忠実」というある種のトスカニーニの謳い文句とは異なる表情たっぷりの演奏で、オケにはところどころ不満もありますが、聴きほれてしまう部分も多くありました。

しかし、コーダの最後の438小節からあとの6小節が欠落!これは酷い!ざんねーん!
(記している小節や練習番号の表記について、私が所持しているスコアは1980年発行のハース版ですので、楽譜によるズレがあると思われますから、その点についてはご留意のほどを)。

次に第2楽章。
トスカニーニ自身がかなり以前から演奏をしてきた曲ということもあるのでしょうか、抑制された中にも、彼独自のカンタービレが感ぜられる感動的な演奏です。
練習番号W(177小節)から打楽器が付加されていますが、これはハース版以前の演奏形態です。
そして、肝心の葬送の音楽が始まって間もなくの189小節から192小節の4小節が欠落しています。これも酷い!

第3楽章のスケルツォ。この録音の中では唯一欠落がないので安心して聴けました。
こういう音楽ですと、トスカニーニの小気味の良さが功を奏するのか、誠に快調でノリノリです。
先にも書いたティンパニの付加。この楽章は特に顕著で、ハース版の楽譜ではトレモロになっているのにもかかわらず、随所で、金管や木管や弦楽器の付点音型をなぞって補強しています。
原典版を信奉する向きからすればとんでもない改変ですが、なんだかウキウキとさせられるような楽しさを感じてしまいました。
ブルックナーの曲がこんなに面白くていいのだろうか?などとも思ってしまいます。

いよいよフィナーレに突入します。
第7番を聴くとき、第3楽章のスケルツォからフィナーレに至るまでの曲の流れ込みが、私には大変印象的で、少々荒っぽい第3楽章のトゥッティから弦による第一主題までの変遷が何とも云えない心地良さを感じさせてくれます。
この演奏の出だしも非常に快調で、トスカニーニの面目躍如だな、などと思っていると、同じく弦による主題提示のはずの第二主題が金管に取って代わられていました!
これは、練習番号Eにおける第二主題でも同じです。
改訂版も含めてこのような演奏はこれまで聴いたことがありません。これはトスカニーニのオリジナルな改変なのでしょうか。
これ以降も、楽譜にない楽器の付加が断続的に表れます。それも弦楽器のパートに管楽器を加えて表情をつけるというような感じで、このあたりにトスカニーニの明確な意図の表れを見ることができるようにも思われます。
極めつけは練習番号N(163小節)からのクラリネットの対旋律の追加。
こんな旋律は寡聞にして聴いたこともないので、(個人的な想像ではありますが)トスカニーニが誂えたものではないかと思われます。
それとも何か由来や理由があるのか。
その前の145小節から158小節は録音が欠落しています。
さらに練習番号RからUまで(209小節から256小節まで)の48小節をカット!大胆すぎ!スコアを読んでいて、突然飛んでしまったので、次がどこなのか大いに慌ててページをめくりました。
そして曲の終盤に向けてティンパニを付加し、金管も補強して一気に大団円に向かいます。

何度か聴き込めば、さらに新しい発見があるのかもしれません。
聴いてみて最初に思ったのは、これは、いわゆるブルックナー愛好者には受け入れがたいところが多々あるだろうな、ということです。
しかし、トスカニーニが活躍していた若かりし頃、現役時代のブルックナーとも一部重なっていたことでしょうし、本人や弟子たちによる曲の改訂が半ば当然のように行われていたことを考え合わせると、長大な曲を如何に退屈させずに観客に聴かせるかという観点から手を入れたことは容易に想像できます。
弦楽器のみの主題提示に管楽器を重ねあわせたり、独自の対旋律を入れたりというのも、弦楽器だけでは響きが物足りないと考えたからなのかもしれません。
ブルックナーの音楽においては、こうしたコントラストの存在こそが聴くものに愉悦とカタルシスを与えてくれるのだと思いますが、後期ロマン派の音楽の一つという捉え方の中では、やはり物足りないものを感じたのでしょう。
その意味では、フルトヴェングラーのブルックナーの演奏とともに、如何にも時代を感じさせるものだと思います。
録音による欠落は非常に残念ですが、これはこれで大変貴重な遺産といえるのではないでしょうか。

因みに、ヒンデミットが指揮したニューヨーク・フィルによる第7番もyoutubeにアップされていました。

https://www.youtube.com/watch?v=i6Q2qiSdu44



こういう大曲の演奏が、ほぼ完全なままでネットにアップされ、無料て聴ける。
良い時代なのかもしれませんが、これではわざわざCDやレコードを買う人も少なくなることでしょう。
そんなことが続いて、本当に欲しい名演奏のCDなどが手に入らなくなったらどうしよう、などとちょっと心配になりますね。