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春を告げる花たち [日記]

冬の寒さが過ぎ去ったあと、穏やかな晴天が続いています。
昼休みの散歩の途上で、彼岸桜を見かけました。
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白モクレンの花も咲き始めています。
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沈丁花は盛りを迎え、ミツマタの花も見かけるようになりました。
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花粉も盛大に飛んでいて、花粉症の私にとっては辛い時期とはなりましたが、こうして春の花々に出会えるのは、毎年のことながらこの時期の喜びの一つでありましょう。

WBCで、日本チームが快進撃を続けています。
野球に対して人並み以上の関心を持っているわけではない私でも、本番前の状況から見てどんなもんだろうと危惧していましたから、さすがに驚いています。
各球団屈指のプレイヤーをそろえているとは云い条、ある意味では寄せ集めのメンバーなのですから、小久保監督の苦悩は相当なものがあることでしょう。選手に無理をさせて怪我でもさせたら大変なことになってしまいますし。
実際、否定的なコメントも各方面からかなり寄せられていたようです。
しかし、本番に入ってからのこの全勝での決勝トーナメント進出は、選手から相当な信頼を寄せられていなければ達成できなかったことでしょう。
そのことは、次の中田選手の言葉からも明らかです。

【WBC】中田が激白!「小久保監督に覚悟なかったら辞退していた」

曲者ぞろいのスター選手を統率していくために小久保監督がどれほど繊細な気遣いをしていたのか、本当によくわかるエピソードですね。
さらにそうした心遣いがきちんと選手たちに伝わって、それがこの快進撃につながっているとすれば、そこにもまた如何にも我々日本人が好みそうな風景が広がっているなと感じます。

大滝エージェンシー社長である大瀧哲雄さんの言葉として、故中島らもさんがエッセイの中で紹介していた、

「オレがオレがのがを捨てて、おかげおかげのげで暮らせ」

を思い出してしまいました。
因に、「が」は「我」なのでしょうか。とすると「げ」は「下」なのかな?あるいは気遣いという意味での「気」?

それはともかく、私は、なんとなく昨年のリオ五輪における400mリレーの銀メダルを思い出しています。
あの時のメンバー、誰一人100m・9秒台を出している人がいない中で、そうした記録保持者をかわしての栄誉でしたね。

個を捨てて全体の勝利を目指す、などというと、なんだか「滅私奉公」とか「一旦ん緩急あれば義勇公に奉じ」みたいなことにつながりそうですが、そういうことではなく、今、その場において、何をなすことが求められているのか、そのことを常に自分自身のこととして考え行動する、ということなのでしょう。

上から押し付けられたものでは決してなく、メンバーの中から自然に醸成される目標と、それを達成するための個人の頑張り。

これはきっと、啻にスポーツに限ったものではないのだろうと思います。

その「目標」をはき違えないようにすることが非常に重要なのであり、また、そうした全体としての行動に及ぶ場合においても、一番大切なのは個々人それぞれの想いにあることを忘れないことなのではないでしょうか。

云うまでもないことですが、それぞれの個性が集まって組織は成り立つものであり、決して、組織があるから人が存在するわけではないのですから。
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箱根旅行 [日記]

三月になり、沈丁花の花も咲き始め、あの甘やかな香りを運んでくれる季節となりました。
それでも、時折冬の寒さがぶり返し、さすがに三寒四温の時期を痛感させます。
そろそろ鶯の声も聞こえてくる頃なのでしょうが、残念ながら私の周辺ではまだまだのようです。
仕事が終える18時頃、残照の中を駅に向かうとき、さすがに陽が長くなったなと感じますが。

さて、いささか古い話なのですが、二月の終わり、急遽土曜日に休みが取れることになったので、連れ合いと一緒に旅行に出かけました。
土曜日の休みが決まったのがその一週間前だったので、果たして旅館の予約が出来るのか不安でしたが、案の定、名のあるホテルや旅館は一杯。
JTBなどの割当枠もなかったので、これは難しいかなと思っていたところ、だめもとでじゃらんで検索をかけるたら、なんと「山のホテル」に一部屋空きがありました。
このホテルに関しては、連れ合いが前から泊まってみたいと言っていたこともあり、箱根旅行に行こうと考えた当初から検索をかけていたのですが、早くから満杯の状況。
恐らく、一週間前というタイミングでキャンセルなどが出たのでしょう。誠にラッキーといわざるを得ません。
宿泊料金はかなりの値段でしたが、すぐさま予約をしたのでした。

当日、余り時間に縛られたくなかったので車で出かけたのですが、なんと箱根新道で事故が発生し、午前中は通行止とのこと。
やむを得ず御殿場ICから乙女峠を越えた行ったのですが、余り顕著な渋滞にも巻き込まれませんでしたから、これは正解であったのかもしれません。

山のホテルのとなりには箱根神社があり、私はこれまで何度も箱根に行ったことがありながら、この神社に参拝したことがなかったので、ホテルにチェックイン後、早速出かけました。
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思いのほか、たくさんの人出がありました。
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神社への参拝を済ませたあと、連れ合いがずっと行きたいと思っていたという「サロン・ド・テ ロザージュ」に立ち寄りました。
芦ノ湖の湖畔にせり出すような絶好の立地で、山のホテルの付属施設のようです。
果たせるかな、かなりの人気で、順番待ちとなりました。
それでも、美味しい紅茶にケーキ、そして素晴らしい雰囲気を味わうことが出来、満足。
こういうゆったりとした時間を過ごすのはいつ以来のことだろうかと、ついつい芦ノ湖方面に遠い眼差しを送ってしまったところです。

山のホテルは、三菱財閥の四代目当主・岩崎小彌太の別荘がもとになっています。
それだけにロケーションは最高で、その雰囲気を大切に守ってきたという歴史を感じさせられました。
大浴場も、非常に落ち着いた雰囲気で、洗い場に個々の仕切りが設けられているなど、細かなところに神経が行き届いています。
食事はもちろんいうに及ばず、というところです。
夕食はもちろん、通常のホテルなどではバイキングみたいなものでお茶を濁される朝食に関しても、非常にサービスが行き届いておりました。
「ホテルライフ」などというものにはあまりなじみのない私ですが、できれば長時間をこのホテルで過ごしてみたいなという想いに駆られ、なるほどこのことをいうのだなと実感した次第です。

翌日は成川美術館に赴きました。
連れ合い共々お気に入りの美術館の一つで、収蔵作品ももちろんですが、休憩スペースからの眺めも素晴らしいものがあります。
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雲の多めなお天気でしたが、折よく富士山の姿を望むことが出来、これも大満足!

この美術館では、基本的に展示作品の写真撮影を認めています。
もちろんストロボの使用や自撮など、他人に迷惑の及ぶような撮影は御法度ですが、こういうおおらかな対応もお気に入り。
堀文子や森田りえ子といった「女流」の日本画家の競演も誠に見事なもので、こうした力作が一堂に会する機会はそうはありますまい。

また、平山郁夫・東山魁夷・加山又造・山本丘人といった日本画の大重鎮の作品も公開されていて、誠に見応えがありました。

それらの重鎮に並んで、この美術館との関わりの深い高橋新三郎氏の大作も展示されていたのですが、彼が好んで描いていた富士山の絵の即売会が行われていました。
私は絵画も大好きで、美術館や画廊を巡ったりするのも楽しみの一つです。
しかし、自分で絵を持とうとは余り思わず、我が家にある絵は、渓流釣の友人が描いた岩魚の水彩画と、従兄の知人が個展を開いた際にせっかくだからと購入したパステル画があるのみでした。
そんな私ではありましたが、何だか出会いのようなものも感じ、せっかくだからと富士山の絵を購入。
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めでたく我が家における三つ目の「アート」の座を占めることとなったのでありました。

今回の旅行では、二人でそれなりのお金を使ってしまいました。
一人一泊で30000円を超えるようなホテルに泊まるのはそれこそ20年ぶりくらいのことで、奇しくもそのときの宿泊先が箱根富士屋ホテル。
同じ箱根だったのだなと思い返しつつ、やはりお金にはかえられないサービスの質というものがあるものだと感じています。
いまはどうなのかわかりませんが、その折の箱根富士屋ホテルのサービスも誠に見事なものだったと、鮮烈に記憶しております。

いつもなら一泊二食付きでも10000円未満の宿を選んでしまうところを、今回は「清水の舞台から飛び降りる」覚悟でハイクラスな宿に泊まり、その延長で絵まで買ってしまった。
我ながら何と大胆なことかと苦笑を禁じ得ません。

それはともかくとして、ふと感じたことがあります。
冒頭にも書きましたように、このクラスのホテルはこの時期でも週末は予約でほとんど満杯でした。
私たちが泊まれたのもキャンセルなどの一瞬の隙間にうまくはまったからにほかなりません。
一方、湯快リゾートや大江戸温泉物語といった格安の宿も、週末などの予約はかなり困難なようです。
その割に、ちょうどその中間辺りに位置する価格帯の宿には比較的空室もあるらしく、つまりここでも消費傾向の差別化が進んでいるということなのでしょう。
クラス感のある対象か、それとも激安か。
消費性向は結構明確に分かれてきていますが、その辺りにこれからのマーケット戦略の方向性も見えてくるようで、なかなか興味深いものもありますね。

ところで、久しぶりの箱根旅行だったこともあり、その関連から、井上靖氏の短編小説集「愛」の中に収録されている「結婚記念日」を思い出してしまいました。
この小説は、妻を亡くした夫の回想の形で、つましい生活をしていた二人のささやかな箱根旅行の顛末が描かれています。
戦後の苦しい生活の中でもあり、新婚旅行などにはもちろん出かけることもなかった二人が、当時流行っていた懸賞金付きの定期預金で一万円(小説に描かれているのは昭和25年頃ですから、恐らく二ヶ月分くらいの月給にあたるのではないかと思われます)が当たったため、その半分を結婚記念日の旅行に充てようと考えたものです。
ちょっとほろ苦く、しかも、金銭的に厳しい時代をそれなりに生きて来た私たち世代には大いなる共感も呼ぶ内容で、車の中でその話を連れ合いにしながら、二人で「うーん、わかるなあ」などと盛り上がったところです。
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弁当箱を買いました。 [日記]

週末になって、首都圏は再び強烈な寒気がやってきました。
都心でも雪が舞ったそうで、毎度のことながらセンター試験の受験生は大変な想いをしたことでしょう。
各大学の入学試験日程のことを思えば、やはりこの時期に実施せざるを得ないのでしょうが、なんだか気の毒になります。
そういえば、私たちのころは、センター試験はもちろん共通一次もなく、たとえば東大や早稲田・慶応を受験する権利はすべての受験生に与えられていました。
ある意味、いい時代だったのかもしれません。
一発勝負だったわけですから、試験にヤマをはって、まんまと入学したつわものもいたことでしょうし。

先日、新しい弁当箱を買いました。
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重ねるとこんな感じです。
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おかずとご飯を別々に入れて携行し、食べ終えたら重ねて収納できるので、空になるとこの半分の大きさになります。

ちなみにこれまで使ってきたのはこれです。
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これは重ねた後の形で、やはりおかずとご飯を別々に入れて携行できるタイプでした。
大きさも手ごろなので、職場へはもちろん、山でも使っていて結構重宝したのですが、残念ながら中蓋の変形がひどくなり、見かねた連れ合いが「新しいのを買ったら?」と言ってくれたわけです。

値段は税込1026円とそれなりの価格がしましたが、やはり新しい弁当箱はうれしいものです。

私ら夫婦は二人とも仕事をしていますので、家事は分担制です。
とはいえ、厳密に分担を決めているわけではなく、例えばどちらかが食事の用意をしているときにはもう片方が洗濯とかアイロンがけをする、という感じですね。
それでも朝ごはんは、連れ合いが先に家を出るという関係上、私が作っています。
その折に自分の弁当もついでに作るわけで、一緒にやるとそれほどの手間はかかりません。
ちなみにこれは津での単身赴任生活の折も実践していました。

弁当のメリットはいくつか考えられますが、やはり食事のバランス面の保持が一番でしょう。
外食にすると、どうしても揚げ物などが入ってきたり、味付けも濃くなったりしますし、カロリーも過剰になってしまいがち。
弁当にすればご飯の量も抑えられるほか、果物や野菜も入れられます。
後片付けが面倒くさいということもありましょうが、私は食べたらすぐに職場の流しで洗ってしまうので、その点もさほど手間とは感じません(ものの5分くらいで終わりますから)。

もう一つ、これも大きな利点ですが、食費をかなり節約できます。
現役を退き、収入も激減していく中、体とお財布の中身を健全にコントロールするためにはうってつけのツールなのかもしれませんね。

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本年もよろしくお願い申し上げます [日記]

2017年の年明け。
穏やかな年越しとなりましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

新年明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
本年もどうぞ相変わらずのご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

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実家からの初日の出です。

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富士山もきれいに眺められました。

昨年末、実家の母が転倒して肋骨を骨折し、ひと月あまり入院をしたこともあり、今回の帰省は実家の大掃除や家事、おせち料理の用意などに忙殺されました。
私も何度か経験しましたが、肋骨の骨折は、2週間ほど安静しているとだいぶ痛みも和らぎ動けるようになるもの。
能動的な母はベットでの仰臥がやはりかなり苦痛らしく(家に残した父のことも気がかりだったのでしょうが)、痛みが和らいでくると帰宅したがって大変でした。
85歳という高齢でもあり、無理をさせるわけにはいきませんから、近所に住んでいる妹たちも必死で止めて何とかおさめていた次第。
今回の我々の帰省中も、なんだかんだと自分で動きたがり、押しとどめるのが大変だったのですが、そういう積極性があること自体はありがたいことと思っております。

タグ:2017
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長時間労働の末の自裁 [日記]

10月も中旬となりました。
気温も低くなってきて、秋も深まった感が致します。
しかし、秋の抜けるような青空は、首都圏では縁遠く、8月下旬からこのかた、ずっとどんよりとした鬱陶しいお天気が続いています。
今週末は久しぶりに晴天が訪れるようですが、いかがでしょうか?
因に、今夜は久しぶりに美しい月が浮かんでいました。

このところこのブログの更新を怠っており、それと軌を一にするが如く皆様のブログへの訪問もおろそかになってしまいました。
記事にしたいことはあるのですが、様々な雑事に取り巻かれているうちにどうもモチベーションが上がらず、それをまとめきる気力が湧いてこないという情けない状況なのです。

さて、今年は御柱祭ということもあり、先日、実家に帰省して、小宮の御柱祭に参加してきました。
諏訪大社本社のそれとは規模も大きさもまるで異なる小規模なものですが、やはり曳行にはそれなりの労力もいり、頑張って曳いたこともあって翌日には全身が筋肉痛になってしまいました。
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私はもともと人ごみが嫌いなので、お祭りもそれほど好きなのではありませんが、実家の老父母が地域の皆様にお世話になっていることもあって、こうした行事(地域の広域清掃や道作りなども含む)には出来る限り参加しようと思っています。
実際、近所の方々には老父母の見守りをお願いしておりますので、顔つなぎやご挨拶も兼ねて、というところでしょうか。
それでも、久しぶりに同級生や知人と出会うのは嬉しいもので、参加しながら話をしていると何だか遠く離れた時間を互いに過ごしていることさえも忘れてしまいますね。
故郷というものは本当にありがたいものだとしみじみ感じています。

ところで、このブログではちょっと場違いな感もありますが、次のようなネットの記事があったので紹介します。

「残業百時間で過労死、情けない」教授書き込み

これは、電通の新入社員の女性(当時24歳)が連日の激務がもとで自殺し、月に100時間を超す長時間労働がその原因とされて労災認定が降りたことに関するものです。

長谷川教授のニューズピックスへの投稿内容は次の通り(10月7日)。
「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。更にプロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。それでも駄目なら、その会社が組織として機能していないので、転職を考えるべき。また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき」

長谷川教授は、東芝やニトリの役員など実業畑で経験を積んだ後、同大学の教授に就任された方で、恐らくそうしたご自身の経験からこういう「感想」を書き込んだのでしょう。
こうした考え方があることは事実でしょうが、これを一般論に敷衍して24歳の新入社員に要求する見識はいかがなものかと思われます。
実際、当の長谷川教授は、「言葉の選び方が乱暴だった」「自分の過去の経験のみで判断し、今の時代にその働き方が適合かの配慮が欠けていた」などとして謝罪し、前言を取り消し削除しています。

世の中には様々な痛ましいことがありますが、自死・自裁はその中でも特にやりきれないものを感じます。
亡くなった当人はもとより、残された身内・友人・知人などへの影響は計り知れないものがあり、その喪失感や絶望感は埋めようもなく深く暗いものとなることでしょう。
この教授の不用意な発言はその意味でも言語道断であり、こういう人物に学問を授けられる学生には同情を禁じ得ません。

長谷川教授は61歳だそうですから、私とほぼ同年代です。
役員にまで上り詰め、教授に就任しているのですから、まずもって世間的には相当な成功者とみてよいのでしょう。
その人が、自分がこれまで歩いてきた(厳しい)道のりを振り返って述べた感想。
敢えて嫌な言い方をしますが、同年代以上の同じような経歴の人々からは(公には口にしないだろうけれども)一定の共感を得ているような気もしています。
私はこの方のような「成功者」では決してなく、会社人間としてはむしろ落伍者だったろうとは思いますが、虚心坦懐に考えればそのメンタリティには一致する部分もなくはないのです。
20歳半ばから40歳代まで、繁忙期は月200時間以上の超過勤務が連続することもしばしばあり、閑散期ですら22時前に退社することはほとんどなかった。
独身の頃は家に帰るのが面倒になり、そのまま会社に居続け、眠るのは机に突っ伏して20分くらい、などという、今振り返れば笑ってしまうほどブラックな勤務環境だったわけです。
もちろん、残業代が全額支払われるはずもなく、8割くらいはサービス残業でしたし、また(会社の状況を鑑みれば)それも致し方ないことだと諦めていました。2割でももらえるだけラッキーだと。

どうしてそんな非人間的な労働環境に耐えることができたのか。
一番大きな理由の一つは「周囲が皆そうだったから」なのではないかと思います。
今から40年くらい前のことですから、PCはおろかワープロさえも常時使える状況にはなく、コピーなども単価が高かったことから大量の資料複写には輪転機を使い、計算は電卓や算盤、資料は基本的に手書きと清書、外向けに出す正式な文書はタイピストに頼む、という感じで、生産性も今から考えればとてつもなく低かったため、とにかく人力・人海戦術で成し遂げるしかなかった。
そんな中で一緒に頑張るわけですから、長時間労働も一体感を以てみんなで頑張れたのです。一日中一緒の時間を過ごしたのですし。
それからこれも大きなポイントですが、そういう労働環境であることを先輩から受け継ぎ教えられる中で、それに耐えられるように息抜きをする方法を身に着けていったこと。
ちょっとした空き時間を見つけて眠ることはもちろん、本を読んだり、散歩に出たりという時間を作ることができました。
当時爆発的に売れ始めたウォークマンの存在はことのほかありがたいもので、厳しい仕事の空き時間に聴くブルックナーやマーラーやブラームスにだいぶ慰められたことを思い返します。
「無能」だの「バカ」だのと面罵されたり、目の前で稟議書を破られ丸められて顔にぶつけられたり、といったパワハラも、そうした空気の中で過ごしていることによって自然と「柳に風」と受け流せるようになり、いわば不感症の極致みたいな図太い神経になっていきました。

長谷川教授のことを「言語道断」と書きながら、私自身がもうこのていたらくです。
今でも時折、前の職場の仲間などと飲むことがありますが、そういうひどい勤務環境を肴に盛り上がることも多く、つまり、「酷い状況だったけれどもお互いよく頑張ったよな」という、修羅場を生き残ってきた者たち共通の傷のなめ合い、という状況になってしまいます。
その輪の中に入りつつも、今、その職場からドロップアウトして感ずることは、あれは一種のマインドコントロールではなかったか、ということです。

常軌を逸した激務の中に身を置きつつ、お互いにそうした環境の中で頑張っているという状況の中で、いつしかそのこと自体に疑問を抱かなくなる。それどころか、自分がこれだけ頑張っているのだから業績も伸びているのだ、このプロジェクトも成功するのだ、と考える。
これはある意味ではカルト集団の考え方なのではないでしょうか。
カルト宗教を外部から見ている人たちは、「なんというひどい環境に身を置いているんだ」と考え、身内はそれ故に何とかそこから引き離そうとしますが、カルトの中に入っている人たちは、そうした外部の人間を「信仰心に欠けた真の幸福を知らない哀れな連中」とみていたりして、相互の溝の深さは絶望的に深いものがあったりします。

カルト集団と会社を同列に見るのはいかがなものかとは思いますが、信者を外の世界と隔絶し情報を遮断して一つの方向に目的を収斂させるという意味では、あまり変わりはないのではないでしょうか。
少なくとも、ドロップアウトした私のような人間から見ればそういう共通点があるように感ぜられます。
第一、これは重要なポイントですが、冷静になって振り返ってみれば極めて非効率な仕事をしていたということが問題で、さらにいえばそれに対して疑問すら抱かなかったということ。
先に、厳しい勤務環境にあっても適当に息抜きをしたりしていた、と書きましたが、それは裏を返せば集中力がしばしば途切れていたということであり、長時間労働をすることに意義があったような錯覚に陥って、自らを慰めていた、ということでもあります。
恥ずべきことであったな、としみじみと思います。

恒常的な長時間労働の解消に関しては、以前からずっと問題視されており、労使共々解決に向けた方策を見つけることに余念がないかのようにも見受けられます。
少なくとも表面上はそうでしょう。
しかし、日本の企業文化は一朝一夕に変わるものではなく、さらに手繰れば封建時代の武家社会的な滅私奉公精神にまで行きついてしまうのかもしれません。
当時の御家人たちは、そもそも決まった労働時間などというものはなく、何か事があれば全てを擲って殿様の元に駆けつけなければならなかったという話を聴いたことがあります。その意味では24時間勤務であり、たとえ自宅に帰っていたにしても四六時中拘束され続けていたのであると。

そういうメンタリティからフリーになるためにはどうすればいいのか。
こういう悲しい事件を防ぐ根本的な解決策を、国や政府や会社はもとより、個々人が自分のこととして考えていく必要があるのかなとも思います。

辛かったら降りてしまえばいい。
降りてしまった私は(別の意味での辛さももちろんありますが)ある意味ではかなり清清した気分にもなっているのです。
ただ、それを新入社員に求めることも、またかなり酷なことではあるのかもしれません。
どうしたらいいのか、やはり途方に暮れてしまいますね。
マインドコントローから如何に覚醒するか。
個人の問題ではありつつも、やはり社会全体として考えるべきなのでしょう。

秋の気配 [日記]

ずいぶん長い間雨が続いていました。
今日は久しぶりに少し晴れ間が出たので、近所の里山に散歩に出かけました。
午前中にガスの点検などがあり、一日中家を空けるわけにはいかなかったので遠出はできず、それは無念でしたが、秋の気配を感ずることができたのは幸いでした。

桔梗。
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彼岸花
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黄色い彼岸花。
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そういえば陽もだいぶ短くなってきました。
秋分の日を過ぎたのですから、これからは冬至にまっしぐら。
ムラサキシキブの紫色の実も見かけるようになり、街路樹のイチョウもギンナンを落とし始めています。
もうすぐ金木犀の花の香も漂ってくるのでしょう。

毎年のようにこうして季節を感じながら、今年でとうとう私も還暦を迎えます。
これから先、どのくらいこうして季節を感ずることができるのか。
なぜか秋になるとそんなことを考えてしまいます。
やはり陽が短くなり冬に向かうことに対してセンチメンタルな気分に支配されるからなのでしょうか。

タグ:彼岸花 桔梗
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又吉直樹著「火花」 [日記]

とうとう関東地方も梅雨入りとなりました。
尤も、現在の小雨交じりの曇天は梅雨前線によるものではなく、高気圧の縁を回る(黒潮を上昇気流をたっぷり吸いこんだ)湿った空気の影響なのだそうですが。
紫陽花の花が存在感を増してきました。
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梅雨は鬱陶しいものですが、たまに覗く青空と紫陽花やクチナシや夏椿の花は、この時期でこそ味わえる安らぎなのかもしれませんね。
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ピース・又吉直樹氏の「火花」を読みました。

刊行された当時から興味はあったのですが、芥川賞騒ぎなどの影響で、何となく購読しようという気が薄れていたというのが正直なところです。
たまたま、義姉がこの本を購読し、面白かったからと連れ合いに貸してくれたものを私が又借りして読んだ、という、何とも失礼な顛末なのですが、この本は「当たり」だと思いました。
又吉氏は、太宰治をはじめとする、いわゆる「純文学系」の小説を中心とした大変な読書家であり、書評はもとより小説・随筆など執筆も精力的に行っていますが、「火花」を読んでみて、改めてその筆力に脱帽した次第です。
冒頭の
大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。熱海湾に面した沿道は白昼の激しい陽射しの名残を夜気で溶かし、浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏ませながら賑わっている。

という文章。
出だしから膨大な読書量によって育まれた小説的呼吸を感じさせますね。
全編にこうした一種華麗な小説的レトリックがちりばめられていて、文章を書くことに対する作者の並々ならぬ想いを表しておりました。

いわゆる「名文」とは、文章表現そのものを感じさせずに書かれている内容がすんなりと頭に入ってくるものをいう、という理は、以前から多くの文学者によって言われてきたことです。
つまり、レトリックなどのテクニックにおぼれた文章は、しばしばその修辞の方法論などに読者の目を向けさせてしまい、その文章の根本にある思想の伝達が疎かになる嫌いがある、ということなのでしょう。
これは、ある意味での真理なのだろうと思います。
事実、世の中には、ほとんど自分の文章テクニックに陶酔しながら書いているのではないか、というような鼻持ちならぬシロモノもたくさん出回っておりますし、また、半可通な読者がそれをほめそやすことでさらにつけあがる、という悪循環も見受けられます。
しかし、例えば大岡昇平の「野火」のように、全編にちりばめられた華麗なるレトリックが、その物語全体の迫真性をより高めている名文も存在するのです。
畢竟、そうしたレトリック・修辞法は、それを用いる人によって、文章そのものの質の高低をも変えてしまうものなのでしょう。使う人間の思想が低い位置にあるのであれば、いくら技巧的な修辞を用いても下卑た文章になってしまうのですから。

「火花」の地の文章は、私の感覚からすれば、文章表現面で見てやはりかなりの斧鑿の跡を感じさせます。
同じような情景を描いてもそれを感じさせない文章が数多くあることに鑑みれば、ある種の力みのようなものが見え隠れするような気がするのです。
それに比して、会話の文章のもつ躍動感や律動感はどうでしょう。
実に生き生きとしていて、この効果を生み出すために、わざわざ地の文をあのような表現にしたのではないかと思わせるほどです。

又吉氏の筆力は相当のものであり、私は引き込まれるようにして、正しく「あっという間に」読み終えてしまいました。
そして、「当たり」だと感じたわけです。

この小説は、「創造」という行為に憑かれた人たちの苦悩と葛藤、そしてある種のカタルシスを表現しています。
又吉氏が漫才師であることから芸人を主体として描かれておりますが、これは、「創造」や「表現」にかかわるアーティスト全てに当てはまることではないか。
新たなる「表現」を「創造」することが如何に困難で、真正のアーティストはそれがために塗炭の苦しみの中にいる。自己模倣に陥らないために、自分自身の築き上げた世界を自分の手で破壊しなければならない。それを躊躇なく実行に移すことのできる表現者こそが、未来に向けて、新たなる「創造」をなしとげることができるのでしょう。

恐らく「笑い」というものは、その意味で最も難しい題材の一つなのだろうと思います。
「悲劇」はある程度パターン化していても一定の観客の心をつかむことができるのかもしれませんが、「喜劇」においては常に新たなる笑いが求められます。
この小説の中でオマージュとなっている「いとしこいし」のような神様レベルにまで達すれば、それが一見ワンパターンのように見えても、ある意味で昇華された表現の一つとして讃えられるかもしれませんが、それは正に「稀有な事例」と申せましょう。
多くの若者が、例えばテレビやライブを観てお笑い芸人をめざし、その大半が挫折せざるを得ないのも、新たな「笑い」を生み出さなければらないというとてつもない難事に出くわし、そこで折れてしまうからなのかもしれません。
しかし、「笑い」というものの持つ「毒」の存在も閑却するわけにはいかない。
私たちが何気なく笑いながら見流しているお笑い芸の、底知れない深さに震撼とさせられたりもするのです。

この小説の主人公が「師匠」とあがめる神谷。
既存の価値観も含めてすべてのものを破壊した上に新しい笑いの世界を築こうとする、その崇高な想いには確かに心を打たれます。
恐らく常識的な面でこの人間にラポールできる人はいないと思いますが(私も当然そうです)、ここまで突き詰めた生き方自体にはやはり感動してしまう。
主人公もそのことがわかるからこそ、大きな葛藤を抱えながらも師匠を愛し続けるのでしょう。
それ故に、ラストの悲しみが一段と胸にしみます。
面白ければどんなことでもする、というこの主題の下りを読んだとき、私はなぜか故早野凡平氏を思い出してしまいました。
早野氏の師匠であるパン猪狩は、歯の治療を受けて入れ歯にしなければならないといわれた時、どうせなら上下を総入れ歯にし、コーヒーカップの縁のようにつなぎ目のない形態にしてくれと、真顔で頼んで歯科医に拒否されたそうですが、その弟子である早野氏もすごい。
とにかく舞台でウケることが何よりも大事だと固く信じていた早野氏は、ある時ふと大変な名案を思いつきます。
それは、目・耳・鼻・歯・両腕・両足を全て人工のものに変え、それを舞台でみんな取り外す、というもの。
自信満々で師匠に相談に行くと、しばらく考え込んでいた師匠は、確かにそれはウケるだろうがウケるのはそのとき一回限りだからやめておけ、とアドバイスしたそうです。

さて、観客にウケるためならなんでもする、という師匠の生き方に対し、主人公は強烈な憧れを抱きつつも、最後は極めて常識的な言辞を以て涙ながらに師匠を諌めます。
主人公の涙は、そんなふうに師匠を諌めなければならない自分のありように我慢ができずに流されたものなのかもしれません。

この本を読み終えたときに唐突に思ったことがあります。
それは、プロとエキスパートとの違い。
プロフェッショナルというのは、それを生業としその道の精進を目指す人たちであり、それ故にその道を踏み外したりましてや破壊したりなどということは決してしない。
しかし、エキスパートは違うのではないか。
己の目指す地点に行きつくためになら、どのようなことでもする。もしかすれば、これまで自分の築いてきた世界を破壊する可能性があろうとも、まだ見ぬ世界を目指そうとする。
つまり、この小説における神谷はエキスパートなのではないか、と。
そして、「創造」「表現」「芸術」などは、こうした、一種向う見ずなエキスパートたちによって新たな世界を切り開くことができたのではないでしょうか。
その意味では、私たちに感動を与え続けてくれる作品を生み出した芸術家はすべからくエキスパートであり、同時代的な中での調和を慮ろうとする職業的プロではないのかもしれませんね。

この小説は、口当たりのいい読みやすい文章表現の中に、そうした芸術の持つデモーニッシュな側面を描き出しています。
その意味では、正しく正当な意味における純文学なのではないでしょうか。
斧鑿の跡が見えると書きましたが、恐らくそれらは書き続けることによって自ずから姿を消していくもの。
又吉直樹氏には、これからも刺激的な小説を書き続けてほしいと、心から願う次第です。

火花 [ 又吉直樹 ]
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赤プリの跡地 [日記]

朝晩はまだまだ気温は低めですが、昼には真夏日となる日が続いています。
それでも湿度が低いせいか爽やかな暑さですから、気持ちよく散歩ができますね。

私の現在の職場近くで、旧赤プリの跡地に建設されていた複合商業施設の一部が今月の10日にオープンしました。

複合市街地「東京ガーデンテラス紀尾井町」開業 - グランドプリンスホテル赤坂跡地に

毎日の出・退勤時、この建設工事に面した道路を歩いていましたから、工事で歩道が狭くなったり、頻繁に工事車両が出入りしていたりと、まあ、正直に申し上げればかなりうんざりするほど迷惑なものでしたが、こうしてあらかた整備が終わると、さすがに見ごたえがあります。

清水谷公園への階段脇から施設への歩道も整備され、昼休みの散歩がてらちょっと足を踏み入れました。

これは「赤坂プリンス クラシックハウス」です。1955年の建築物とのことで、道路近くまで移転してきました。
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園内には小さな流れがしつらえられていて、かわいらしい滝もあります。
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シャクナゲの花も満開でした。
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一部にホテルである「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」を併設するものの、ビジネスタワーや商業施設がメインとなるようですね。

先日閉館が発表されたホテルオークラもそうですが、都心の歴史ある大型ホテルが閉館され、その跡地が複合商業施設に模様替えされるのは時代の趨勢なのでしょうか。
大都市のホテル業は、そのコストに見合うだけの収益をなかなか上げにくくなっていると聞きます。
公共交通機関の利便性が飛躍的に高まってきていることもあり、例えば東京を中心に考えた時、大阪や仙台までの地域は完全に日帰り圏内となっています。
つまり、ビジネス目的であれば泊付き出張にはならない。
また、単純な観光目的ですと、高級ホテルに泊まるモチベーションもそれほど高くはならず、高級ホテルとしての一流のサービスを提供したまま価格競争に勝ち残るのは非常に困難なのでしょう。

さて、新しい職場に転職して一年が経ちました。
いろいろなことがあったはずなのに記憶は断片的で、一年間というスパンで追うことができません。
振り返ってみれば、日々の生活に追われているだけで終わってしまった、つまり日々の「ルーチン」をこなすのみの生活に汲々としていたということなのでしょう。
つまり、「千曲川旅情の歌」の上っ面のままに、昨日が今日になりそして明日になっていく、ということ。
そこには当然に未来はなく、さらに現在すらもないのかもしれない。
時間が恐るべき速度で過ぎ去り、そして過去ばかりが積みあがっていくのでしょう。

久しぶりの更新だというのに、なんだかつまらない愚痴を書いてしまいました。

新たな一年は、啻に時間を費消するだけでなく、もう少し内面的な実りを探し求めて頑張りたいと思います。
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奥会津、三島町、柳津町 [日記]

大型連休の走りとなった4月29日から5月1日まで、連れ合いの実家である会津に帰省し、義妹夫婦の案内で、奥会津の三島町と柳津町に出かけてきました。

この、只見川の流域に位置する町は、冬場は名にし負う豪雪地帯(一説では、人が常住する地域としては世界一の積雪量なのだそうです)ですし、公共交通機関も只見線くらいしかないので、足をのばすのも少し考えてしまうところがありますが、春の頃はことさら生命力に溢れて美しい風景が広がります。
こちらに方に行ってみようか、という話になったのは、義弟から、三島町にある西隆寺(宝澤山西隆寺)の三十三観音(乙女三十三観音)のことを聞いたからです。
三島町の観光協会の説明は以下の通りです。
そもそも、西隆寺が作られたことの起こりは、弘仁2年(811年)に法相宗の僧、安竹という人が聖徳太子の尊像を松竹庵に安置したことから始まります。(場所は不明)その後貞元2年(977年)「銭森長者」と呼ばれた藤原保祐 が寺沢という地に松竹庵を新築し寺に改めました。そして明応元年(1492年)会津若松の天寧寺より開山傑堂禅師から7代の天附禅師の弟子、一気正元禅師に頼んで開山し、寺の名前は「宝澤山西隆寺」と改められ、曹洞宗に変わりました。その後文化13年(1816年)に現在地に再建され、今の姿に至ります。現在は23代禅苑弘佳和尚が住職としてつとめられています。

山門は小振りです。
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境内には、石工師の鈴木マリ子・るり子姉妹の手による三十三体の観音様が安置されており、これが実に清らかに愛らしい姿なのでした。
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小高い丘には翁草が花を咲かせておりました。
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因に翁草はキンポウゲの仲間で毒草です。

本堂の形態は曲屋です。
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内部は立派な折上格天井の伽藍となっています。
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お寺の裏手にお墓があって、その中を登っていくと裏山に鬼子母神があるとのこと。
せっかくなので登ってみようということになりました。
雨上がりの滑りやすい急坂を登ります。
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最初はこんな感じの穏やかな道でしたが、そのうちにつづら折りの急坂になり、足下もかなり悪くなってきました。
急斜面をトラバース気味に登る山道は、所々が崩れていて、かなり嫌らしいもの。
私の連れ合いと義妹は早々にギブアップして、結局、義弟と二人で登りました。
20分くらい頑張って登りつめると奥の院に到着。
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標高は500メートルをちょっと超えたくらいでしょうか。
しかし、山の頂上ですので、眺望はすばらしいものがありました。
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只見川沿いに新緑と山桜の花が映えています。

山頂には立派な観音像が建っていました。
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さらにここにも三十三体の観音様が安置されています。
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足下を見るとシャクナゲの花が咲いていました。
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これはアカヤシオでしょうか。
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道が悪くしかもぬかるんでいるので、下りは登り以上に嫌らしく慎重に足を運びます。
この鬼子母神までは、お墓の先に指道標が一つあるだけで、特に何の注意書きもありません。
私も義弟も、普通のスニーカーで登りましたから、やはりかなり足下に気を遣いました。
登山靴くらいを履いていればあまり問題はないのかもしれませんが、普通の短靴などで登るとかなり苦労をしますし、登り詰めの20分間の急登ですから、それなりの注意喚起は必要なように思います(感覚的には長靴が一番良いような気がします)。
鬼子母神にお参りするつもりで来て、転倒や滑落などの事故に見舞われたのではシャレにもなりません。
この辺は一考の余地があるのではないでしょうか。

さて、帰り道、せっかくなので、柳津町の虚空蔵尊に参拝しました。
連れ合いと結婚した頃に義父に連れて来てもらって以来ですから、もう四半世紀近くが経っています。
境内には、大きな赤ベコがありました。
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虚空蔵尊は、さすがに連休だけあって多くの参拝客がいます。
立派な本堂ですね。
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帰りに、虚空蔵尊名物の粟饅頭を買いました。
甘いものはあまり得意ではない私ではありますが、この粟饅頭は独特の舌触りが気に入っています。

4月29日に出かけ5月1日に帰宅したので、さすがに少し慌ただしい帰省でしたが、実家のお墓参りもし、甥ともいろいろ話が出来、奥会津にも出かけたのみならず、会津坂下の立木観音にもお参りできたので、非常に充実した休暇でありました。
4月29日は、朝4時30分くらいに家を出、5月1日は午前中に実家を出たので、ありがたいことに渋滞にも掴まらず、その点でも大満足です。

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熊本で震度7! [日記]

四月も中旬となり、ソメイヨシノの花は散ったものの、八重桜が見ごろを迎えています。
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ハナミズキも盛りとなりました。
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そんな春爛漫の折に、驚くべき大災害が勃発。

何と、熊本で震度7という大地震が発生しました。

最も揺れの大きかった益城町では倒壊や火事に遭った家屋が続出し、九州自動車道も一部で断絶や崩落が起きています。
この地震でお亡くなりになった方は現在のところ9名とのことですが、これ以上の被害が拡大しないことを祈るばかりです。

私は、1999年から2001年まで、熊本市に勤務しておりましたので、昨晩、NHKのニュースでこの地震の発生を知り、驚愕しました。

大切な友人がたくさんいますので、即座に連絡を取ろうと試みたのですが、当然のことながら電話はつながらず、とにかく無事を祈る事しかできませんでした。
それでも、何度か試みるうちに何人かの友人と連絡が取れ、昨晩はとうとう連絡が取れなかった人とも、今日の早朝に連絡が取れた次第です。
ありがたいことに、全員けがもなく無事でした。
ほっと安堵はしましたが、家の中はぐちゃぐちゃになってしまった、などの話を聴き、これからが大変だろうと胸が痛む思いです。

地震直後の混乱の中で電話をかけるなど、考えてみれば非常識な話で、いくら狼狽えていたとは云い条、相手方には大変なご迷惑をかけてしまいました。
そのことを、今朝、落ち着いてからお詫びしたのですが、心配してくれてうれしかったと、社交辞令かもしれませんけれども応えていただき、今さらながらに友人たちの優しさに感謝しております。

私ども夫婦は、一組だけですが仲人を務めさせていただいた経験があり、その貴重なカップルが熊本に在住しています。
40台に差し掛かる働き盛りで、一昨年に新居を構えたばかり。
真っ先にこの夫婦と連絡を取ったのですが、ご主人はたまたま鹿児島出張中で、奥様と二人のご子息がダイニングテーブルの下に身を寄せて余震をやり過ごしたそうです。
100回を超える余震が続く中、明け方までは長い時間がかかったと思いますが、今朝ほどメールがきて、「主人が不在で不安を感じている中、お電話を頂き心強かった」と書かれていました。
また、不幸中の幸いながら、新居への被害も全くなかったとのこと。もちろん、ご自身もご子息も無事。
これを読んで不覚にも涙にくれてしまいました。

南九州でこれほど大きな地震が起きたのは、私は寡聞にして知りません。
もともと巨大な火山帯で形成されていて、各地に断層も走っていますから、このような地震があってもおかしくなかったのかもしれませんが、やはり大変意外に感じました。
余震の多さが非常に不気味で、群発の虞も考えられるように思います。
何とかこれ以上の被害の拡大がないことを、そして、被災された皆様が一日も早く「普通の」「当たり前の」生活に戻られますことを、心よりお祈りしてやみません。

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