So-net無料ブログ作成
検索選択

雨山峠から鍋割山 [山登り]

このところ晴れ間が長続きしないお天気が続きます。
今日も、朝のうちは晴れていましたが、午後からは厚い雲が張り出してきました。

昨日、久しぶりに山に出かけました。

今回は同行者があり、前の職場において仕事関係にあった若い友人です。

天気予報によると関東地方はまずまずのお天気なのに、神奈川県西部は雲が多くはっきしない空模様とのことでした。
新松田に向かう小田急線の車窓から見ても、重苦しい厚い雲が垂れ込めていて、丹沢の主稜は完全に雲の中です。
酷い雨にならなければいいなと祈りつつ、寄行きのバスに乗りました。
バスは登山者でほぼ満員。終点の寄まで一度も停車することなくさながら直行便のようでした。
その登山者のほとんどは栗ノ木洞経由で鍋割山に登るか、ジダンゴ山に向かい、車道を歩いて寄大橋まで向かったのは私たち二人だけ。
どうやら静かな山行が望めそうです。

寄大橋までの車道、約3kmを黙々と歩いていきますが、犬を連れた散歩の人以外、こちらに向かって歩いている人は皆無でした。車も二台が走っていったきり。
確かにお天気は今一つですが、秋の行楽シーズンの土曜日とは思えない状況です。

寄大橋は工事中でした。
nabewari01.jpg
ここの駐車スペースには数台の車が止まっていました。

寄自然休養村管理センターです。
nabewari02.jpg

寄沢沿いの林道をしばらく行くと、滝郷の滝があります。
寄沢を右岸にわたって見物しました。
nabewari03.jpg

林道の突き当りから指導票に導かれて雨山峠への登山道に入りますl。
nabewari04.jpg

寄沢を右へ左へと渡りながら登ると、右岸に這い上がったところに釜場平があり、ベンチもあります。
nabewari05.jpg
nabewari06.jpg

そこから尾根を渡り、右にコシバ沢を分けると雨山峠まではもう少し。
寄沢本流の源頭あたりから雨山峠までは素敵な滑床が続きます。
nabewari07.jpg
ガスっていて小雨も降っていましたから写真はあまり良く撮れていませんが、ガスの中の雰囲気もなかなかのものでした。

ここから鍋割峠までが、本日のハイライト。
鎖場が連続する急登となります。
ガスと雨で足場も悪く、写真の写りも今一つだったため、鎖場の写真は撮れませんでしたが、それほど悪いわけではありません。
ただ、こういう悪天候時には体力の消耗が激しいのでその点だけは注意が必要です。

鍋割峠に到着。
nabewari08.jpg

ここから急登しばしで鍋割山に到着です。
nabewari09.jpg
これまでの静かな山行とは大違いの大混雑ぶりでした。
「名物」の鍋焼きうどんも飛ぶように売れているようですが、きっと大変な待ち時間がかかることでしょう。
我々は、山頂付近の喧騒を避けて小屋の裏側に回り、昼食をとりました。

天気が良ければ塔ノ岳に登って大倉尾根を下ろうとも思いましたが、眺望も全くなく小雨そぼ降る状況でしたので、後沢乗越経由で二俣に降りることにしました。
こちらの道は鍋割山へのメインルートですから、予想はしていましたが大変な数の登山者が押し寄せてきます。
もちろん下る人もいるので、丹沢らしい混雑が続き、そのさなかを淡々と下りました。

後沢乗越では大勢の中高年男性登山者がたばこを吸って大休止をしています。
挨拶をしてそのまますり抜けました。
暫く下って、後沢乗越を振り返ります。
nabewari10.jpg

ここから大倉までは、またまた静かな山歩きとなりました。
二俣からの林道歩きには少々うんざりさせられるものの、人がいないのは最高ですね。
歩いている途中でトリカブトの花を見つけました。
nabewari11.jpg

大倉のバス停に着くと、やはりものすごい人だかりです。
メインルートは、きっとかなりの混雑だったことでしょう。

鍋割山という、表丹沢でも屈指の人気を誇る山でも、ルートによっては静かな山行が楽しめます。鍋割山までの登りで出会ったのは4パーティだけでした。

一緒に登った若い友人は、少林寺拳法の有段者で、日頃からトレーニングも欠かさないとのこと。
おかげで、非常に良いペースを保つことができ、先の4パーティも含め、出会ったすべてのパーティを追い抜いてしまいました。
休憩を含めて全行程で6時間の山歩きとなりましたが、久しぶりに充実した山行となり、若い友人も大満足の様子。
これでまた仕事を頑張れます!と嬉しい感想を述べてくれました。

nice!(21)  コメント(12)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

長時間労働の末の自裁 [日記]

10月も中旬となりました。
気温も低くなってきて、秋も深まった感が致します。
しかし、秋の抜けるような青空は、首都圏では縁遠く、8月下旬からこのかた、ずっとどんよりとした鬱陶しいお天気が続いています。
今週末は久しぶりに晴天が訪れるようですが、いかがでしょうか?
因に、今夜は久しぶりに美しい月が浮かんでいました。

このところこのブログの更新を怠っており、それと軌を一にするが如く皆様のブログへの訪問もおろそかになってしまいました。
記事にしたいことはあるのですが、様々な雑事に取り巻かれているうちにどうもモチベーションが上がらず、それをまとめきる気力が湧いてこないという情けない状況なのです。

さて、今年は御柱祭ということもあり、先日、実家に帰省して、小宮の御柱祭に参加してきました。
諏訪大社本社のそれとは規模も大きさもまるで異なる小規模なものですが、やはり曳行にはそれなりの労力もいり、頑張って曳いたこともあって翌日には全身が筋肉痛になってしまいました。
onbasira.jpg
私はもともと人ごみが嫌いなので、お祭りもそれほど好きなのではありませんが、実家の老父母が地域の皆様にお世話になっていることもあって、こうした行事(地域の広域清掃や道作りなども含む)には出来る限り参加しようと思っています。
実際、近所の方々には老父母の見守りをお願いしておりますので、顔つなぎやご挨拶も兼ねて、というところでしょうか。
それでも、久しぶりに同級生や知人と出会うのは嬉しいもので、参加しながら話をしていると何だか遠く離れた時間を互いに過ごしていることさえも忘れてしまいますね。
故郷というものは本当にありがたいものだとしみじみ感じています。

ところで、このブログではちょっと場違いな感もありますが、次のようなネットの記事があったので紹介します。

「残業百時間で過労死、情けない」教授書き込み

これは、電通の新入社員の女性(当時24歳)が連日の激務がもとで自殺し、月に100時間を超す長時間労働がその原因とされて労災認定が降りたことに関するものです。

長谷川教授のニューズピックスへの投稿内容は次の通り(10月7日)。
「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。更にプロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。それでも駄目なら、その会社が組織として機能していないので、転職を考えるべき。また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき」

長谷川教授は、東芝やニトリの役員など実業畑で経験を積んだ後、同大学の教授に就任された方で、恐らくそうしたご自身の経験からこういう「感想」を書き込んだのでしょう。
こうした考え方があることは事実でしょうが、これを一般論に敷衍して24歳の新入社員に要求する見識はいかがなものかと思われます。
実際、当の長谷川教授は、「言葉の選び方が乱暴だった」「自分の過去の経験のみで判断し、今の時代にその働き方が適合かの配慮が欠けていた」などとして謝罪し、前言を取り消し削除しています。

世の中には様々な痛ましいことがありますが、自死・自裁はその中でも特にやりきれないものを感じます。
亡くなった当人はもとより、残された身内・友人・知人などへの影響は計り知れないものがあり、その喪失感や絶望感は埋めようもなく深く暗いものとなることでしょう。
この教授の不用意な発言はその意味でも言語道断であり、こういう人物に学問を授けられる学生には同情を禁じ得ません。

長谷川教授は61歳だそうですから、私とほぼ同年代です。
役員にまで上り詰め、教授に就任しているのですから、まずもって世間的には相当な成功者とみてよいのでしょう。
その人が、自分がこれまで歩いてきた(厳しい)道のりを振り返って述べた感想。
敢えて嫌な言い方をしますが、同年代以上の同じような経歴の人々からは(公には口にしないだろうけれども)一定の共感を得ているような気もしています。
私はこの方のような「成功者」では決してなく、会社人間としてはむしろ落伍者だったろうとは思いますが、虚心坦懐に考えればそのメンタリティには一致する部分もなくはないのです。
20歳半ばから40歳代まで、繁忙期は月200時間以上の超過勤務が連続することもしばしばあり、閑散期ですら22時前に退社することはほとんどなかった。
独身の頃は家に帰るのが面倒になり、そのまま会社に居続け、眠るのは机に突っ伏して20分くらい、などという、今振り返れば笑ってしまうほどブラックな勤務環境だったわけです。
もちろん、残業代が全額支払われるはずもなく、8割くらいはサービス残業でしたし、また(会社の状況を鑑みれば)それも致し方ないことだと諦めていました。2割でももらえるだけラッキーだと。

どうしてそんな非人間的な労働環境に耐えることができたのか。
一番大きな理由の一つは「周囲が皆そうだったから」なのではないかと思います。
今から40年くらい前のことですから、PCはおろかワープロさえも常時使える状況にはなく、コピーなども単価が高かったことから大量の資料複写には輪転機を使い、計算は電卓や算盤、資料は基本的に手書きと清書、外向けに出す正式な文書はタイピストに頼む、という感じで、生産性も今から考えればとてつもなく低かったため、とにかく人力・人海戦術で成し遂げるしかなかった。
そんな中で一緒に頑張るわけですから、長時間労働も一体感を以てみんなで頑張れたのです。一日中一緒の時間を過ごしたのですし。
それからこれも大きなポイントですが、そういう労働環境であることを先輩から受け継ぎ教えられる中で、それに耐えられるように息抜きをする方法を身に着けていったこと。
ちょっとした空き時間を見つけて眠ることはもちろん、本を読んだり、散歩に出たりという時間を作ることができました。
当時爆発的に売れ始めたウォークマンの存在はことのほかありがたいもので、厳しい仕事の空き時間に聴くブルックナーやマーラーやブラームスにだいぶ慰められたことを思い返します。
「無能」だの「バカ」だのと面罵されたり、目の前で稟議書を破られ丸められて顔にぶつけられたり、といったパワハラも、そうした空気の中で過ごしていることによって自然と「柳に風」と受け流せるようになり、いわば不感症の極致みたいな図太い神経になっていきました。

長谷川教授のことを「言語道断」と書きながら、私自身がもうこのていたらくです。
今でも時折、前の職場の仲間などと飲むことがありますが、そういうひどい勤務環境を肴に盛り上がることも多く、つまり、「酷い状況だったけれどもお互いよく頑張ったよな」という、修羅場を生き残ってきた者たち共通の傷のなめ合い、という状況になってしまいます。
その輪の中に入りつつも、今、その職場からドロップアウトして感ずることは、あれは一種のマインドコントロールではなかったか、ということです。

常軌を逸した激務の中に身を置きつつ、お互いにそうした環境の中で頑張っているという状況の中で、いつしかそのこと自体に疑問を抱かなくなる。それどころか、自分がこれだけ頑張っているのだから業績も伸びているのだ、このプロジェクトも成功するのだ、と考える。
これはある意味ではカルト集団の考え方なのではないでしょうか。
カルト宗教を外部から見ている人たちは、「なんというひどい環境に身を置いているんだ」と考え、身内はそれ故に何とかそこから引き離そうとしますが、カルトの中に入っている人たちは、そうした外部の人間を「信仰心に欠けた真の幸福を知らない哀れな連中」とみていたりして、相互の溝の深さは絶望的に深いものがあったりします。

カルト集団と会社を同列に見るのはいかがなものかとは思いますが、信者を外の世界と隔絶し情報を遮断して一つの方向に目的を収斂させるという意味では、あまり変わりはないのではないでしょうか。
少なくとも、ドロップアウトした私のような人間から見ればそういう共通点があるように感ぜられます。
第一、これは重要なポイントですが、冷静になって振り返ってみれば極めて非効率な仕事をしていたということが問題で、さらにいえばそれに対して疑問すら抱かなかったということ。
先に、厳しい勤務環境にあっても適当に息抜きをしたりしていた、と書きましたが、それは裏を返せば集中力がしばしば途切れていたということであり、長時間労働をすることに意義があったような錯覚に陥って、自らを慰めていた、ということでもあります。
恥ずべきことであったな、としみじみと思います。

恒常的な長時間労働の解消に関しては、以前からずっと問題視されており、労使共々解決に向けた方策を見つけることに余念がないかのようにも見受けられます。
少なくとも表面上はそうでしょう。
しかし、日本の企業文化は一朝一夕に変わるものではなく、さらに手繰れば封建時代の武家社会的な滅私奉公精神にまで行きついてしまうのかもしれません。
当時の御家人たちは、そもそも決まった労働時間などというものはなく、何か事があれば全てを擲って殿様の元に駆けつけなければならなかったという話を聴いたことがあります。その意味では24時間勤務であり、たとえ自宅に帰っていたにしても四六時中拘束され続けていたのであると。

そういうメンタリティからフリーになるためにはどうすればいいのか。
こういう悲しい事件を防ぐ根本的な解決策を、国や政府や会社はもとより、個々人が自分のこととして考えていく必要があるのかなとも思います。

辛かったら降りてしまえばいい。
降りてしまった私は(別の意味での辛さももちろんありますが)ある意味ではかなり清清した気分にもなっているのです。
ただ、それを新入社員に求めることも、またかなり酷なことではあるのかもしれません。
どうしたらいいのか、やはり途方に暮れてしまいますね。
マインドコントローから如何に覚醒するか。
個人の問題ではありつつも、やはり社会全体として考えるべきなのでしょう。