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「キャタピラー」を観ました [映画]

昨日は久しぶりに良い天気となり、一日遅れでしたが中秋の名月を楽しめました。
月の光、時に冷たさや寂しさを感じさせることもありますが、なんというかことに望月の光は心の奥底にしみじみとした温もりを与えてくれるような気がして、私は大好きです。
月曜日はあいにくのお天気で、しかもその折の天気予報では火曜日も似たような感じとのことでしたから、なおさら嬉しく感じたのかもしれません。

しかし、今日は一転して曇り空。昼までには時折晴れ間も見えましたが、午後からは雨となりました。

ちょっと情けないことですが、左足の脹脛を痛めてしまいました。
駅の階段を降りる際、携帯電話を見ながら歩いていた前方の女性をよけて降りようと足を踏み出したときに強烈な痛みが走ったのです。
痙攣かと思い、足の筋を延ばしたりマッサージをしてみたのですが、好転はせず、特につま先を使うと泣きたいほど傷みます。
やむを得ず病院に行って診察をしてもらったら、予想通り「肉離れ」でした。
取りあえず湿布をして、伸縮包帯で固定しております。
医者の話では、治るのに二週間くらいはかかるそうです。まあ、そんなに時間はかからないと思いますが、痛みのある間は無理もできないので、しばらくは安静にしておきましょう。
今週末の3連休は久しぶりにお天気もよさそうなので山に行くつもりにしていましたが、どうやら無理そうです。
残念!

若松孝二監督の「キャタピラー」をやっと観ました。


公開当時から観たいと思っていたのですが、ずっとみはぐっていたのです。
2010年公開の作品ですから、本当に「ようやく」という感じですね。
そんな映画作品がたくさんあり、楽しみでもあると同時にちょっと焦りも感じてしまいます。

この映画は、2010年ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品され、寺島しのぶが最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞したこともあり、大変評判となりましたから、ストーリーについては特に触れません。
寺島しのぶの熱演はもちろんですが、久蔵を演じた大西信満も、正に鬼気迫る演技を見せてくれました。
84分の上映時間は瞬く間に過ぎて、心の中に深い澱のようなものを残し、深淵を覗き込ませるような迫力に満ちた映画です。

ドルトン・トランボの「ジョニーは戦場へ行った」と、江戸川乱歩の短編小説「芋虫」をモチーフにしたオリジナルストーリーとのことですが、私は、がきデカで有名な山上たつひこの初期の代表作である「光る風」を思い起こしました。
「光る風」の方は環境汚染・公害と近未来の戦争をモチーフにしていましたが、(自衛隊を模した国防軍の)軍人となった主人公の兄が、開発中の化学兵器の誤爆によって両手足を失い、しかも被曝したという設定で、これがこの久蔵と同じように特進の上で自宅に帰されます。
そして、久蔵と同じく、庭の池に自らを投じて自殺する。
尤もこのシチュエーションは、江戸川乱歩の「芋虫」に端を発しておりますから、「光る風」も、同じくこの小説から着想を得ているのでしょうけれども。

この映画では、その、両手足のない「芋虫」のような久蔵がずりずりと這い回り、家のたたきから土間に落ちて、もがきながら池に向かい水死するさまを克明に描いています。
その合間に、妻のシゲ子が農作業にいそしむ姿が何度か挿入され、カタストロフに向かう情景を浮かび上がらせていました。

久蔵とシゲ子にとって未来への希望は全く考えられず、シゲ子が吐き捨てるように叫ぶ「食べて寝て食べて寝」るだけの生活を中心に描いた映画でありますから、畢竟、出口の見えない絶望的な情景が続くことになります。
若松監督は、この凄惨なストーリーを、オーソドックスな映画的文法を以て、映像化しています。
無限回廊のような時間の空費を四季の移り変わりで描き出すカットは、中でも特筆ものの美しさで、昭和初期の山村風景や旧家を表現した美術も誠に素晴らしいものでした。
さらに、音楽・音響の素晴らしさにも注目です。
観る者の胸中に響く音楽的な空間を自然に紡ぎだす音響設計は、以前「あさま山荘への道程」でも書きましたように、若松監督の感性に基づく表現でありましょう。

ラストに流れる主題歌、元ちとせの「死んだ女の子」が、刃のように突き刺さります。
この歌は、トルコの詩人、ナーズム・ヒクメットが広島の原爆投下から着想を得て1955年に詩作した歌詞に外山雄三が曲をつけたものです。
この曲を主題歌に用いたことでも、若松監督の意図が明確になされています。

さらに、一種の狂言回しのような役柄「クマ」で、ゲージツ家「クマさん」こと篠原勝之さんが出演しており、戦前も戦中も戦後も変わらない「クマ」のような個性が変人として扱われていた当時の状況を的確に描き出していました。
ポツダム宣言受諾の「玉音放送」を聞いて、戦争が終わったと喜ぶ「クマ」の衣装が普通の服に変わっていたことにも明確な演出意図があったのでしょうか。

観終わって、「こんな映画をよく作ることができたな」としみじみ思いました。
大きなスポンサーもつかなかったことでしょうし、公開にこぎつけるのも大変だったのではないか。
その意味では、ベルリン国際映画祭での受賞が大きな援護となったものと思われます。
2014年の現在では、さらにこうしたテーマの映画を作るのは困難ではないでしょうか。
同じ戦争を描いた映画でも「永遠のゼロ」などは、東宝・電通を始め新聞社などのマスコミ各社が製作に携わり、全国430スクリーンで公開されました。こうした作品との大きな扱いの違いにはため息をつかざるを得ません(そういえばこの映画の主人公の名前も「久蔵」でしたね)。

あの戦争では、国民は軍に騙されたのだとし、全ての責任を軍に押し付ける風潮が支配的のようにも見受けられます。しかし、この見方に異を唱え、いや、軍だけではない、外務省や内務省など政府全体にも大きな責任があることを忘れてはならない、という意見もあります。
誠にご尤もなことで、仰る通りと私も思います。
しかし、今、NHKの朝ドラ「花子とアン」でも描かれているように、当時の軍は国民のほぼ全体から支持されていて、それがあるからこそ軍も独断専行のような行動をとることもできたのではないでしょうか。
昭和天皇が、そうした軍の暴走に結果として追認の勅語を出さざるを得なかったのも、そうしなければ軍によるクーデターが起きるかもしない、と危惧した故のことかもしれません。
この映画の背景となっている泥沼のような日中戦争と、日増しに悪化する経済状況の中で、出口の見えない焦燥感に襲われていた当時の日本国民は、真珠湾攻撃などでの「勝利」によって吹っ切れたのではないか、との考察もあります。
「ハワイ・マレー沖海戦」を撮った山本嘉次郎は、この太平洋戦争開戦の報に接して「胸がスーッとした」との感想を述べています。
それまでは「エノケンのちゃっきり金太」や「綴方教室」のような作風の映画を撮り、戦後は労働組合の初代委員長に就任した山本監督をして、このように思わせる状況にあったということなのでしょう。
これは、私たち日本国民に限ったことではないと思いますが、自分を取り巻く状況の中に不安定要素が増大し、確かな未来の姿を希望を以て信ずることができなくなったとき、そういう逼塞した状況からの思い切った脱却を、人は夢想してしまうのかもしれません。
戦争というものは、そのような心の隙間に入り込む可能性を持ち得る。
しかし忘れたはならないのは、戦争とは所詮「破壊」であり「殺し合い」であるということ。
どのような美辞麗句を並べ立てても、対話による解決を拒否し相手方に牙をむいて襲い掛かる手法は、自らの存在すらも危うくする愚行であり短慮であることを忘れてはならないと考えます。

この映画は、そうした根本的なことを私たちに強く訴えかける力を持っています。
思わず目を背けたくなるシーンもありますが、機会がございましたら是非ともご覧になることをお勧めする所以です。

全くの私事になりますが、私が子供の頃よく出かけていたある市のアーケード商店街に、物乞いをする傷痍軍人の人たちがたくさんいました。
手足を欠損した人が四つん這いになり、その傍らで黒めがねをかけた人がアコーディオンを弾いている、という光景です。
彼らは軍服を着用していて、演奏されていた曲は「戦友」などでした。
無機的な義手や義足が衝撃的で、子供心に不安と恐怖心を呼び起こされ思わず目をそらしたことを思い出します。
東京オリンピックの頃のことでした。
そのときの恐れに似たおののきを、この映画を観ながら思い起こしてしまった次第です。


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tochimochi

肉離れは私も経験がありますが突然来ますね。
いきなり蹴飛ばされたような衝撃でした。
2週間と言うことはそれほどひどい状態ではなかったとお察しいたします。
それにしても3連休は残念でしたね。

by tochimochi (2014-09-12 12:33) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
肉離れかな、と思った瞬間、以前、tochimochiさんが肉離れになられた折の記事を思い出しました。
本当にいきなり来ましたね。
幸いそれほどの重傷ではなかったので、少し足を引きずりながらも、出勤はできています。
しかし、明日からの三連休は残念無念です。
by 伊閣蝶 (2014-09-13 00:18) 

九子

>物乞いをする傷痍軍人
ああ、私も覚えています。あの人達の事を覚えているのは、せいぜい私たちくらいの年代まででしょうか。
ああいう人達が居なくなって、お乞食さんと言う人を見る機会も減って行ったような気がします。

「五体満足でない人はかわいそうだ」という見方は、あの人達のせいで植えつけられてしまったのでしょうか?
by 九子 (2014-09-16 23:21) 

伊閣蝶

九子さん、こんばんは。
傷痍軍人のこと、やはり九子さんもご記憶がございましたか。
確かに、あの方達を見なくなって「お乞食さん」という存在も目にしなくなりました。
近世、殊に高度成長期以降の日本においては、物乞いを恥とする文化がだいぶ強固になってきたように思います。
生活保護制度が充実してきていることもあるのでしょうが。

by 伊閣蝶 (2014-09-16 23:42) 

サンフランシスコ人

9/15 サンフランシスコの映画館で上映されたみたいですね...

http://www.roxie.com/ai1ec_event/caterpillar/?instance_id=14594
by サンフランシスコ人 (2016-10-25 06:32) 

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