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モーツァルトのレクイエム、ホグウッド&エンシェント室内管弦楽団&合唱団 [音楽]

気温の変化の激しい日が続きます。
今日は少し暖かくなっているようですが、気温の変化が激しいと、どうしても体調を崩しがちになってしまい、先日還暦を迎えたこともあって、さすがにきついなと感じています。

モーツァルトレクイエム
長らくジュースマイヤーによる補作版による演奏が一般的でした。
私も、何度かこの曲の演奏には参加してきましたが、もちろんジュースマイヤー版です。
ジュースマイヤーによるオリジナル(SanctusやBenedictusなど)はいうに及ばず、モーツァルトの真筆とジュースマイヤーの加筆が施された部分においても、両者の違いは明らかで、その点での違和感はもちろんありますが、ジュースマイヤーの仕事は決していい加減なものではなく、モーツァルトの残した指示などに基づいてどれほど忠実に真摯に向き合っていたかがひしひしと伝わりますし、何よりもこの曲を、きちんとしたカトリック典礼の形に整えて後世に伝えた功績は大なるものがありましょう。
モーツァルトの絶筆となったLacrimosa。8小節目で途絶えた師のあとを繋いで彼が完成させました。
別宮貞雄氏などは「この甘美といえるほどの旋律で始まるLacrimosaを、ジュスマイヤーはなんとか平凡ではあるが、ひきのばして終わらせている」と酷評していますが、私は、この曲を歌いながら、そのジュースマイヤーの想いを忖度し何度もこみ上げてくるものをあらがうことが出来ませんでした。
8小節までの、奇跡的に美しい旋律を、懸命に守ろうとしたひたむきなジュースマイヤー。それが最も如実に表れていると私は思います。これを「平凡」に「ひきのばし」たとは、あまりに酷い言い方だな、と。

この版の定番中の定番はベーム&ウィーン・フィルによる演奏です。

私感ではありますが、この演奏ではジュースマイヤーの手の入っている部分、殊にAgnus Dei以降が素晴らしく、私は強く心を奪われました。

しかし、個人的なお勧めということであれば、リヒター&ミュンヘン・バッハによる演奏を挙げたいと思います。

何という真摯な演奏でしょう。
正にリヒター&ミュンヘン・バッハの真骨頂というべき演奏ではないかと思います。

そのモーツァルト・レクイエムの版問題に対する活性化の端緒の一つとなったのが、「ホグウッド&エンシェント室内管弦楽団&合唱団、ウェストミンスター・カテドラル少年聖歌隊」による1983年の演奏録音です。


この演奏・録音には、校訂を行ったイギリス音楽学者リチャード・モーンダー氏ご自身が参加しており、完璧を期そうとした意気込みが見て取れます。
古楽器・小編成、声楽はビブラートを抑え、長らく主流を占めてきたロマン派的な演奏とは一線を画すものであり、想像ではありますが、恐らくモーツァルトの生きた時代の音はこのようなものであったろうと感じさせます。
一番の特徴は、1961年にヴォルフガング・プラートによって発見された「Amen fuga」を、恐らくこのレクイエムのために作られたものと判断し、Lacrimosaのあとに独立して配置したことでしょう。
これはまさに驚くべき壮麗な曲であり、このフーガを聴くだけでも、この盤の存在意義はかなり高いものがあると、私は考えます。
因にそのスケッチは以下の通りです。
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この「Amen fuga」を見ると、モーツァルトが、Lacrimosaで一つの区切りをつけ改めてOffertoriumの「Domine Jesu」を始めようとしたことがわかります。
つまり、Introitus(入祭唱)、Kyrie、Sequenz(続唱)、Offertorium(奉献唱)、Sanctus(聖なるかな)、Agunus Dei(神の子羊)、Communio(聖体拝領唱)という、鎮魂曲の様式に沿うような構成を企図したのでしょう。
モーツァルト晩年の傑作アヴェ・ヴェルム・コルプスが美しい和声を響かせる合唱曲であるのに対し、この曲が対位法の極致といもいうべきポリフォニーのめくるめく世界を展開させるのも、ある意味、カトリック典礼に則った厳格なレクイエムの形を目指した創作意図によるものであるからなのかもしれません。

しかし、モーツァルトはついにSanctusを作ることができなかった。
そのためジュースマイヤーはこの部分を創作したのですが、ジュースマイヤーが手を入れた部分はモーツアルトの真筆とは認められないとするモーンダーのクリティカルな方針から、SanctusやBenedictusなどは割愛しています。
従ってこの演奏は様式的にカトリック典礼から外れたものとなりますから、モーツァルトにこの曲を依頼したヴァルゼック伯爵の注文を満足するものにはなりえなかったと思います。
その意味からすれば、やはりジュースマイヤー版の価値は十分に評価されるべきでしょう。

とはいえ、今日、この曲をカトリック典礼に則った宗教曲としてのみ聴くことはほとんどないものと思われますし、従って、あくまでもモーツァルトの残した芸術の一つとして考えるのであれば、最も原点に近い姿を再現しようとの想いを以てこうした版を校訂する意義はあると思います。
尤も、モーツァルト自身が、この校訂版をどのように評価するのか、こればかりはわかりませんが。

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仮名手本忠臣蔵 [音楽]

昨日までの小春日和が一転、冷え込みが厳しくなっています。
快晴の空は誠に美しく清々しい限りですが、風も強くてさすがに身に応えますね。
風邪やインフルエンザの流行は予想以上に猖獗を極めていて、私の職場でも罹患して休む人が急増しています。
私もまだ完全には風邪が抜け切ってはおらず、だましだまし出勤しているような状況で、何ともやりきれないものを感じますね。

三宅坂にある国立劇場は、今年、会場50周年を迎えました。
記念公園が目白押しの中、先日、文楽「仮名手本忠臣蔵」を観てきたところです。
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長尺の演し物なので、大序から六段目までを第1部、七段目から十一段目を第2部として、分けて上演されることが多いのですが、今回は通しでかけられました。
ただ、時間の都合もあって、私は第1部(大序から六段目)までしか観ることができず、その点はいささか残念でしたが、それでも、朝の10時30分から短い休憩を二回はさんで16時過ぎまでかかるのですから、見ごたえは十分です。
しかもこの中には「塩冶判官切腹(四段目)」「早野勘平の腹切り(六段目)」など、涙なくしては観られない名場面もありますし。
1966年に建てられた国立劇場の客席の椅子のすわり心地はあまりよくなく、長い時間座っているとお尻が痛くなるのですが、それでも時間を忘れて舞台に見入っていました。

仮名手本忠臣蔵自体は、正しく人口に膾炙された演し物ですから、内容についてわざわざ記す必要もないことでしょう。
「芝居の独参湯」とも呼ばれ、経営難に陥った芝居小屋でも、これをかければ大入り満員、一気に黒字に転換といういわば打ち出の小槌みたいな演目ですから。

幕藩体制の中で、幕政にかかわる演目をそのままかけるのはご法度だったこともあり、時代を足利将軍時代に移し替え、四十七士をいろは仮名47文字で暗喩した「仮名手本」という名前を付するという、なかなかに気を使った背景もありますが、もちろん当時の観客も題材となっている事件を念頭に楽しんだわけで、足利将軍時代にはなかった鉄砲が出てきたり、暦応では生まれてすらいなかった世阿弥作の「高砂」が出てきたりと、時代背景はむちゃくちゃです。
まあ、幕府も、体裁だけは暦応年間ということにしてあるし、登場人物も足利直義や高師直にしてあるからお目こぼし、ということなんでしょうね。
あまりうるさいことを云って民草の楽しみを奪ったり反感を買うのは得策ではないと考えたのでしょうし。

私は活字としての浄瑠璃が好きで、文楽そのものについてはさほどの知識を持たないのですが、それでもこうして舞台で人形の動きを観つつ太棹と義太夫語りを聴くのは楽しみの一つです。
今回の演し物は浄瑠璃中でも大作なので、大夫も三味線もたくさんの演者が任に当たりました。
若い方々もたくさんおられ、こうした伝統芸能を受け継ごうとする確かな流れがあることもうれしく思った次第です。

さて、舞台の方ですが、やはり六段目の勘平の腹切りには参りました。
話の筋を知っていても、泣けて泣けて仕方がありません。
終わった後に連れ合いの感想を聞くと、眠っていてよくわからなかったといいます。
おいおい、それはないだろうと難詰したところ、連れ合いの隣に座っていた、いかにも観劇慣れしたように見える和装のご婦人もずっと寝ていたよ、といいます。
それを聞いて、もったいないことだなとは思いましたが、浄瑠璃も音楽の一つですから、素晴らしい演奏を聴きながら眠るのもそれはそれでいいことかもしれませんね。

久しぶりの文楽の実演を観ましたが、人形の演技はもとより大夫や三味線などの音曲も十分に楽しめ、第1部だけとはいいつつも大変満足しました。
ただ、これは私だけの感覚なのでしょうが、人形遣いが素面・裃で操る姿にどうしても違和感を感じざるを得ません。
せっかく人形が絶妙な演技をしているのに、その人形に寄り添う人の顔がそのまま見えたのでは興覚めに思えるのです。
やはりこれは黒子であって欲しいな、と。

帰り道、赤坂プリンスのクラシック・ハウスに立ち寄りました。
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せっかくなので、中に入ってお茶を飲んだのですが、良い雰囲気の割には価格もコーヒーが一杯500円と、比較的リーズナブルでおすすめです。

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マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送響によるマーラーの交響曲第9番 [音楽]

小春日和が来たと思ったら真冬並みの寒さが到来するという、この時期特有の不安定な天候が続き、天城山行前から引いていた風邪がなかなか抜けません。
熱も大して出ていなかったので、気合で治す!とばかりに頑張ったのが裏目に出ました。
結局、先週の土曜日、近くの総合病院に出かけ、抗生物質や炎症止めの薬を処方してもらって何とか落ち着いたというところです。
連れ合いや妹などにいわせれば、「還暦にもなれば若いころとは違って自力で治すことなんかできないんだから、最初からおとなしく病院に行けばよかったのに」との、全く仰る通りの御託言。
肝に銘じている次第です。
お昼の楽しみであったウォーキングも、そんなわけで自重していたのですが、昨日久しぶりに出かけてみると、既に晩秋の趣でした。
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公孫樹の黄葉がまぶしい限りです。

さて、いささか古いご報告となりますが、11月27日の日曜日、マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送響によるマーラーの交響曲第9番を聴いてきました。
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このコンビによるサントリーホールの公演は、おととしのちょうど今頃、連れ合いと一緒に聴きに行って以来です。
今回は、クラシック音楽を通じ、それも共にマーラー好きということで長年の付き合いとなっている友人と二人で出かけました。
友人は神戸でのこのコンビによる同曲の演奏を既に聴いているとのことで、「すごいですよ!」と私をたきつけます。
それでなくてもマーラーの交響曲の中で(選ぶのは非常に悩ましいのですが)一番好きな第9番を、あの「ヤンソンス&バイエルン放送響」の実演で聴くことができるのです。
風邪で具合は最悪でしたが、そんなものはどこかに忘れてしまうほど、聴く前から興奮してしまいました。

サントリーホールは入口から混雑していて、会場もほぼ満席。
「今回の演奏では途中休憩はありません」としつこいほどの場内放送があり、それを受けてか、男性の手洗いまで長い列ができていました。

チェロとハープに導かれてホルンの物憂げな旋律で始まるAndante comodoの第1楽章が始まると、場内には適度な緊張感を伴う安らぎの時間が流れ始めました。
さざ波のようなビオラに導かれて第2ヴァイオリンが主題を提示し始めると、正にため息をつかんばかりの弦の美しさに陶然とさせられます。

この楽団の弦の素晴らしさは云うまでもないことですが、今回の演奏では特に金管の美しさに瞠目しました。

特にトランペット!
第9番の中で、私は第3楽章に一つのキーポイントを感ずるのですが、この楽章の抒情的な中間部のトランペットの音色(殊に350小節から始まる第1トランペットのソロ)の澄み切って悲しみをたたえたような音が、いまだに耳朶を離れません。
これは本当にトランペットの音なのだろうか?
何というのか黄泉の国から響いてくる天使の歌声(もちろん想像の産物ですが)のような感じさえ受けました。
この主題は終楽章においてさらに大きな広がりを見せて展開されるのですが、その先取りであるこの楽章での現れ方に、改めて深い感動を覚えたところです。
もちろん、複雑で精緻な対位法によって目くるめく展開される第3楽章の荒々しい表現とのコントラストがあればこその美しさではありますが、実演はもとより、CDやレコードでも、これほど美しいトランペットの音色に接したことはありません。
これを聴けただけでも私にとっては得難い演奏会となりました。

この曲、ワルター&ウィーン・フィルによる初演、バルビローリ&ベルリン・フィル、バーンスタイン&ベルリン・フィル、ノイマン&チェコ・フィル、大植英次&NDRなどなど、正に枚挙の暇もないほど数々の名演奏録音が残されています。
実演でも取り上げられる機会が多い曲の一つでしょう。
そうした中でも、今回の演奏は間違いなく最上位のものの一つと感じました。

それから、以前も書いたのですが、この日の聴衆も大変素晴らしい鑑賞態度でした。
演奏中の集中度合いは云うに及ばず、終楽章の最後の弦の最弱音が消えてホール内の残響が収まり、ヤンソンスが両手を下して肩の力を抜くまで、皆固唾をのんでその瞬間を見守っていたのです。
その後、まさに割れんばかりの拍手とブラボーの嵐。
ヤンソンスは何度もアンコールを受けて舞台に戻され、観客の熱い声援に応えていました。
オーケストラが引き上げた後も、ヤンソンスは一人舞台に戻り、何度も挨拶を返します。
こういう素晴らしい大団円は、何度接しても気持ちのいいもので、実演の感動をさらに高めてくれるものでしょう。

なお、今回の公演ではアンコール曲の演奏はありませんでした。
あのマーラーの第9番を、これだけのエネルギーと情熱を以て演じきった指揮者とオーケストラに、そんな余力など残っていようはずもなく、また、この素晴らしい演奏の後にどのようなアンコール曲を持ってきても、所詮それは蛇足に終わってしまうのではないでしょうか。
アンコールを求める拍手もありましたが、私としては「無し」で大いに納得です。

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伊豆、八丁池 [山登り]

都心に雪が降りました。
11月の初雪は1962年以来なのだそうです。54年ぶりとのことでした。
私の生まれ故郷では11月の降雪は当たり前のことでしたから、はあ、そんなものかというのが正直なところですが、考えてみれば、暦で上では冬ながら、11月はまだ秋の部類なのですね。
今年の8月以降、関東地方は晴天率の異常に低いお天気が続きましたが、極めつけがこの降雪なのでしょう。
酷いシーズンですね。

先週末、宮崎の山仲間が仕事の関係で上京し、ついでなのでどこか山に行きたい、可能であれば伊豆方面をお願いしたい、とのオファーを受けました。
伊豆の天城山に行ったのはもう30年以上も前のことで、私自身かなりのご無沙汰でありましたから、これをいい機会に出かけることとしました。
天城高原ゴルフ場からのピストンではあまりにも安易すぎるし、せっかく宮崎から来るのだから天城隧道や浄蓮の滝もご案内したい。
といわけで、八丁池に天幕を張る計画としました。
19日の土曜日、早朝に都内を出て、東名・新東名・伊豆縦貫自動車道などを経由して天城峠前の水生地駐車場に車をデポして八丁池にベースを張り、万三郎・万二郎岳を往復する、というものです。

ところがあいにく天気予報では19日のみ雨天。
それも、所によっては相当激しい降りになるようです。
伊豆半島の、それも天城方面はとりわけ雨脚が強くなるような予報で、「どうしたもんじゃろのう(古い)」とため息をつきました。
山仲間に確認すると、やはりできれば行ってみたいとのこと。
雨の予報の19日も、午後になれば雨脚も弱まる可能性が無きにしも非ずで、せっかくだから八丁池での幕営までは実行しようという結論に達しました。

19日の朝6時、雨の中を出発。
幸い高速道路は渋滞もなく、順調に湯ヶ島方面に進みます。
雨は間歇的に激しくなり、あまり早い時間に登り始めても辛いので、先に浄蓮の滝の見物をします。
時間が早いこともあって、駐車場はガラガラ。
混み合う観光スポットにもかかわらず、余裕で見物できました。
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道の駅「天城越え」で腹ごしらえをし、水生地下の駐車場に向かいます。
ここもガラガラです。
崩落に伴う旧道の工事で、水生地までの旧道は歩行者も通行止めとなっていて、天城峠経由で登ることとなります。

天城峠のバス停から登り始めます。
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これが有名な天城隧道。今でも現役です。
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登りには「上り御幸歩道」をとりました。
雨の降る中を黙々と登っていくと、ブナの巨木が霧の中に浮かんできます。
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ヒメシャラの巨木も圧倒的な迫力でした。
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それほど厳しい登りではありませんが、何しろ結構な雨の中、かつガスもかかっているので、久しぶりの重荷はかなり応えます。
かつ、地形的に尾根筋がはっきりしていないこともあって、踏み跡が定かではなくなり、しばしば行く先を探す羽目に陥りました。
遊歩道のつもりで歩くと、こうした悪天時は困惑するかもしれませんね。

ようやくの想いで展望台分岐にある手洗いに到着。
この手洗いは水洗で、非常に清潔な管理がなされていました。

そこから10分ほど下って、待望の八丁池に到着。

私たち以外には誰もいませんでした。
というより、天城隧道から先、ここまで誰にも会わなかった、というのが正解ですが。

早速、天幕を張り、それぞれの寝場所をこしらえてしばし休息(昼寝)。
16時過ぎから、晩飯(というより宴会ですね)の用意を始めます。

天城峠から八丁池までは水場はありません。
また八丁池にもないので、水は私が3リットル担ぎ上げました。
その他にワインとビール、そして食料と天幕一式を担いできたので、ちょっと腰に痛みが来てしまった次第です。
仲間は、期待通り宮崎の芋焼酎を持参してくれましたから、他に誰もいないその夜の八丁池では心置きなく宴会を楽しめました。

いつしか雨も上がり、真夜中には降るような満天の星と下限の月が輝いています。
心霊スポットとの噂もある八丁池が、その月明かりを映して実に幻想的でした。

翌朝は雲一つない晴天!
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時間さえあれば天城連山に行けるのですが、山仲間たちは今日の最終便で帰らなければならないため、無念ながらここから引き返します。

因みにこれがわれらのねぐら。
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空には下限の月が浮かんでいます。
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ところで八丁池の水はどんな感じかというと、こんなふうです。
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到底そのまま飲む気にはなりませんね。
どうしても必要になったら、コーヒーフィルターで濾して煮沸することで用いることもできそうですが、さすがにそこまでするのか、という感じです。

ここにも素晴らしいブナの巨木があります。
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楓の紅葉も真っ盛りでした。
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展望台からは富士山や南アルプスをはじめとする広闊な展望が広がります。
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池のほとりに、われらが仮住まいの姿もありました。

池の周りをゆっくりと楽しんでいると、ぼつぼつ登山者が登ってきます。

我々も神輿を上げることとし、下り御幸歩道に足を進めます。

お天気が良いこともあるのでしょうが、昨日とは打って変わって歩きやすい道が続きました。
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こちらもブナやヒメシャラの巨木がそこかしこに林立しています。
伊豆の山がこんなにブナなどの巨木に恵まれていたとは、恥ずかしながら以前訪れた時にはほとんど気づきもしませんでした。
こういう巨木に目が行くようになったのは、もしかするとある程度年を重ねたからなのかもしれません。
若い頃はとにかくがむしゃらに頂上を目指すという感じでしたから、ゆっくり周囲を見渡す余裕もなかったのでしょう。

紅葉も素晴らしい輝きです。
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林道に出ると広場となっていました。
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美しい紅葉を眺めながらしばし休憩。

あとは林道をぶらぶらと歩き下ります。
旧道に出ると、水生地方面は通行止め。
旧道を天城隧道まで戻ります。
これが緩い登りで、ちょっと応えましたね。

今日は素晴らしいお天気に恵まれたせいか、たくさんの登山者や観光客の姿がありました。
水生地下の駐車場も満杯。
雨の中の登りはきついものがあったものの、降るような星空と雲一つない晴天を私たちだけが楽しめたことに感謝しつつ、帰路につきました。
天城連山はまたの機会に取っておくので、その際にはまたよろしくという山仲間のオファーに嬉しく答えながら、羽田に向けて車を走らせたところです。


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雨山峠から鍋割山 [山登り]

このところ晴れ間が長続きしないお天気が続きます。
今日も、朝のうちは晴れていましたが、午後からは厚い雲が張り出してきました。

昨日、久しぶりに山に出かけました。

今回は同行者があり、前の職場において仕事関係にあった若い友人です。

天気予報によると関東地方はまずまずのお天気なのに、神奈川県西部は雲が多くはっきしない空模様とのことでした。
新松田に向かう小田急線の車窓から見ても、重苦しい厚い雲が垂れ込めていて、丹沢の主稜は完全に雲の中です。
酷い雨にならなければいいなと祈りつつ、寄行きのバスに乗りました。
バスは登山者でほぼ満員。終点の寄まで一度も停車することなくさながら直行便のようでした。
その登山者のほとんどは栗ノ木洞経由で鍋割山に登るか、ジダンゴ山に向かい、車道を歩いて寄大橋まで向かったのは私たち二人だけ。
どうやら静かな山行が望めそうです。

寄大橋までの車道、約3kmを黙々と歩いていきますが、犬を連れた散歩の人以外、こちらに向かって歩いている人は皆無でした。車も二台が走っていったきり。
確かにお天気は今一つですが、秋の行楽シーズンの土曜日とは思えない状況です。

寄大橋は工事中でした。
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ここの駐車スペースには数台の車が止まっていました。

寄自然休養村管理センターです。
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寄沢沿いの林道をしばらく行くと、滝郷の滝があります。
寄沢を右岸にわたって見物しました。
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林道の突き当りから指導票に導かれて雨山峠への登山道に入りますl。
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寄沢を右へ左へと渡りながら登ると、右岸に這い上がったところに釜場平があり、ベンチもあります。
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そこから尾根を渡り、右にコシバ沢を分けると雨山峠まではもう少し。
寄沢本流の源頭あたりから雨山峠までは素敵な滑床が続きます。
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ガスっていて小雨も降っていましたから写真はあまり良く撮れていませんが、ガスの中の雰囲気もなかなかのものでした。

ここから鍋割峠までが、本日のハイライト。
鎖場が連続する急登となります。
ガスと雨で足場も悪く、写真の写りも今一つだったため、鎖場の写真は撮れませんでしたが、それほど悪いわけではありません。
ただ、こういう悪天候時には体力の消耗が激しいのでその点だけは注意が必要です。

鍋割峠に到着。
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ここから急登しばしで鍋割山に到着です。
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これまでの静かな山行とは大違いの大混雑ぶりでした。
「名物」の鍋焼きうどんも飛ぶように売れているようですが、きっと大変な待ち時間がかかることでしょう。
我々は、山頂付近の喧騒を避けて小屋の裏側に回り、昼食をとりました。

天気が良ければ塔ノ岳に登って大倉尾根を下ろうとも思いましたが、眺望も全くなく小雨そぼ降る状況でしたので、後沢乗越経由で二俣に降りることにしました。
こちらの道は鍋割山へのメインルートですから、予想はしていましたが大変な数の登山者が押し寄せてきます。
もちろん下る人もいるので、丹沢らしい混雑が続き、そのさなかを淡々と下りました。

後沢乗越では大勢の中高年男性登山者がたばこを吸って大休止をしています。
挨拶をしてそのまますり抜けました。
暫く下って、後沢乗越を振り返ります。
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ここから大倉までは、またまた静かな山歩きとなりました。
二俣からの林道歩きには少々うんざりさせられるものの、人がいないのは最高ですね。
歩いている途中でトリカブトの花を見つけました。
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大倉のバス停に着くと、やはりものすごい人だかりです。
メインルートは、きっとかなりの混雑だったことでしょう。

鍋割山という、表丹沢でも屈指の人気を誇る山でも、ルートによっては静かな山行が楽しめます。鍋割山までの登りで出会ったのは4パーティだけでした。

一緒に登った若い友人は、少林寺拳法の有段者で、日頃からトレーニングも欠かさないとのこと。
おかげで、非常に良いペースを保つことができ、先の4パーティも含め、出会ったすべてのパーティを追い抜いてしまいました。
休憩を含めて全行程で6時間の山歩きとなりましたが、久しぶりに充実した山行となり、若い友人も大満足の様子。
これでまた仕事を頑張れます!と嬉しい感想を述べてくれました。

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長時間労働の末の自裁 [日記]

10月も中旬となりました。
気温も低くなってきて、秋も深まった感が致します。
しかし、秋の抜けるような青空は、首都圏では縁遠く、8月下旬からこのかた、ずっとどんよりとした鬱陶しいお天気が続いています。
今週末は久しぶりに晴天が訪れるようですが、いかがでしょうか?
因に、今夜は久しぶりに美しい月が浮かんでいました。

このところこのブログの更新を怠っており、それと軌を一にするが如く皆様のブログへの訪問もおろそかになってしまいました。
記事にしたいことはあるのですが、様々な雑事に取り巻かれているうちにどうもモチベーションが上がらず、それをまとめきる気力が湧いてこないという情けない状況なのです。

さて、今年は御柱祭ということもあり、先日、実家に帰省して、小宮の御柱祭に参加してきました。
諏訪大社本社のそれとは規模も大きさもまるで異なる小規模なものですが、やはり曳行にはそれなりの労力もいり、頑張って曳いたこともあって翌日には全身が筋肉痛になってしまいました。
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私はもともと人ごみが嫌いなので、お祭りもそれほど好きなのではありませんが、実家の老父母が地域の皆様にお世話になっていることもあって、こうした行事(地域の広域清掃や道作りなども含む)には出来る限り参加しようと思っています。
実際、近所の方々には老父母の見守りをお願いしておりますので、顔つなぎやご挨拶も兼ねて、というところでしょうか。
それでも、久しぶりに同級生や知人と出会うのは嬉しいもので、参加しながら話をしていると何だか遠く離れた時間を互いに過ごしていることさえも忘れてしまいますね。
故郷というものは本当にありがたいものだとしみじみ感じています。

ところで、このブログではちょっと場違いな感もありますが、次のようなネットの記事があったので紹介します。

「残業百時間で過労死、情けない」教授書き込み

これは、電通の新入社員の女性(当時24歳)が連日の激務がもとで自殺し、月に100時間を超す長時間労働がその原因とされて労災認定が降りたことに関するものです。

長谷川教授のニューズピックスへの投稿内容は次の通り(10月7日)。
「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。更にプロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。それでも駄目なら、その会社が組織として機能していないので、転職を考えるべき。また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき」

長谷川教授は、東芝やニトリの役員など実業畑で経験を積んだ後、同大学の教授に就任された方で、恐らくそうしたご自身の経験からこういう「感想」を書き込んだのでしょう。
こうした考え方があることは事実でしょうが、これを一般論に敷衍して24歳の新入社員に要求する見識はいかがなものかと思われます。
実際、当の長谷川教授は、「言葉の選び方が乱暴だった」「自分の過去の経験のみで判断し、今の時代にその働き方が適合かの配慮が欠けていた」などとして謝罪し、前言を取り消し削除しています。

世の中には様々な痛ましいことがありますが、自死・自裁はその中でも特にやりきれないものを感じます。
亡くなった当人はもとより、残された身内・友人・知人などへの影響は計り知れないものがあり、その喪失感や絶望感は埋めようもなく深く暗いものとなることでしょう。
この教授の不用意な発言はその意味でも言語道断であり、こういう人物に学問を授けられる学生には同情を禁じ得ません。

長谷川教授は61歳だそうですから、私とほぼ同年代です。
役員にまで上り詰め、教授に就任しているのですから、まずもって世間的には相当な成功者とみてよいのでしょう。
その人が、自分がこれまで歩いてきた(厳しい)道のりを振り返って述べた感想。
敢えて嫌な言い方をしますが、同年代以上の同じような経歴の人々からは(公には口にしないだろうけれども)一定の共感を得ているような気もしています。
私はこの方のような「成功者」では決してなく、会社人間としてはむしろ落伍者だったろうとは思いますが、虚心坦懐に考えればそのメンタリティには一致する部分もなくはないのです。
20歳半ばから40歳代まで、繁忙期は月200時間以上の超過勤務が連続することもしばしばあり、閑散期ですら22時前に退社することはほとんどなかった。
独身の頃は家に帰るのが面倒になり、そのまま会社に居続け、眠るのは机に突っ伏して20分くらい、などという、今振り返れば笑ってしまうほどブラックな勤務環境だったわけです。
もちろん、残業代が全額支払われるはずもなく、8割くらいはサービス残業でしたし、また(会社の状況を鑑みれば)それも致し方ないことだと諦めていました。2割でももらえるだけラッキーだと。

どうしてそんな非人間的な労働環境に耐えることができたのか。
一番大きな理由の一つは「周囲が皆そうだったから」なのではないかと思います。
今から40年くらい前のことですから、PCはおろかワープロさえも常時使える状況にはなく、コピーなども単価が高かったことから大量の資料複写には輪転機を使い、計算は電卓や算盤、資料は基本的に手書きと清書、外向けに出す正式な文書はタイピストに頼む、という感じで、生産性も今から考えればとてつもなく低かったため、とにかく人力・人海戦術で成し遂げるしかなかった。
そんな中で一緒に頑張るわけですから、長時間労働も一体感を以てみんなで頑張れたのです。一日中一緒の時間を過ごしたのですし。
それからこれも大きなポイントですが、そういう労働環境であることを先輩から受け継ぎ教えられる中で、それに耐えられるように息抜きをする方法を身に着けていったこと。
ちょっとした空き時間を見つけて眠ることはもちろん、本を読んだり、散歩に出たりという時間を作ることができました。
当時爆発的に売れ始めたウォークマンの存在はことのほかありがたいもので、厳しい仕事の空き時間に聴くブルックナーやマーラーやブラームスにだいぶ慰められたことを思い返します。
「無能」だの「バカ」だのと面罵されたり、目の前で稟議書を破られ丸められて顔にぶつけられたり、といったパワハラも、そうした空気の中で過ごしていることによって自然と「柳に風」と受け流せるようになり、いわば不感症の極致みたいな図太い神経になっていきました。

長谷川教授のことを「言語道断」と書きながら、私自身がもうこのていたらくです。
今でも時折、前の職場の仲間などと飲むことがありますが、そういうひどい勤務環境を肴に盛り上がることも多く、つまり、「酷い状況だったけれどもお互いよく頑張ったよな」という、修羅場を生き残ってきた者たち共通の傷のなめ合い、という状況になってしまいます。
その輪の中に入りつつも、今、その職場からドロップアウトして感ずることは、あれは一種のマインドコントロールではなかったか、ということです。

常軌を逸した激務の中に身を置きつつ、お互いにそうした環境の中で頑張っているという状況の中で、いつしかそのこと自体に疑問を抱かなくなる。それどころか、自分がこれだけ頑張っているのだから業績も伸びているのだ、このプロジェクトも成功するのだ、と考える。
これはある意味ではカルト集団の考え方なのではないでしょうか。
カルト宗教を外部から見ている人たちは、「なんというひどい環境に身を置いているんだ」と考え、身内はそれ故に何とかそこから引き離そうとしますが、カルトの中に入っている人たちは、そうした外部の人間を「信仰心に欠けた真の幸福を知らない哀れな連中」とみていたりして、相互の溝の深さは絶望的に深いものがあったりします。

カルト集団と会社を同列に見るのはいかがなものかとは思いますが、信者を外の世界と隔絶し情報を遮断して一つの方向に目的を収斂させるという意味では、あまり変わりはないのではないでしょうか。
少なくとも、ドロップアウトした私のような人間から見ればそういう共通点があるように感ぜられます。
第一、これは重要なポイントですが、冷静になって振り返ってみれば極めて非効率な仕事をしていたということが問題で、さらにいえばそれに対して疑問すら抱かなかったということ。
先に、厳しい勤務環境にあっても適当に息抜きをしたりしていた、と書きましたが、それは裏を返せば集中力がしばしば途切れていたということであり、長時間労働をすることに意義があったような錯覚に陥って、自らを慰めていた、ということでもあります。
恥ずべきことであったな、としみじみと思います。

恒常的な長時間労働の解消に関しては、以前からずっと問題視されており、労使共々解決に向けた方策を見つけることに余念がないかのようにも見受けられます。
少なくとも表面上はそうでしょう。
しかし、日本の企業文化は一朝一夕に変わるものではなく、さらに手繰れば封建時代の武家社会的な滅私奉公精神にまで行きついてしまうのかもしれません。
当時の御家人たちは、そもそも決まった労働時間などというものはなく、何か事があれば全てを擲って殿様の元に駆けつけなければならなかったという話を聴いたことがあります。その意味では24時間勤務であり、たとえ自宅に帰っていたにしても四六時中拘束され続けていたのであると。

そういうメンタリティからフリーになるためにはどうすればいいのか。
こういう悲しい事件を防ぐ根本的な解決策を、国や政府や会社はもとより、個々人が自分のこととして考えていく必要があるのかなとも思います。

辛かったら降りてしまえばいい。
降りてしまった私は(別の意味での辛さももちろんありますが)ある意味ではかなり清清した気分にもなっているのです。
ただ、それを新入社員に求めることも、またかなり酷なことではあるのかもしれません。
どうしたらいいのか、やはり途方に暮れてしまいますね。
マインドコントローから如何に覚醒するか。
個人の問題ではありつつも、やはり社会全体として考えるべきなのでしょう。

秋の気配 [日記]

ずいぶん長い間雨が続いていました。
今日は久しぶりに少し晴れ間が出たので、近所の里山に散歩に出かけました。
午前中にガスの点検などがあり、一日中家を空けるわけにはいかなかったので遠出はできず、それは無念でしたが、秋の気配を感ずることができたのは幸いでした。

桔梗。
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彼岸花
higan01.jpg

黄色い彼岸花。
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そういえば陽もだいぶ短くなってきました。
秋分の日を過ぎたのですから、これからは冬至にまっしぐら。
ムラサキシキブの紫色の実も見かけるようになり、街路樹のイチョウもギンナンを落とし始めています。
もうすぐ金木犀の花の香も漂ってくるのでしょう。

毎年のようにこうして季節を感じながら、今年でとうとう私も還暦を迎えます。
これから先、どのくらいこうして季節を感ずることができるのか。
なぜか秋になるとそんなことを考えてしまいます。
やはり陽が短くなり冬に向かうことに対してセンチメンタルな気分に支配されるからなのでしょうか。

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トスカニーニ指揮ニューヨーク・フィルによるブルックナー交響曲第7番 [音楽]

秋雨前線と台風の影響などで、このところ関東は晴天から見放された感があります。
来る日も来る日も雨ばかりで、心も湿りがちになってしまいますね。

こういう気候の時には、音楽に耳を傾けながら気持ちを静め、また、その中から新たな世界を眺めてみるのがいいのかもしれません。

以前、「ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによるブルックナーの交響曲第9番」という記事を書いた折、できればトスカニーニによる第7番の演奏を聴いてみたいものと記しました。
大変うれしいことに、gkrsnamaさんよりこの録音がネットにアップされている旨のコメントを頂いたところです。
簡単なreplyをコメント欄に付しましたが、改めてこの録音のことを少し取り上げてみたいと思います。



1935年1月27日、カーネギーホールでのライブ録音。
オケはニューヨーク・フィルです。

1935年ということを考えれば仕方のないことなのでしょうが、やはりノイズが気になります。
しかし音質は思ったほどひどくはなく、少なくともトスカニーニの意図するところをある程度汲みとることは可能と思います。
ただし欠落箇所が結構あることから、隔靴掻痒の感を強くしますが。

この曲が完成したのは1883年9月のことで、ワーグナーの死去を悼んで第2楽章のアダージョに葬送の音楽(184小節から)を付加したことでも知られています。
何よりも、ブルックナーの交響曲が初演で好評を博す嚆矢となった作品であり、第4番と並んで現在に至るまでも高い人気を保っています。

トスカニーニとブルックナーとは、どうもあまり親和性を感じない部分もあり、実際、晩年にあれほど精力的な演奏活動を共に行ったNBC交響楽団とのコンビによる演奏や録音も見当たりません。
しかし、記録によると、第4番や第7番はしばしば取り上げていたようで、1896年12月には早くも第7番のアダージョの演奏を行っていたそうです(この年の10月にブルックナーは亡くなっておりますから、きっとその追悼という側面もあったのでしょうね)。
また、ブルックナーの故国であるオーストリアとかドイツなどではいざ知らず、遠く海を隔てた米国では、その当時、まだまだブルックナーの音楽に対する理解が深かったとは云えなかったと思われますので、トスカニーニの試みは、今から思えば非常に意義深いものがあったのではないでしょうか。
そのような演奏を、80年を経て聴くことができることを心から喜びたいと思います。

さて、まずは第1楽章です。
情感たっぷりの、遠い世界から光が注いでくるような美しい演奏が始まりました。
24小節のフライング・ホルン(練習番号「A」の一拍前のアウフタクト)は、改訂版のお約束みたいなものですが、原典版を聴きなれた耳にはやはり不自然に聞こえます。
尤も、ハース版が世に出たのは1944年のことですから、それ以前の楽譜では当然の演奏なのですが。
それから、これは後の楽章でも顕著なのですが、ティンパニが様々な形で飛び入りをします。この楽章では練習番号E(a tempo)の前の4小節をトレモロで入ってきます。
その他、第2ヴァイオリンのエコーが省略されていたり、ホルンに(楽譜には記載のない)フルートが補強されているように聞こえたり、あれれ?と思うような部分もありますが、ノイズによるものか私の聞き間違いなのか判然としません。
ただ、「楽譜に忠実」というある種のトスカニーニの謳い文句とは異なる表情たっぷりの演奏で、オケにはところどころ不満もありますが、聴きほれてしまう部分も多くありました。

しかし、コーダの最後の438小節からあとの6小節が欠落!これは酷い!ざんねーん!
(記している小節や練習番号の表記について、私が所持しているスコアは1980年発行のハース版ですので、楽譜によるズレがあると思われますから、その点についてはご留意のほどを)。

次に第2楽章。
トスカニーニ自身がかなり以前から演奏をしてきた曲ということもあるのでしょうか、抑制された中にも、彼独自のカンタービレが感ぜられる感動的な演奏です。
練習番号W(177小節)から打楽器が付加されていますが、これはハース版以前の演奏形態です。
そして、肝心の葬送の音楽が始まって間もなくの189小節から192小節の4小節が欠落しています。これも酷い!

第3楽章のスケルツォ。この録音の中では唯一欠落がないので安心して聴けました。
こういう音楽ですと、トスカニーニの小気味の良さが功を奏するのか、誠に快調でノリノリです。
先にも書いたティンパニの付加。この楽章は特に顕著で、ハース版の楽譜ではトレモロになっているのにもかかわらず、随所で、金管や木管や弦楽器の付点音型をなぞって補強しています。
原典版を信奉する向きからすればとんでもない改変ですが、なんだかウキウキとさせられるような楽しさを感じてしまいました。
ブルックナーの曲がこんなに面白くていいのだろうか?などとも思ってしまいます。

いよいよフィナーレに突入します。
第7番を聴くとき、第3楽章のスケルツォからフィナーレに至るまでの曲の流れ込みが、私には大変印象的で、少々荒っぽい第3楽章のトゥッティから弦による第一主題までの変遷が何とも云えない心地良さを感じさせてくれます。
この演奏の出だしも非常に快調で、トスカニーニの面目躍如だな、などと思っていると、同じく弦による主題提示のはずの第二主題が金管に取って代わられていました!
これは、練習番号Eにおける第二主題でも同じです。
改訂版も含めてこのような演奏はこれまで聴いたことがありません。これはトスカニーニのオリジナルな改変なのでしょうか。
これ以降も、楽譜にない楽器の付加が断続的に表れます。それも弦楽器のパートに管楽器を加えて表情をつけるというような感じで、このあたりにトスカニーニの明確な意図の表れを見ることができるようにも思われます。
極めつけは練習番号N(163小節)からのクラリネットの対旋律の追加。
こんな旋律は寡聞にして聴いたこともないので、(個人的な想像ではありますが)トスカニーニが誂えたものではないかと思われます。
それとも何か由来や理由があるのか。
その前の145小節から158小節は録音が欠落しています。
さらに練習番号RからUまで(209小節から256小節まで)の48小節をカット!大胆すぎ!スコアを読んでいて、突然飛んでしまったので、次がどこなのか大いに慌ててページをめくりました。
そして曲の終盤に向けてティンパニを付加し、金管も補強して一気に大団円に向かいます。

何度か聴き込めば、さらに新しい発見があるのかもしれません。
聴いてみて最初に思ったのは、これは、いわゆるブルックナー愛好者には受け入れがたいところが多々あるだろうな、ということです。
しかし、トスカニーニが活躍していた若かりし頃、現役時代のブルックナーとも一部重なっていたことでしょうし、本人や弟子たちによる曲の改訂が半ば当然のように行われていたことを考え合わせると、長大な曲を如何に退屈させずに観客に聴かせるかという観点から手を入れたことは容易に想像できます。
弦楽器のみの主題提示に管楽器を重ねあわせたり、独自の対旋律を入れたりというのも、弦楽器だけでは響きが物足りないと考えたからなのかもしれません。
ブルックナーの音楽においては、こうしたコントラストの存在こそが聴くものに愉悦とカタルシスを与えてくれるのだと思いますが、後期ロマン派の音楽の一つという捉え方の中では、やはり物足りないものを感じたのでしょう。
その意味では、フルトヴェングラーのブルックナーの演奏とともに、如何にも時代を感じさせるものだと思います。
録音による欠落は非常に残念ですが、これはこれで大変貴重な遺産といえるのではないでしょうか。

因みに、ヒンデミットが指揮したニューヨーク・フィルによる第7番もyoutubeにアップされていました。

https://www.youtube.com/watch?v=i6Q2qiSdu44



こういう大曲の演奏が、ほぼ完全なままでネットにアップされ、無料て聴ける。
良い時代なのかもしれませんが、これではわざわざCDやレコードを買う人も少なくなることでしょう。
そんなことが続いて、本当に欲しい名演奏のCDなどが手に入らなくなったらどうしよう、などとちょっと心配になりますね。
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またまた、シン・ゴジラを観てしまいました(IMAXで) [映画]

台風10号の動きが実に不気味で、その影響もあってか、この週末は雨勝ちの肌寒い日となりました。

そんなお天気だから、というわけではもちろんないのですが、先日観た「シン・ゴジラ」をどうしてももう一度観たくて仕方がなくなり、連れ合いを口説き落として「夫婦割引(50歳以上)」を利用し、またまた出かけてしまいました。
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連れ合いにとって映画とは「楽しいもの」「美しいもの」を描き出す世界であり、残酷だったり凄惨だったり悲惨だったりするのは耐えられない!とのことで、最初は渋っていたのですが、この映画には最後に希望がある!と熱弁し、付き合わせたのです。

夫婦割引は二人で2000円。早速、ネットで予約を申し込むと、この週末からIMAXによる再上映が始まるとのこと。
追加料金は一人500円ですし、IMAXは初体験なので、躊躇することなくこちらを選びました。

もう一度観たくなった一番大きな私としての理由は、野村萬斎さんのゴジラ役。
そう思いながら観ると、血液凝固剤を経口投入されて動きを止めたゴジラの姿が何とも悲劇的に感ぜられました。
「ゴジラがかわいそうで涙が出た」というのが連れ合いの感想ですが、正に同感です。
ビキニ岩礁での水爆実験を皮切りに、核廃棄物の無秩序な海洋投棄がゴジラを生み出した要因とするのであれば、そのsin「罪」は正に人間に科せられるべきであり、人間の欲望によって生み出され人間の都合によって「駆除」されようとするゴジラは、正にその「罪」を具現化した存在なのでしょう。
「ゴジラは脅威であり、かつ希望(完全無欠な進化の可能性としての)であるのかもしれない」というセリフには、その意味での深遠なる想いが込められています。

口と尻尾の先と背びれから紫色に光る熱線を放出し、東京を破壊するゴジラの姿。
それは米軍による空爆を受けての反撃なのですが、その悲劇的かつ絶望的な攻撃が展開される夜のシーンの美しさは、IMAXの画面の描写力とも相俟って筆舌に尽くしがたいものでした。

この「シン・ゴジラ」、やはりかなりヒットしている模様ですね。
私どもが観に行った時も当然のように満席でしたし、報道でもその人気の度合いが伝わってきます。
かなりの数のレビューがネットにも掲載されていましたが、次の松江哲明さん(映画監督)のレビューは殊に納得ものでした。

松江哲明の『シン・ゴジラ』評:90年代末の“世界認識がグラグラする”映画を思い出した

また、ヤシオリ作戦の重要なキーマンでもある環境省自然環境局野生生物課の課長補佐役を演じた市川実日子さんの演技も、演技なのかドキュメンタリーなのかわからないほどの迫真力を放出させました。
その市川実日子さんをめぐる次の記事も納得です。

「シン・ゴジラ」市川実日子さん、最後のセリフに込めた複雑な思い 脇役ヒロミ人気に「TV見てる感じ…」

この役作りのための葛藤も含め、なんというかものすごい「役者魂」を感じてしまいました。

東日本大震災を体験する前と後とでは、こういう破壊によるカタストロフを描いた映画や創造作品に対する観客の感受性はかなり異なったものになっているような気がします。
前の記事でも書きましたが、私はこの映画をいわゆる怪獣映画とはどうしても感得することができませんでした。
ある意味での生々しさや切迫感があり、どこか他人事のように破壊場面を享楽的に見ていた従来の怪獣映画の破壊シーンとは決定的に違うものを感じたのです。
この映画では、愚昧かつ硬直化した行政機構や米国の属国としてしか存続できない「日本」の現状に対して、なんとその硬直化した行政機構の縦割りを無視して集まった「はみ出し者」たちが奇跡のような打開策を成功させるといった、一つの希望も描いています。
しかしその果敢な行動を実現するため、米国の許可を得たり安保理各国間の思惑を図りつつフランスを動かしたりして、熱核攻撃の「政治的な」延長工作を実施したりする場面も抜け目なく挿入されています。

動きを止めたゴジラ。
いうまでもなくこれは「解決」なのではなく、これからの新たな脅威や恐怖の始まりを描いているのではないでしょうか。
連れ合いには「最後に希望がある」などといって連れ出しておきながら、改めて観て、単なるストレートな感動だけでは終わらない「深さ」を感じてしまったわけです。

さて、二度も観に行った、ということもあり、前回では疑問に残ったいくつかの部分も自分なりに解決ができ、さらに新たな疑問や問題点なども生じています。
少なくとも、久しぶりに「もう一度劇場で観たい!」と思わせる映画であったこと、そして、もう一度観て、やはり無類の面白さであったことだけは間違いありません。
そういえば、前回観終わった後、ちょうど昼過ぎに時間帯でしたから、たまには外食をしようと思い、ラーメンを食べたのですが、今回もう一度見て、その理由がわかりました。
平泉成さんが、長引いた打ち合わせの後で、注文したラーメンを食べるとき、「あああ、伸びちゃったよ」とつぶやく。
このシーンが、里見臨時代理の人となりを如実に表しているような気がして、なんだかほっこりしたのですが、そのシーンが印象深くて、ラーメンが無性に食べたくなったのでした。
ということで、帰り道、連れ合いと二人でラーメン屋に入り、映画の感想を語り合うとともに、そんな話で盛り上がったところです。

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シン・ゴジラを観てきました [映画]

台風の影響で落ち着かないお天気が続きます。
今日も朝から台風9号の影響で風雨が強まり、11時頃から暴風雨となりました。
幸い、出勤時の電車はまともに動いていて、むしろほとんど遅れが出なかったくらいです。
もしかすると、暴風雨を計算に入れて外出を控えた人が結構いたことが要因なのかもしれません。電車遅延の理由のほとんどは人為的なものですからね。
せっかくなので、先日購入したハイパーVソールのスニーカーを履いて出勤しました。
三沢遡行の時にも実感したのですが、さすがに濡れた地面に対するグリップ力は相当の高さです。
激しく水の流れるマンホールのふたやリノリウムの床などでも全く滑ることはなく、むしろがっちりとフリクションが効くように思われました。
黒い色を選んだこともあり、出勤時に履いていてもそれほどの違和感はありません。
ただし、スニーカータイプですから、メッシュから水が浸入し、こうした激しい雨の中では靴の中は盛大に濡れます。
濡れるのが嫌な方は、先日ご紹介した防水型の靴下を穿いた方が宜しいかもしれませんね。
いずれにしても、この価格(2850円)でこの性能はなかなかのものと思います。夏の沢歩きや山歩きにも十分使用に耐えるのではないでしょうか。
ただし、濡れにはほとんど無力ですから、晩秋から冬・初春にかけての沢登りなどに使う場合はきちんとした保温対策を考えた方が良いと思います。ネオプレーン型の完全放水ソックスとの併用がお勧めです。

閑話休題

そんな中、先日、前から気になっていた映画、「シン・ゴジラ」を観てきました。
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怪獣映画ファンの私としては、やっぱり外せない映画なのです。
期待を込めて出かけ、そして、その期待以上の映画でした。
これは、いわゆる「怪獣映画」というジャンルをはるかに超えた、一つの人間群像劇としてもまれにみる傑作だと思います。

シン・ゴジラの「シン」はsin、つまり「罪」を意味しているのでしょうか。
この映画を観ながら、その「sin」の意味するところを考えもしました。

この映画は、第1作目の「ゴジラ(1954年東宝)」を嚆矢とするこれまでのゴジラ映画を全くなかったものとして企画されています。
「ゴジラ」の名前は、日本ではもちろん、海外においても知れ渡っており、これまでのゴジラ映画では、ある程度それを前提として形作られてきたのですが、この映画では、その第1作に立ち戻り、「大戸島」に伝わる伝説の荒ぶる神として、関係者は初めてその名前を認識する、という設定になっています。
従って、ゴジラ映画という一種の先入観からはフリーとなっているわけであり、初めて観る観客であっても純粋に楽しめる、というコンセプトを目指したのかもしれません。

映画自体の中身の詳細については敢えて触れませんが、先にも書きましたように、これは稀に見る傑作です。できれば是非とも「劇場」で観てほしい、と思います。
1800円を払っても観る価値はある、私はそう思いました。
本多監督による初代ゴジラ同様、本編の人間ドラマ・群像劇の部分の描写は極めて緻密かつリアリスティックであり、こうしたベースをきちんと構築することによって、特撮部分の信憑性をさらに高めている、ともいえるのではないか。
特に、人知を超えた想定外の大規模災害の発生を目の当たりにした閣僚や政府関係者の描写は、よくもここまで踏み込んで表現できたものだと舌を巻きました。

例えば、矢口蘭堂(長谷川博己)内閣官房副長官が、各省庁に巨大不明生物に対する姿勢を「捕獲」「駆除」「排除」の3ケースに分けて対策を考えてくれ、と指示を出した際、「今のってどこの役所に言ったんですか?」とその場に詰めていた各省庁の役人が問うシーンなど、「これは確かにありそうだ」と思わせます。
詰めていた役人は、閣僚会議での決定や指示事項を正確に自分の省庁の幹部に伝えて対策を立てる必要があるのであり、勝手な憶測で課題を持ち帰るわけにはいきません。それを振り分けるのは閣僚の仕事であり、役人は受けた指示に基づいて遺漏なきを期する役割しか与えられていないのですから。

また、極めて切羽詰まった状況にありながら、総理大臣(大杉漣)ですら迅速な意思決定をなし得ないという行政上の手続き面でのもたつき加減も、かなり正確に描写されていました。
独裁国家だとか、大統領といった絶対権力者を頂かない日本という国の運営の不自由さを批判的に描いているようにも見えますが、庵野監督は、こうした意思決定プロセスにおける煩瑣な手続などを全面的に否定しているわけではなく、民主主義には一定のコストが必要不可欠なのだと訴えているようにも思えます。
第3形態に進化した巨大生物への自衛隊からの攻撃を、開始直前に、踏切を横切る避難民(老母を背負った男性)の姿を認めて中止してしまうところや、総理大臣臨時代理となった里見(平泉征)が、国連安保理決議に基づく米国を中心とした多国籍軍による東京都心への熱核攻撃に備えるため国民の疎開を要請されたときの、「住民を疎開をさせるということは、その人の生活を奪うっていうことだ。簡単に言わないでほしい」とつぶやくシーンなどに、庵野監督のそうした想いが反映されているように感じ、私は不覚にも涙ぐんでしまいました。

その熱核攻撃という国連安保理の決議を知らされた時に、それまで冷静な対応を見せていた赤坂内閣総理大臣補佐官(竹之内豊)は、一瞬怒りをたぎらせますが、安保理決議の元に行われた核攻撃である以上、事態収拾後の日本の復興には国連加盟各国の強力かつ絶大なる支援が約束されるはずだと考えます。
こうした考え方をするのも閣僚であるが故のことなのでしょう。

そうした緊迫かつ混沌とした状況の中で、矢口は希望を捨てずに「ヤシオリ作戦(ゴジラの生体原子炉の冷却・凍結・機能停止)」の決行に向けて奔走します。
それを盟友でありライバルでもある泉政調副会長(松尾諭)が強力に支援し、熱核攻撃を受け入れざるを得ない立場に追い込まれた里見総理大臣臨時代理に向かって、「自国(米国)の利益のために他国(日本)の犠牲を強いるのは、覇道です」と再考を強く意見具申するシーン。
政治家として閣僚として、ある種の理想と強い決意を持った若い彼らにこそ、危機的な状況にある日本を救うことができる、そういうメッセージが込めようとしているのかもしれません。
矢口が、上役たる国土交通大臣(矢口健一)の楽観的・希望的観測に対して放つ「先の大戦では、旧日本軍の希望的観測、こうあってほしいという願望により、国民に三百万人もの犠牲者が出ました」「油断は禁物です」というセリフにも、それが垣間見られるように思われました。
そして、熱核攻撃のギリギリまでの延期のためにフランスを動かしたあと、里見臨時代理は駐日仏大使に対して深く頭を下げ続けます。
里見とて、ヒロシマ・ナガサキに続く三度目の核攻撃を日本に加えさせることは決して容認できなかったのでしょう。この描写にも、私は深く胸を打たれました。

さて、そんな重厚な映画ではありますが、ちょっとクスりとした場面ももちろんあります。
東京湾に出来した災害の原因が巨大生物であったことが明らかになった折、三人の生物学者を急遽官邸に召集するのですが、この演者が全員映画監督(犬童一心氏 、原一男氏、緒方明氏)なのです。しかも、それぞれ富野由悠季監督、宮崎駿監督、高畑勲監督のパロディ。そのうえ、全く役に立たない言説を垂れ流すというひどい設定で、総理をして「時間の無駄だった」と吐き捨てさせる。
あんまりじゃないかと思いつつ、不覚にも失笑してしまいました(本来笑えるようなシチュエーションではないのですが)。
監督の出演といえば、故岡本喜八監督が重要な役割を「演じて」おられます。岡本監督を心からリスペクトしている庵野監督の想いが、こんなところにも表れているのでしょう。

この映画には、エンドクレジットに掲載されているだけでも300人を超える俳優が出演しており、他の作品では当然に主役を張れる役者さんが1シーンだけ出演していたりしておりました。
この映画を観るに当たって、私は事前情報を調べたりせず極力潜入観念なしに対峙しようと思ったので、思いがけない役者さんの姿をスクリーンで発見し、何とも云えない感慨に浸ったものです。
というのも、この映画に出演している俳優さんたちにとって、「ゴジラ」と「庵野監督」という二つの名前は閑却すべからざる重みをもっていたように思われたからでした。
映画館で購入した「シン・ゴジラ」のパンフレットを映画を観た後で読んだのですが、主演の長谷川博己や竹之内豊も、この組み合わせに対してある種の尊崇の念すら感じさせるコメントをしています。
恐らく、この300人を超える俳優さんたちも、同じような想いを抱いてこの作品への出演を果たしたのでしょう。

そのエンドクレジットを眺めながら、あれ?この人、どのシーンで出ていたんだろう?などと首をかしげてしまうこともしばしばで、そうしているうちに、クレジットの最後で「野村萬斎」の名前が!
あれ!?萬斎さん、いったいどこに出ていたんだ?
帰宅するまで首をひねりっぱなしで、全くわかりません。
結局思い当たらず、悔しい限りでしたが帰宅してネットでググってみると、なんと「ゴジラ」役だったのでした!
ネタバレになるので詳しくは書きませんが、今回の「シン・ゴジラ」におけるゴジラは、従来の怪獣映画にありがちだった怪獣による積極的な(余り必然性を感じない)街の破壊行動には出ず、もっぱら「何かに向かって移動し(歩き)続ける」という存在でした。
海中にいた時の、オタマジャクシのような深海魚のような第1形態から、川をくねくねと遡行しつつ這い回って徐々に両生類のような第2形態に発展していき、ついにたどたどしいながらも二足歩行(第3形態)に転ずる。
そしていったん東京湾に戻り、さらにパワーアップして完全な姿(第4形態)として鎌倉沖に出現し、またもや東京都心を目指して歩き始める。
そのゴジラの動きは、ただ歩いているだけ(ゆえに「shin(=歩く)・ゴジラ」なのでしょうか)なのに、人知を超え生物の枠組みを超えた神々しささえも感じさせられました。
「スーツアクター」は誰なのだろうか?という疑問が渦巻いたのですが、私の記憶にあるスーツアクターの動きとは正に一線を画したもの。強いて云えば、第一作目の中島春雄さんの動きに近いかな、などと思っておりましたから、これが野村萬斎と知り、さすがにびっくり。
もちろんスーツアクターではなく、モーションキャプチャーだったそうですが、なるほどそうだったのかと得心がいった次第です。
しかしそうなってみると、やはりゴジラが萬斎さんだったということを承知の上で、もう一度この映画を観たくてたまらなくなりましたね。

特撮部分のことを書く余力がなくなってきました。
でも、これはここで書かない方がよろしいのかもしれません。
ものすごい映像です。まさに「筆舌に尽くしがたい」リアルな世界が展開されます。
余りに真に迫り過ぎていて、もしかしたら本当にこういうことが起こる可能性があるのではないか、と思わせるほどです。
この映画のシチュエーションには、東日本大震災と福島原発事故が色濃く反映されていると考えられますし、その意味でゴジラは原発のカリカチュアなのでしょう。
河口から遡上してくる第2形態によって押し上げられる船舶などの情景は、正に東日本大震災の津波の情景を彷彿とさせるものでした。

何だかまとまりのない感想文となってしまいましたが、最後に一つ、私としては大変印象に残ったことがあるので触れさせて頂きます。
矢口を演ずる長谷川博己は、「日本」を「にほん」と発音していました。
このことが私には大変印象深かった。
これは単なる個人的な好き嫌いの話ですが、私は「ニッポン」という発音を非常に嫌悪しているのです。
「ニッポン」という音の響きを聞くと、あの「大日本帝国」という威張りくさって調子ばかりがいい割に中身が空疎な形態を思い起こしてしまう。
だからあの「ニッポン、チャチャチャ」という応援に対しても、正直にいって吐き気を催してしまうほどの嫌悪感を抱いてしまいます(もともと「スポーツ観戦」自体、私は全く好んでおりませんが)。
日本国憲法が「にほんこくけんぽう」であることに、何ともいえない安らぎを感じてしまうのですが、これもこうした感覚に基づくものなのかもしれません。
そんなわけで、ラストで未来に向かって決意を新たにする矢口が、守るべき対象を「にほん」といってくれたことに感動したわけです。
この読み方にしたのが長谷川氏の判断なのか庵野監督の脚本がそうであったのか、それはわかりません。
しかし、このラストの重要な台詞の中で「日本」を「にほん」と発音してくれたことによって、この作品のメッセージ性が私個人には極めて明確に伝わってきました。
それは、前にも書いた、上役たる国土交通大臣の軽口を嗜める矢口の態度にも通底するもののように思われたのです。

映画のラスト。
凍結して動きを止めたゴジラの尻尾には、人のような形をした無数の「芽」が不気味に生え始めていました。
それが何を意味するのか、また、凍結したゴジラをどのように処理するのか、現在私たちが抱えている福島原発の後処理に絡めて想いを馳せるとき、そうした描写がことさら私たちの不安をかき立てるように感ぜられたのでした。


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