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ソニー Bluetooth対応 ワイヤレス防水スピーカー SRSX1 [オーディオ]

この時期らしい寒さが戻ってきています。

12月23日から25日まで、週休二日制の会社ですと三連休になるのでしょうが、私の職場はあいにく土曜日が出勤なので、いわゆる「飛び石」でした。
尤もこの時期は年賀状書きや大掃除などがありますから、結局、二日間の休みはそれだけで費消されました。

ソニーBluetooth対応・ワイヤレス防水スピーカー「SRSX1」を購入しました。


小さな筐体にもかかわらず、5Wの出力はかなりパワフルです。
なんといってもBluetooth対応なので非常に扱いやすく、これで6200円ならコストパフォーマンスもよろしいのではないかと思いました。
風呂場でCDなどを聴くために、防水対応のラジカセを購入して使っていましたが、怪しげな中国メーカーの製品であったためか、CDのトラック移動ができず(フォワードやバックのボタンが利かない)、毎度冒頭からの演奏となってしまうためげんなりしていました。
そこで、早速iPodとSRSX1を組み合わせて風呂場で使ってみたのですが、これは全く快適です。
わざわざお湯をかけたしりしない限り、水回りで使用しても問題はないとのことですし、筐体も非常に小さいので場所ふさぎにもなりません。

などと書きましたが、購入しようと思った動機は、この年末、実家に帰省して大掃除などをやる際の気晴らしようです。
自宅であればCDを聴きながら掃除などの家事もできますが、実家ではそういうわけにもいかず、かといってラジカセを持ち込むのもはばかられます。
iPodとSRSX1ならまったく邪魔にもなりませんし、好きな音楽を聴きながらであれば気乗りのしない掃除や各種作業も捗ることでしょう。

それはともかく、扱いやすい大きさと、それに見合わぬパワフルな音を出しますから、ご興味のある向きはお使いになってはいかがでしょうか。

先日、ちょっとした不注意から車の左前輪のあたりをこすってしまいました。
大した傷ではありませんでしたが、こういうヘマをするのはかなり久しぶりのことなので結構へこんだところです。
コンパウンドで磨いて目立たなくしようと思ったのですが、微妙に塗装まで傷が入っていたので、見た目以上に重傷と判断し、近所のスタンドで見積もってもらうと、バンパーの交換などが必要になるので15万円くらいはかかるとのこと。
思った以上の出費ですから、走るのに別段の問題もないことだし我慢するかと考えましたが、車両保険に入っていることから、使ってみてもいいかなと保険会社に連絡。
案の定、「免責の部分は自己負担」「保険を使うと等級が下がるので保険料が上がる」などと、使わせないようにする雰囲気ありありでした。
私の等級は、現在、無事故無違反を確保してきた故に最上級(20等級)ですから、3等級下がってもさほど負担が増えるわけでもないと思いますし、次回からは車両保険なしにしようかなと考えていた折でもあって、とにかくどのくらいかかるか正式な見積もりを要請。
さっそく保険会社指定の修理工場で見積もりをしてもらいました。
その結果、費用はスタンドとほとんど変わりません。
修理工場の方とも話をし、しばらくご検討なさいますか?との先方の提案もありましたが、その場で修理をお願いし、保険を使うことで依頼しました。
年末の忙しい時期にも関わらず、一週間足らずで修理が完了し、昨日納車されました。
完璧な修理で満足したのですが、それ以上に驚いたのは、ほかの気になる傷も修復してくれていたこと。
今回の依頼をする折、修理工場さんに、別の場所でちょっとこすった部分も一緒にできませんかと聞いてみたのですが、今の車両保険の審査は厳しく、場所が離れていると「事故二回」という計算になり、それぞれに3等級落ちとなるうえ二回目と判定されたほうの免責金額が増大するので、我慢できるのであればやめたほうがいいと思います、というアドバイスををもらっていたのです。
従って、今回の修理が終わって戻ってきたら、タッチペンなどを使って少し塗料を盛りながら修復してみようと思っていたのでした。
それを今回の修理と併せて治してくれたのです。
メインの傷の補正ほどではないにしても、それなりの費用が掛かると聞かされていましたから、さすがに「大丈夫ですか?」とお聞きすると、
「年末でメーカーも休みに入ってしまうことが多く、パーツの調達が大変な時期なので、お客様が気持ちよく即断即決してくださったことがありがたかった。おかげで年内に売り上げを確定することができましたし、保険会社への報告もスムーズに終わりますから、この部分の修理はささやかながらお礼のサービスです」
とのこと。
聞けば、車両保険の絡んだ修理はごねるお客も多く、保険の免責金額やランクダウンによる費用との比較でなかなか実作業が進まないことがままあるのだそうです。
そのうえ値切ってきたりサービスを要求されるため本当に大変で、保険会社も支払いにはうるさいし、そんなこんなで部品の調達が遅くなり納車が遅れると「遅い!」といってクレームをつけられる始末。
「そういうこともあるので、今回はこんなに気持ちよく仕事をさせていただき感謝しているのです」
そういって修理工場さんは微笑んでくれました。

余り規模の大きくない修理工場さんの場合、大口の売り上げはなかなか確保が難しく、今回のような小さな仕事を数多く引き受けながら、それこそ馬車馬のように働いておられるのでしょう。
余分なパーツをストックしておく余裕もおそらくはなく、作業着手への判断の遅れは、売り上げはいうまでもなくそれに要する費用の確定にも大きな影響を及ぼすことになります。
支払額を少しでも抑えたい気持ちはわかりますが、必要以上にごねられるのでは業者にとってたまったものではありません。
しかし、今回の修理工場さんのお話をお聞きすると、そういう客は結構いるような感じです。

修理工場さんの温かな対応に感謝の気持ちでいっぱいになりましたが、反面、何とも世知辛い話だなと感じました。
確かにごねて費用を抑えたりサービスをさせたりすることも可能でしょうし、状況によってはそれが有効に働くこともなしとはしません(一種のネゴシエーションでしょうか)。
しかし、してやったりと満足するかもしれない客の思いはともかく、作業を請け負った側には嫌な思いが残るのではないでしょうか。
気持ちよく修理をしようという気持ちがなえてしまう可能性だってあるのかもしれません。
修理工場さんもプロですから、そんな感情で手抜きをすることはあり得ませんが、しこりは残りますよね。
そう思うと、ほんのちょっとした対応の違いで、こうして気持ちよく修理をしてくださったことの嬉しさはやはり格別です。
店と客という相反する関係とは云い条、所詮は人と人との付き合いなのですから、お互いに気持ちの良い関係を作るべきだなと、改めて感じました。
同じサービスでも、双方が喜んで感謝しあうものの方が格段に上なのですから。

モーツァルトのレクイエム、ホグウッド&エンシェント室内管弦楽団&合唱団 [音楽]

気温の変化の激しい日が続きます。
今日は少し暖かくなっているようですが、気温の変化が激しいと、どうしても体調を崩しがちになってしまい、先日還暦を迎えたこともあって、さすがにきついなと感じています。

モーツァルトレクイエム
長らくジュースマイヤーによる補作版による演奏が一般的でした。
私も、何度かこの曲の演奏には参加してきましたが、もちろんジュースマイヤー版です。
ジュースマイヤーによるオリジナル(SanctusやBenedictusなど)はいうに及ばず、モーツァルトの真筆とジュースマイヤーの加筆が施された部分においても、両者の違いは明らかで、その点での違和感はもちろんありますが、ジュースマイヤーの仕事は決していい加減なものではなく、モーツァルトの残した指示などに基づいてどれほど忠実に真摯に向き合っていたかがひしひしと伝わりますし、何よりもこの曲を、きちんとしたカトリック典礼の形に整えて後世に伝えた功績は大なるものがありましょう。
モーツァルトの絶筆となったLacrimosa。8小節目で途絶えた師のあとを繋いで彼が完成させました。
別宮貞雄氏などは「この甘美といえるほどの旋律で始まるLacrimosaを、ジュスマイヤーはなんとか平凡ではあるが、ひきのばして終わらせている」と酷評していますが、私は、この曲を歌いながら、そのジュースマイヤーの想いを忖度し何度もこみ上げてくるものをあらがうことが出来ませんでした。
8小節までの、奇跡的に美しい旋律を、懸命に守ろうとしたひたむきなジュースマイヤー。それが最も如実に表れていると私は思います。これを「平凡」に「ひきのばし」たとは、あまりに酷い言い方だな、と。

この版の定番中の定番はベーム&ウィーン・フィルによる演奏です。

私感ではありますが、この演奏ではジュースマイヤーの手の入っている部分、殊にAgnus Dei以降が素晴らしく、私は強く心を奪われました。

しかし、個人的なお勧めということであれば、リヒター&ミュンヘン・バッハによる演奏を挙げたいと思います。

何という真摯な演奏でしょう。
正にリヒター&ミュンヘン・バッハの真骨頂というべき演奏ではないかと思います。

そのモーツァルト・レクイエムの版問題に対する活性化の端緒の一つとなったのが、「ホグウッド&エンシェント室内管弦楽団&合唱団、ウェストミンスター・カテドラル少年聖歌隊」による1983年の演奏録音です。


この演奏・録音には、校訂を行ったイギリス音楽学者リチャード・モーンダー氏ご自身が参加しており、完璧を期そうとした意気込みが見て取れます。
古楽器・小編成、声楽はビブラートを抑え、長らく主流を占めてきたロマン派的な演奏とは一線を画すものであり、想像ではありますが、恐らくモーツァルトの生きた時代の音はこのようなものであったろうと感じさせます。
一番の特徴は、1961年にヴォルフガング・プラートによって発見された「Amen fuga」を、恐らくこのレクイエムのために作られたものと判断し、Lacrimosaのあとに独立して配置したことでしょう。
これはまさに驚くべき壮麗な曲であり、このフーガを聴くだけでも、この盤の存在意義はかなり高いものがあると、私は考えます。
因にそのスケッチは以下の通りです。
amen.gif
この「Amen fuga」を見ると、モーツァルトが、Lacrimosaで一つの区切りをつけ改めてOffertoriumの「Domine Jesu」を始めようとしたことがわかります。
つまり、Introitus(入祭唱)、Kyrie、Sequenz(続唱)、Offertorium(奉献唱)、Sanctus(聖なるかな)、Agunus Dei(神の子羊)、Communio(聖体拝領唱)という、鎮魂曲の様式に沿うような構成を企図したのでしょう。
モーツァルト晩年の傑作アヴェ・ヴェルム・コルプスが美しい和声を響かせる合唱曲であるのに対し、この曲が対位法の極致といもいうべきポリフォニーのめくるめく世界を展開させるのも、ある意味、カトリック典礼に則った厳格なレクイエムの形を目指した創作意図によるものであるからなのかもしれません。

しかし、モーツァルトはついにSanctusを作ることができなかった。
そのためジュースマイヤーはこの部分を創作したのですが、ジュースマイヤーが手を入れた部分はモーツアルトの真筆とは認められないとするモーンダーのクリティカルな方針から、SanctusやBenedictusなどは割愛しています。
従ってこの演奏は様式的にカトリック典礼から外れたものとなりますから、モーツァルトにこの曲を依頼したヴァルゼック伯爵の注文を満足するものにはなりえなかったと思います。
その意味からすれば、やはりジュースマイヤー版の価値は十分に評価されるべきでしょう。

とはいえ、今日、この曲をカトリック典礼に則った宗教曲としてのみ聴くことはほとんどないものと思われますし、従って、あくまでもモーツァルトの残した芸術の一つとして考えるのであれば、最も原点に近い姿を再現しようとの想いを以てこうした版を校訂する意義はあると思います。
尤も、モーツァルト自身が、この校訂版をどのように評価するのか、こればかりはわかりませんが。

仮名手本忠臣蔵 [音楽]

昨日までの小春日和が一転、冷え込みが厳しくなっています。
快晴の空は誠に美しく清々しい限りですが、風も強くてさすがに身に応えますね。
風邪やインフルエンザの流行は予想以上に猖獗を極めていて、私の職場でも罹患して休む人が急増しています。
私もまだ完全には風邪が抜け切ってはおらず、だましだまし出勤しているような状況で、何ともやりきれないものを感じますね。

三宅坂にある国立劇場は、今年、会場50周年を迎えました。
記念公園が目白押しの中、先日、文楽「仮名手本忠臣蔵」を観てきたところです。
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長尺の演し物なので、大序から六段目までを第1部、七段目から十一段目を第2部として、分けて上演されることが多いのですが、今回は通しでかけられました。
ただ、時間の都合もあって、私は第1部(大序から六段目)までしか観ることができず、その点はいささか残念でしたが、それでも、朝の10時30分から短い休憩を二回はさんで16時過ぎまでかかるのですから、見ごたえは十分です。
しかもこの中には「塩冶判官切腹(四段目)」「早野勘平の腹切り(六段目)」など、涙なくしては観られない名場面もありますし。
1966年に建てられた国立劇場の客席の椅子のすわり心地はあまりよくなく、長い時間座っているとお尻が痛くなるのですが、それでも時間を忘れて舞台に見入っていました。

仮名手本忠臣蔵自体は、正しく人口に膾炙された演し物ですから、内容についてわざわざ記す必要もないことでしょう。
「芝居の独参湯」とも呼ばれ、経営難に陥った芝居小屋でも、これをかければ大入り満員、一気に黒字に転換といういわば打ち出の小槌みたいな演目ですから。

幕藩体制の中で、幕政にかかわる演目をそのままかけるのはご法度だったこともあり、時代を足利将軍時代に移し替え、四十七士をいろは仮名47文字で暗喩した「仮名手本」という名前を付するという、なかなかに気を使った背景もありますが、もちろん当時の観客も題材となっている事件を念頭に楽しんだわけで、足利将軍時代にはなかった鉄砲が出てきたり、暦応では生まれてすらいなかった世阿弥作の「高砂」が出てきたりと、時代背景はむちゃくちゃです。
まあ、幕府も、体裁だけは暦応年間ということにしてあるし、登場人物も足利直義や高師直にしてあるからお目こぼし、ということなんでしょうね。
あまりうるさいことを云って民草の楽しみを奪ったり反感を買うのは得策ではないと考えたのでしょうし。

私は活字としての浄瑠璃が好きで、文楽そのものについてはさほどの知識を持たないのですが、それでもこうして舞台で人形の動きを観つつ太棹と義太夫語りを聴くのは楽しみの一つです。
今回の演し物は浄瑠璃中でも大作なので、大夫も三味線もたくさんの演者が任に当たりました。
若い方々もたくさんおられ、こうした伝統芸能を受け継ごうとする確かな流れがあることもうれしく思った次第です。

さて、舞台の方ですが、やはり六段目の勘平の腹切りには参りました。
話の筋を知っていても、泣けて泣けて仕方がありません。
終わった後に連れ合いの感想を聞くと、眠っていてよくわからなかったといいます。
おいおい、それはないだろうと難詰したところ、連れ合いの隣に座っていた、いかにも観劇慣れしたように見える和装のご婦人もずっと寝ていたよ、といいます。
それを聞いて、もったいないことだなとは思いましたが、浄瑠璃も音楽の一つですから、素晴らしい演奏を聴きながら眠るのもそれはそれでいいことかもしれませんね。

久しぶりの文楽の実演を観ましたが、人形の演技はもとより大夫や三味線などの音曲も十分に楽しめ、第1部だけとはいいつつも大変満足しました。
ただ、これは私だけの感覚なのでしょうが、人形遣いが素面・裃で操る姿にどうしても違和感を感じざるを得ません。
せっかく人形が絶妙な演技をしているのに、その人形に寄り添う人の顔がそのまま見えたのでは興覚めに思えるのです。
やはりこれは黒子であって欲しいな、と。

帰り道、赤坂プリンスのクラシック・ハウスに立ち寄りました。
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せっかくなので、中に入ってお茶を飲んだのですが、良い雰囲気の割には価格もコーヒーが一杯500円と、比較的リーズナブルでおすすめです。

マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送響によるマーラーの交響曲第9番 [音楽]

小春日和が来たと思ったら真冬並みの寒さが到来するという、この時期特有の不安定な天候が続き、天城山行前から引いていた風邪がなかなか抜けません。
熱も大して出ていなかったので、気合で治す!とばかりに頑張ったのが裏目に出ました。
結局、先週の土曜日、近くの総合病院に出かけ、抗生物質や炎症止めの薬を処方してもらって何とか落ち着いたというところです。
連れ合いや妹などにいわせれば、「還暦にもなれば若いころとは違って自力で治すことなんかできないんだから、最初からおとなしく病院に行けばよかったのに」との、全く仰る通りの御託言。
肝に銘じている次第です。
お昼の楽しみであったウォーキングも、そんなわけで自重していたのですが、昨日久しぶりに出かけてみると、既に晩秋の趣でした。
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公孫樹の黄葉がまぶしい限りです。

さて、いささか古いご報告となりますが、11月27日の日曜日、マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送響によるマーラーの交響曲第9番を聴いてきました。
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このコンビによるサントリーホールの公演は、おととしのちょうど今頃、連れ合いと一緒に聴きに行って以来です。
今回は、クラシック音楽を通じ、それも共にマーラー好きということで長年の付き合いとなっている友人と二人で出かけました。
友人は神戸でのこのコンビによる同曲の演奏を既に聴いているとのことで、「すごいですよ!」と私をたきつけます。
それでなくてもマーラーの交響曲の中で(選ぶのは非常に悩ましいのですが)一番好きな第9番を、あの「ヤンソンス&バイエルン放送響」の実演で聴くことができるのです。
風邪で具合は最悪でしたが、そんなものはどこかに忘れてしまうほど、聴く前から興奮してしまいました。

サントリーホールは入口から混雑していて、会場もほぼ満席。
「今回の演奏では途中休憩はありません」としつこいほどの場内放送があり、それを受けてか、男性の手洗いまで長い列ができていました。

チェロとハープに導かれてホルンの物憂げな旋律で始まるAndante comodoの第1楽章が始まると、場内には適度な緊張感を伴う安らぎの時間が流れ始めました。
さざ波のようなビオラに導かれて第2ヴァイオリンが主題を提示し始めると、正にため息をつかんばかりの弦の美しさに陶然とさせられます。

この楽団の弦の素晴らしさは云うまでもないことですが、今回の演奏では特に金管の美しさに瞠目しました。

特にトランペット!
第9番の中で、私は第3楽章に一つのキーポイントを感ずるのですが、この楽章の抒情的な中間部のトランペットの音色(殊に350小節から始まる第1トランペットのソロ)の澄み切って悲しみをたたえたような音が、いまだに耳朶を離れません。
これは本当にトランペットの音なのだろうか?
何というのか黄泉の国から響いてくる天使の歌声(もちろん想像の産物ですが)のような感じさえ受けました。
この主題は終楽章においてさらに大きな広がりを見せて展開されるのですが、その先取りであるこの楽章での現れ方に、改めて深い感動を覚えたところです。
もちろん、複雑で精緻な対位法によって目くるめく展開される第3楽章の荒々しい表現とのコントラストがあればこその美しさではありますが、実演はもとより、CDやレコードでも、これほど美しいトランペットの音色に接したことはありません。
これを聴けただけでも私にとっては得難い演奏会となりました。

この曲、ワルター&ウィーン・フィルによる初演、バルビローリ&ベルリン・フィル、バーンスタイン&ベルリン・フィル、ノイマン&チェコ・フィル、大植英次&NDRなどなど、正に枚挙の暇もないほど数々の名演奏録音が残されています。
実演でも取り上げられる機会が多い曲の一つでしょう。
そうした中でも、今回の演奏は間違いなく最上位のものの一つと感じました。

それから、以前も書いたのですが、この日の聴衆も大変素晴らしい鑑賞態度でした。
演奏中の集中度合いは云うに及ばず、終楽章の最後の弦の最弱音が消えてホール内の残響が収まり、ヤンソンスが両手を下して肩の力を抜くまで、皆固唾をのんでその瞬間を見守っていたのです。
その後、まさに割れんばかりの拍手とブラボーの嵐。
ヤンソンスは何度もアンコールを受けて舞台に戻され、観客の熱い声援に応えていました。
オーケストラが引き上げた後も、ヤンソンスは一人舞台に戻り、何度も挨拶を返します。
こういう素晴らしい大団円は、何度接しても気持ちのいいもので、実演の感動をさらに高めてくれるものでしょう。

なお、今回の公演ではアンコール曲の演奏はありませんでした。
あのマーラーの第9番を、これだけのエネルギーと情熱を以て演じきった指揮者とオーケストラに、そんな余力など残っていようはずもなく、また、この素晴らしい演奏の後にどのようなアンコール曲を持ってきても、所詮それは蛇足に終わってしまうのではないでしょうか。
アンコールを求める拍手もありましたが、私としては「無し」で大いに納得です。