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マーラーの交響曲第6番 [音楽]

台風12号が居座って、各地に甚大な被害を出しています。
当初、東海から関東地方に上陸する予報だったのですが、高気圧に頭を抑えられて西へ押し戻されそのままゆっくり北上、という予想外の軌道を描き、しかも停滞するという最悪の事態でした。
西日本への上陸であったのにもかかわらず、南関東でも強風が吹き荒れ、間歇的に強い雨が降るという忙しい空模様で、しかもフェーン現象によって蒸し暑い嫌な天気となりました。
何とか早く抜けて欲しいと心より願うところです。

ここのところ音楽の話題が少々遠ざかっておりましたので、これを機会にマーラーのことについて、私がとりわけ好きな交響曲第6番にからめながら少し触れてみたいと思います。
もちろんほんの上っ面の部分にすぎないことはいうまでもありませんが。

マーラーは1860年に生誕しましたが、この1860年代は、ほかにリヒャルト・シュトラウス、ヴォルフ、ドビュッシー、シベリウス、ニールセン、グラズノフ、デュカスといった著名な作曲を排出する、正に「豊作の年代」に当たっています。
その中でも、本業が指揮者でそのかたわら作曲活動もなしたという意味では、マーラーとリヒャルト・シュトラウス(以下「シュトラウス」)は互いに極めて近似的な存在ではなかったかと思います。
両人ともオペラハウスでの指揮を生涯の重要な仕事と位置づけ、またワグナーに傾倒し大きな影響を受けたという点でも共通するのではないでしょうか。

しかし、その出自や生涯をみると、やはり大きな違いがあります。
シュトラウスはミュンヘン生まれのバイエルン人といういわば純ゲルマン系で、父親はワグナーにも敢然と口論を吹きかける宮廷オーケストラのホルンの名手、母親は地元の大酒造会社の娘という、芸術的な環境に加え経済的にも申し分のない家庭に育ちました。
これに比べ、マーラーは、ゲルマン系ユダヤ人商人の父のもと、当時オーストリア領だったボヘミア・イーグラウ近郊のカリシュト村に生まれました。カリシュト村は、その大部分がスラブ民族でありゲルマン民族は少数派で、なおかつマーラー家はその中のユダヤ人という立場であったわけです。その上、家庭環境的には両親の不和ということもあり、このことが幼い彼の心に暗い影を落としていたことも想像に難くありません。
マーラーの有名な言葉、「私はどこに行っても歓迎されない。オーストリアにおいてはボヘミア人、ドイツにおいてはオーストリア人、そして世界においてはユダヤ人だから」というのは、この出自から出てきたものでしょう。
シュトラウスがいわゆる純ゲルマン系であるのに対し、マーラーは濃厚にユダヤの血が流れていながらもスラブ系が多数を占める土地の中で育ったことから、ユダヤ、ゲルマン、スラブ(ボヘミア)のいずれの気質にも帰属しない曖昧な立場におかれていたと考えられるのです。
しかも、マーラーは後年ユダヤ教を捨てカトリックに改宗したことから、ユダヤ人からも反感を買うことになりました。

マーラーの音楽の中に出現する、ある二律背反的な要素は、こうした彼の出自などに基づく葛藤などが由来しているのかもしれないと、私は思ってしまいます。
ユダヤ人でありながらクリスチャン、確信者と懐疑論者、田舎者のボヘミア人でありながらウィーンの上流階級に属し活躍、カントやショーペンハウエルやニーチェに感化された哲学的思考と李白や王維などを通じての東洋的神秘主義への傾倒、オペラを愛する歌劇場指揮者でありながら自身はオペラを作曲しなかったこと、などなど、上げればきりがないのではないかと思われるほどですが、彼の音楽が有する、極めて高邁かつ純粋な表現と低俗な軍楽的響きというあからさまに対蹠的(たいせきてき)な性格の根本的な所以ではないかと考えます。

それに反して、シュトラウスにはこうした悩みを生涯にわたって感ずることがなかったようで、あまり深く考えもせずにナチスに協力的な立場を取ったかと思うと、自身のオペラ「沈黙の女」の脚本をユダヤ人のツヴァイクに依頼し「どうせナチスなどは二年も経ずに終わってしまう」などと平気で発言してしまう迂闊さもあったようです。
従って、「ユダヤ人は短い腕をしてこの世に生まれてくる」と慨嘆し、常に魂の救済を求めたマーラーの悩みを「全く理解できない」と次のように述べてしまうのですね。
いったい何から救済されるべきなのか、私には分からんのだ。朝机に坐って、アイディアが脳裏に浮かんできたとき、私は確かに救済を必要としない。マーラーは何を言おうとしたのだろう。

これは、1911年、マーラーが死去した年の盛夏、シュトラウスのもとを訪れたクレンペラーに語った言葉だそうです。
これは私の偏見なのですが、シュトラウスの音楽からは、マーラーの曲に色濃く漂う葛藤は全く感ぜられません。
誠に以て明晰で完全な構築物、という感じがするのです。
シュトラウスは、先に述べたように指揮者が自分の本業だと認識しており、作曲はいわばアルバイトのようなもので、それを用いて己の内面を表現したり外に向けて訴えたりしようなどという余計なことは考えずに、音楽として成り立つ作品をザハリッヒに作り出し、それをそれなりの対価をもって売った、ということなのではないでしょうか。
マーラーが、己の表芸である指揮活動において感ずる様々な悩みや軋轢や葛藤を、自ら作り出す作品の中で昇華しようと考えたであろう態度とは、大きく異なるものでありましたろう。

とはいいつつあわてて付け加えるのですが、私はシュトラウスの音楽を薄っぺらなものだといっているわけではもちろんありません。
「作曲家や演奏家が熱狂する必要はない。熱狂するのは客なのだから」という誠に創造者の鏡たる信念のもとに生み出された作品の持つ深さは例えようもないほどのものなのですから。

しかし、マーラーの音楽には、単なる音楽の構造的な美しさや立派さとは隔絶された味わいがあります。ある種の苦みというのでしょうか、なじむのに時間がかかりますが、いったんその味わいに取り付かれると離れられなくなる魅力。
例えば、コーヒーという飲み物。
私は丁寧に淹れたブラックコーヒーがことのほか好物なのですが、子供の頃はもとより、この味わいを香とともに嗜めるようになるまでには一定の慣れと時間が必要でありました。
もともと苦みというのは毒に近いものであるわけですから、生理的には忌避する部類のものでしょう。従って、後天的に好きになっていく対象ということになると思います。
マーラーの音楽もこれに似ているのかもしれません。
その長さも含めて、初体験で大好きになるという例は極めて少ないのではないでしょうか。
でも、取り付かれたら離れられなくなる強烈な魅力を持つ劇薬(失礼!)でもあるのです。

以前にも触れたことがあると思いますが、私がマーラーをそれと意識して聴いたのは交響曲第6番が嚆矢でした。
もちろん「巨人」などはそれ以前に聴いているはずですが、その頃はほかにもっと熱中していた曲がたくさんあって恐らく眼中になかったということなのでしょう。何というまとまりのない音楽だろう、程度の感想であったのかもしれません。
しかし、あるとき、NHKFMをエアチェックした、ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮ストックホルム響の6番を聴き、正に心臓がわしづかみにされるようなショックを受けました。
「悲劇的」という副題がついたこの曲の、特に第4楽章の精緻かつドラマティックな展開に打たれ、身じろぎもせずに聴き入ったのです。
聴き込むうちに、第3楽章のアンダンテ・モデラートのこの世のものとも思えぬ美しさと深さが胸に染み込んできて、殊に私自身が何かの事情で精神的に打ちひしがれたときなどに聴いて幾度となく涙に暮れました。
声楽を伴わない交響曲の中では最も構造的に堅牢であり、マーラーという人が、古典に学びどれだけその滋養を血肉としていたかが如実に分かろうというものです。
そんな事情もあって、私にとって最良の演奏は先に述べたホーレンシュタイン指揮ストックホルム響のものなのですが、既に廃盤となっていてCDでは手に入りません。
代わって今の愛聴盤は、バーンスタインがウィーン・フィルを振った1988年9月のムジークフェラインザール(ライブ演奏)です。

これには、「亡き子を偲ぶ歌」もカップリングされており、バリトンのトーマス・ハンプソンが素晴らしい歌声を聴かせてくれます。
この6番、まさに力のこもった恐るべき演奏であり、マーラーがこの曲に込めたある種の怨念に似た情念が乗り移ったかのようにも感ぜられました。
第4楽章のハンマーは、マーラー自身のカットにより通常は二回であるところを、バーンスタインは強烈な音で三回鳴らします。
この効果は実に恐ろしいほどのもので、曲全体を支配するモットー和音が最後に鳴り響く前の、沈み込むような深いゲネラルパウゼの沈黙が重くのしかかってくるかのようでした。

この演奏に匹敵するものと私が勝手に思っているのは、テンシュテットがロンドン・フィルを振った1991年11月のロイヤル・フェスティヴァル・ホール(ライブ演奏)の録音であります。
これは先頃HQCDとして再販されました。


因に、カラヤンとベルリン・フィルの演奏もなかなか人気があるそうです。
大変整った演奏で、さすがは帝王!と感心しますが、彼とマーラーとの相性はどうなのだろうかと根本的なところで疑問を感じてしまうのも事実です。
これも牽強付会な見方ではありますが、カラヤンという人も、恐らく人生観を左右するような葛藤を音楽においてぶつけなかったタイプではなかったかと思うからにほかなりません。
そういえば、カラヤンによるリヒャルト・シュトラウスの曲の演奏は大変素晴らしいものであり、その点ではこの二人の芸術家の一致した価値観を感じてしまいますね。

さて、バーンスタインは、マーラーという単語に接したとき感ずるのは、1900年という「魔術的日付変更線」に跨がる巨人のそれなのだといいいます。
曰く、心臓に直結した左足は、あの豊かで愛おしい19世紀を踏みしめ、右足は20世紀に堅実な足場を求めている。その右足の存在があったからこそ、自分たちの20世紀の音楽が存在し得たのではないか、と。
あの第9番や第10番のアダージョを聴く私たちにとって、このバーンスタインの言葉は誠に納得させられるものではないでしょうか。

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hirochiki

マーラーは、その誕生も生涯にも大変思い荷物を背負っていたのですね。
そういった背景は、彼の発した言葉や音楽に多くにじみ出ているのではないでしょうか。
そのことを知った上で音楽を聞くと、
>正に心臓がわしづかみにされるようなショックを受けました
というお気持ちがわかる気がします。
音楽に限らず、俳優さんたちの演技を拝見していても
私生活で何か大変なことを乗り越えられてからの演技は、それ以前のものとはまったく違うように感じます。
by hirochiki (2011-09-04 06:53) 

niki

やはり芸術は、それを生み出す人の出生や生き方が強く反映されるものなのですね。
by niki (2011-09-04 10:07) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんにちは。
マーラーが重い荷物を背負っていた…、この点は正しく本人がそのように感じていたそうですから、全く仰る通りです。
その意味で彼は自分の心の救済を求めて音楽を作ったといえるのかもしれません。
決して身過ぎ世過ぎの仕事の結果ではなかった。だからこそ今でも多くの人々の心に語りかける力を持つのでしょう。
俳優さん達の演技も同じではないかというご意見にも強く同意します。
私が大好きな俳優さんである三國連太郎さんなどは、正しくその典型でありましょうし、白血病を乗り越えた渡辺謙さんにも同じようなことがいえるように思いました。
by 伊閣蝶 (2011-09-04 10:45) 

伊閣蝶

nikiさん、こんにちは。
nikiさんのブログの記事を拝見していて、同じような感慨をいつも抱いております。
「芸術が人生である人。その人の人生は芸術である」
これは、J.S.Bachの言葉ですが、実に味わい深いなと思います。
by 伊閣蝶 (2011-09-04 10:48) 

節約王

こんにちは。いつも興味深く拝見しています。台風停滞していますねもう5日も雨が続いています。雨がやんだと思って外に出ればゲリラ豪雨にあう始末。しかしながら暑さから開放されてほっとしていたりもします。
さて、今回のマーラーの記事、興味深く拝見しました。民族、宗教、さまざまな壁に苦しみ、それを払拭しようと努力すればするほどさらなる苦難が襲って来たのですね。音楽家として偉大なイメージがありましたがそのような悲しい背景があったこと今回初めて知りました。困難さがすばらしい音楽を生んだという印象を受けました。
by 節約王 (2011-09-04 16:40) 

伊閣蝶

節約王さん、こんばんは。
今日も不安定な天気でしたが、ようやく落ち着きつつあるようです。
変に蒸し暑いので、エアコンをつけなければならなかったり、深い極まりないところですね。
マーラーの生涯、音楽家としては恐らく大成功を収め、かつナチの台頭前に亡くなったことから、それに伴う悲惨な目に遭うことはなかったわけですが、やはり苦悩に満ちていたのではないかと思います。
それ故に、あのように深い音楽を残し、それが私たちの心を癒してくれているのですが。
その音楽を聴きながら感ずる痛みは、実に底知れぬ魅力をもまた内包しているかのようです。
by 伊閣蝶 (2011-09-04 18:37) 

Cecilia

マーラーに対する深い思い入れを感じました。
私もマーラーにとても詳しいわけではないのですが、映画で観たマーラーの姿を思い出しながら拝読させていただきました。交響曲よりも歌曲に馴染みがある私ですが、他の作曲家の”美しい歌曲”とは異なる味わいが何とも言えないですね。リヒャルト・シュトラウスの歌曲も好きですが。歌曲における皮肉っぽい雰囲気はなかなか他の作曲家には出せないもののように思います。
by Cecilia (2011-09-05 09:49) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
映画のマーラーと仰いますと、ケン・ラッセルのものでしょうか?
マーラーの歌曲は、私も大変好きなのですが、特に「亡き子を偲ぶ歌」の予言的に悲痛な調べには、胸が痛みます。
シュトラウスの歌曲も、オペラで数々の名曲を生み出したこの人ならではの味わいがありますね。
マーラーの第6番を聴いたのは、上京して暫くの19歳の頃のことですから、とりわけ強く印象に残ったのかもしれません。
未だにその頃の衝撃を思い出すくらいですから。
by 伊閣蝶 (2011-09-05 12:17) 

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