So-net無料ブログ作成

りぶらの逸品「世界に一つだけの酒器HITOHADA」 [日記]

久方ぶりに本格的な梅雨空となっています。
週末に雨がちとなることが多く、週末に洗濯や掃除やアイロンがけをしなければならない私のような単身者には困ったお天気ですね。
それでもこの時期に雨が降るのは日本古来の習わしですし、それがあってこそ、お米をはじめとする作物の生育ももたらされるわけですから、徒に怨嗟の声をあげても詮無いことでしょう。

またまた更新が滞ってしまいました。

書きたい・取り上げたい話題はたくさんあるのですが、そうした題材を読むに堪えうるテキストにするための気力がなかなか湧いてきません。
一人取り残されてから、何と言いましょうか、きちんと論理的に思考を進めていくことが億劫になったようにも思います。

音楽CDのことで云えば、ゲルト・シャラーによるブルックナーの交響曲第9番補筆完全版(シャラー自身の手による校訂完成版)に大変心を打たれたのですが、それをきちんとテキストにまとめる目途が今のところ立っておらず、そのままになっている状況、などです。

こういう作業は、やはり気持ちが前を向いていないと難しいものなのでしょうね。
現状ではもう少し時間がかかりそうですが、何とか近々まとめてみたいと思っております。

そんな中で今回更新をしたのは、どうしても皆様に知って頂きたい品があって、それを紹介したいという想いにかられたからです。

りぶら-世界に一つだけの酒器HITOHADA-

極めて高度なアルミニウムの鍛造技術を持つ職人が、製品一つ一つを丹念に仕上げて、顧客のもとに届ける「人肌」。
蜂の巣に触発されたという正六角形の酒器の底には、製品個別に固有の木の葉の葉脈が彫り込まれており、正に「この世においてただ一つの酒器」となっているのです。

この製品を産み出しているのは、私の小学校からの友人です。

先日、彼が上京した折に、久しぶりに一献を傾けたのですが、その折にこの人肌と出会い(友人が試作品を持参してきた)、その器から頂くお酒の味わい深さに驚倒しました。
早速、人肌 「輝」KAGAYAKI 色:シルバー・ゴールド 2個セットを注文し、それが届いたところです。
なんと、着物の生地を使った敷物を特別につけてもらいました。
kagayaki01.jpg
こうして飾っておくだけでも、思わず顔がほころんでくる見事な出来栄えです。

一つ一つに固有に刻まれた葉の葉脈はこのように浮き出ています。
kgayaki02.jpg

因みに、人肌の製造に関する次のような動画がアップされています。

http://www.venusnet-chino.jp/video/maestro/auvo5k00000017h2.html

人肌を世に送り出した匠の想いと情熱がひしひしと伝わってきますね。

価格について、一番安価な「輝」でも6,400円ということで、あるいは高価だという印象を持たれる方もおられると思います。

しかし、例えば切子のぐい飲みだとか漆の盃などをみてみれば、手間をかけて作られた良品は万単位の値段がつけられています。

この人肌が、先の動画でもお分かりの通り、アルミニウムの丹念な鍛造と研磨により一つ一つ入魂の手作業を経て仕上げられていることを鑑みれば、私はむしろ「よくぞこの値段で提供できるものだ」と感嘆してしまいます。
型に流し込んでポンポンと流れ作業的に作られている雑多な金属製品とは、まさしく一線を明確に劃する逸品といえましょう。

このような、純粋な想いのこもった酒器を通し、同じく想いを込めて醸造した清酒を飲む幸せ。
それを今、しみじみと味わっているところです。
アルミニウムですから、本来無味無臭のはずなのに、この器にお酒を注いで頂くと、何とも言えない爽やかなお酒の甘味と旨味が感ぜられました。
お酒を飲む楽しみがまた増えそうです。

nice!(22)  コメント(8) 
共通テーマ:インテリア・雑貨

金木犀と台風 [日記]

台風24号が関東に接近する前に、とりあえず必要なものを買っておこうと、ウォーキングがてら買い出しに出かけました。
朝のうちは怪しい雲もありましたが、昼前からは晴れ間も出て、風も穏やか。
台風が間近に迫っているような雰囲気は感じさせません。

金木犀の香りがそこかしこから漂うようになりました。
kinmokusei2018.jpg
この花たちも、台風の暴風雨を受け、きっとはかなく散ってしまうことでしょう。
なんだか無残な気持ちもしました。

連れ合いのことなどもあり、週末に山に行くこともままならない日々が続いています。
そんな無聊を慰めてくれるのが、近所の里山歩きなのですが、今年は結構獲物(キノコ)が豊作です。
もちろん、松茸やホンシメジといった貴重な獲物には出会えず、いわゆる雑キノコですが、タマゴタケ・ナラタケ・イグチ類・アミタケなどが得られます。
ただし、例の白い笠をかぶった、見た目は食べられそうな毒キノコもかなりあるので注意が必要ですが。
先日、これらを中心にまとまった量の雑キノコをゲットし、一部を塩で煮て冷凍しておきました。
どうやって食べようかと思案中です。
kinoko.jpg

ところで台風24号、予想通り日本列島各地に深い爪痕を残しました。

私の自宅では、昨晩の1時過ぎに停電となり、復旧はお昼過ぎとなりました。
山道具としてヘッデンやランタンがあるので、暗闇は何とかなりましたが、水が出ないのにはまいりました。
もちろん、飲み水や生活用水はある程度確保していたのですが、御手洗のことを失念していたのです。
幸い、水洗タンクに外部から注水できるタイプだったので、風呂の残り湯を用を足す都度補給し何とか事なきを得ましたが、真っ暗な御手洗の中でヘッデを点けながら用を足すのは何だか山小屋にいるみたいでちょっとおかしくなりました。

また、ガスは問題なく使えたので、煮炊きはでき、これもラッキーでした。
尤も換気扇が使えないので、焼き物や炒め物はできませんでしたが。

いずれにしても、オール電化でなくて本当に良かった。
日頃、水やガスや電気を、そこにあるのが当たり前のように思って使っていましたが、都市においては、電気が止まるだけで水も出なくなり、場合によっては食物の煮炊きすら不可能になる危険性がある。
頭ではわかっていましたが、実際にそういう目に遭うと、その脆弱性がにわかに現実味を帯びてきますね。
オール電化は一時ほどもてはやされなくなっているようですが、そうしたリスクに気付くユーザーが増えている、ということかもしれません。

電気を中心に置いた利便性の向上は、こうした災害時にはもろに脆弱性を曝け出すようです。

テレビのCMなどを見ていると、EV車がトレンドみたいな扱いをされ、人気を博しているような錯覚に陥りますが、街中でしばしば見かけるなどいうことは、少なくとも私にはありません。
アウトランダーPHEVはそれなりに見かけますが、あれは駆動系に内燃機関を持っており、電気一辺倒ではないからでしょう。
その意味で、ハイブリッド車を多く見かけるのは非常によく理解できます。

オール電化やEV車を「エコ」などと表現する場面に出会うこともありますが、これも私は大いに疑問を感じています。

発電された電気が家庭などに届く間には相当のロスが発生することは、その構造上自明の理であり、発電所から変電所そして家庭までの送電の間にその電力の大半を喪失してしまいます。
原子力のように、いったん稼働を始めれば次々に核反応によるエネルギーを(燃料なしに)生み出す、というおとぎ話の世界ならいざ知らず、現在、発電の中心となっている火力では膨大な化石燃料がそれによって費消されます。
その燃料となっている石油やガスをそのまま使ってエンジンを駆動させる方が効率的であろうことは、少し考えればわかることなのではないでしょうか。

これはIHにも言えることでしょうが、たとえ熱効率などの高い製品であろうとも、そのエネルギーのもとが火力発電なのであれば、その電力を作り出す際のCO2の排出量など観点からして、環境にやさしいなどと短絡的に捉えるのはいかがなものでしょうか。
また、原子力によってそれを解決するという夢物語は、福島第一原発事故によって木っ端微塵に吹き飛んでしまいました。

私たちは、あまりにも電気に頼りすぎる生活を見直し、電気の生み出す利便性を享受するという安直な態度から少しずつフリーになる必要があるのではないか。
今回の台風と停電から、改めてそんなことを感じた次第です。

nice!(19)  コメント(12) 
共通テーマ:住宅

転職 [日記]

昨日今日と雨模様のお天気となり、酷暑や熱帯夜も少し治まっています。陽もだいぶ短くなってきました。
台風の動きも気になりますが、気温はまたまた高くなりそうな気配です。

今年の9月で仕事を変わりました。
前回の転職から3年ちょっとということで、拙速の感が無きにしもあらず、というところでしょうか。
しかも、まもなく62歳を迎えるところですから年寄りの冷や水もいいところですが、こんな私でも必要と云ってくれる先があることに感激し、このような仕儀となりました。
今年の初詣の際、小さなだるまを買って片目を入れておいたのですが、ようやく両目が入ったところです。
daruma.jpg
実は、一昨年の末にもオファーがあり、その折にもだるまを買ったのですが、これは片目のみのままでどんど焼きに行ってしまったのでした。

今回の転職。
連れ合いの体調のこともありますし、あまりリスクを冒したくないとの躊躇もありました。
還暦直前に試験を受けて採用された、前の職場にも、多少の未練は残りました。

しかし、これから先のことをつらつら考えるにつけ、未来に向けた何らかの希望を見通せないことがやはり哀しかった。

仕事は生活の手段かもしれませんが、たとえ小なりとはいえ何らかの達成感は必要なものなのではないでしょうか。
前の職場でも、それを何とか見出そうと頑張り、それなりの信頼関係もようやく出来上がってきていました。
しかし、経営者側などの執行部を動かすことは結局できず、己の非力さと無力さを痛感するばかり。

還暦を超えた人間を正社員として雇用してくれたことを考えれば、その環境を手放すのは得策とはいえないのかもしれません。
余計なことは考えずに、給料に見合った分だけ働き続けるという選択もありえたのかもしれない。
でも、本当にそれだけでいいのかと、そういう想いを私は捨て去りたくなかったのでした。

と、なんだか久しぶりの更新なのに、極私的な状況を書いてしまいました。
忸怩たるものがあります。

タグ:転職 だるま
nice!(14)  コメント(8) 
共通テーマ:仕事

桜の花が咲き始めました [日記]

春分の日には時ならぬ降雪に見舞われ、真冬に逆戻り。
その前には初夏のような気温と、このところお天気が目まぐるしく変わります。

それでも春は着実な足取りでやってきているようで、お昼休みにウォーキングに出かけると、桜の花が咲いていました。
2018sakura.jpg

レンギョウも咲いています。
2018rengyo.jpg

ミツマタの花も盛りです。
2018mitumata.jpg
後ろの方にはユキヤナギの花もありました。
肝心のミツマタの花がぼけてしまったのはご愛嬌ということでご容赦ください。

二月の初め、連れ合いにがんの転移が見つかりました。

入院・手術を行った後、これからの治療について、二か所のセカンドオピニオンをお願いするなど慌ただしい状況が続き、また、私の精神状態が不安定であったことなどもあって、このブログの記事をアップする気力がなかなか湧いてこず、ひと月以上もご無沙汰をしてしまった次第です。

気丈な連れ合いも、今回のことはかなりのショックだったようで、さすがに無理もないことでしょう。
それでも、常に変わらず家のことなどもきちんとこなし、その合間に病院に通うなど、我が連れ合いながら改めて頭の下がる思いです。

当面の治療方針は決まりましたが、最初の時とは違って、どうするのかの最終的な判断は私たち夫婦に委ねられました。

最初のときには自信をもって手術を執刀し、その後の治療計画も示してくださった担当医ですが、「これが確実」というような効果を望める治療法がないことから、どうしてもこのような対応にならざるを得ないのだろうと思います。

セカンドオピニオンで伺った医師の助言も参考にして、二人でいろいろと考えた末の結論。

もちろん、私は効果があるものと信じておりますし、連れ合いにもそのように話しました。
もともと医療関係の仕事に就いていた連れ合いですから、ある程度の冷静さを以て決断を受け入れたようです。

前にも申し上げましたが、精神面で私は連れ合いよりもはるかに脆弱だと思っています。
先月の診察結果を聴き、その時にはさすがに目の前が真っ暗になりました。

しかし今回ばかりは私が落ち込んでいるわけにはいきません。
精一杯頑張るつもりです。

そんなわけで、このブログの更新もままならず、ご訪問も滞るのではないかと思います。
その点何卒ご容赦ください。


nice!(21)  コメント(12) 
共通テーマ:日記・雑感

石牟礼道子さんが亡くなりました。 [日記]

作家の石牟礼道子さんが亡くなりました。

石牟礼道子さん死去 水俣病を描いた小説「苦海浄土」

享年90歳。
ご高齢とはいえ、旺盛な執筆活動は衰えを見せなかったと云いますから、誠に残念です。
心よりご冥福をお祈り申し上げつつも、無念の想いは止められません。

「苦海浄土」や「天の魚」が世に問われたころ、私は中学生でした。
そのころになって、テレビなどでも水俣病について掘り下げた特集が組まれるようになり、多感な年頃だった私は、人為的な要因によって引き起こされた「公害病」の恐ろしさとその元凶となった企業などへの怒りで体が震えたものです。
何しろ当時は、至近距離にあった諏訪湖でもカドミウム汚染が進んでいたのですから。
書籍などで関連の記事を読み、テレビでの特集を見ながら、あまりのショックに涙を流し、母からたしなめられたほどでした。

1975年、就職のため上京した私は、当時猖獗を極めていた光化学スモッグに何度も遭遇しました。
体に直接の被害を覚えたわけではありません(明確に自覚しなかった)が、光化学スモッグ注意報などが出された折にはなるべく外出を控えるなどの対策を取ったように記憶しております。

私がきちんと「苦海浄土」「天の魚」の二作を読んだのはその頃のことです。
書かれている内容そのものはあまりにも悲惨ですが、石牟礼さんの文章はまるで詩のような情感に溢れ、ある種のメルヘンを読んでいるかのような錯覚を覚えました。
作品の中では、水俣病患者の方々のモノローグのように扱われた記述がたくさん出てきますが、これらは実際に患者の方々が語った肉声そのものではなかったそうです。
患者の皆さんからいろいろな話を聞き、様々なやり取りをする中で、石牟礼さんが心の中に感じ取った患者さんたちの想いをあのような形で文字にとどめた。
背後にある事実関係などは克明かつ正確に描写されていますが、それを叙述する登場人物の言葉は石牟礼さんを通じて紡ぎだされたもの。
そんなことから石牟礼さんを「患者さんたちの想いを伝える巫女」と評した方もおられるようですが、正に宜なるかなというところです。
この著作の中で、私はとりわけ、亡くなった女性患者の解剖のシーンが印象に残っています。
生々しくも酸鼻を極めるような光景の描写にもかかわらず、私はそこになんとも表現のしようもないエロティシズムを感じ取ったのでした。
二十歳にも達していない若造ゆえの煩悩のなせるところであったのでしょうか、私はしばらくの間、そのように感じた自分を許しがたいほど穢れた人間だと蔑んだものです。
しかし、還暦もとうに過ぎてしまった今の自分から顧みれば、石牟礼さんの文章の持つ豊かさと強さが若造の心を揺さぶったのではないかとも考えています。
私は石牟礼さんの文章の美しさに心を打たれ、「陽のかなしみ」「天湖」「海と空のあいだに」「十六夜橋」などの著作をむさぼるように読みました。
優れたルポルタージュや小説を数多く生み出されましたが、私は彼女を作家というよりも「詩人」としてとらえたいと思います。

残念ながら私は、まだ、能「不知火」を未見です。
何とか観劇の機会を見つけたいと、改めて思いました。

今でこそ「環境立国」などと嘯く日本ですが、足尾銅山鉱毒問題以降、数限りない公害問題を引き起こし、その都度、国家や政府や自治体などは原因企業側に立って、被害者や支援者を弾圧してきました。
さらにひどいことは、直接の被害を受けなかった人々が「(原因企業などは)国家や地元に利益を還元してくれている」からと、企業側に立ったことでしょう。
原因不明だった頃には、公害病を「伝染する業病」だのと言い募って差別し、患者の隔離や村八分的対応に突き進む。
企業による廃液や煤煙などが原因だとわかっても、その企業が倒産したりすれば地域経済に深刻な影響が及ぶからといって、あろうことか患者側に自粛を求めたりする。
国や自治体は、直接に患者を支援すれば責任を認めたことになるので、例えば原因企業に対して解決用の資金などを迂回融資してお茶を濁し、企業が責任を負う形に固執する。
さらに当該企業に融資している金融機関に対して利子の減免などの特別措置を強要し、とにかく企業を延命させて責任を取らせようとする。
こうした複雑な仕組みを運用することによって、真の責任の所在をうやむやにする。
何だか、学校などにはびこっている「いじめ」と軌を一にしたような話ですね。

いくつもの公害病を何とか克服してきたこともあって、さすがにそういうひどいことはなくなりつつあるのかなと思っていたら、福島原発事故の発生で、その性根は全く変わっていないことが暴露されてしまいました。

石牟礼さんの著作、殊に水俣関連のそれは、そういう我々の醜さを自省する上からも読み継がれていくべきものと思います。
「脚下照顧」この言葉を忘れたくないものですね。





nice!(28)  コメント(14) 
共通テーマ:

紅梅 [日記]

昨日は、まだまだ気温は低いのですけれども、陽射しのある所は春の温もりを感ぜられました。

所要があって関内に出かけた折、横浜公園で紅梅の花を見かけました。
2018koubai-01.jpg

久しぶりに接する梅の香りです。
2018koubai-02.jpg

自宅の近所にあった梅林が、建売住宅建築のために切り払われてしまい、いつもなら一月の中旬くらいに接する梅の花と縁遠くなってしまいました。

そんなわけで今年初めて紅梅の花に出会えたことになります。

春の息吹を感ずるのは人それぞれなのでしょうが、私はどうやら花の香りがそのきっかけになっているようです。

最初に出会うのは水仙の香りですが、これはあまりにも儚くてそれ故に愛おしい。

そして梅の花の涼やかな香りが漂い、やがて沈丁花の甘やかな香りに接する。
そんなころに目白に出会ったりすると、ますます春を感じますね。

そういえばずいぶん陽も長くなりました。
近くの土手にはきっと蕗の薹が顔を出していることでしょう。


nice!(22)  コメント(10) 
共通テーマ:地域

皆既月食 [日記]

昨晩、3年ぶりの皆既月食が繰り広げられました。

首都圏では曇りの予報だったのですが、これは見事に外れ、私も久しぶりにあかがね色の満月を見て大満足です。

一応、デジカメで写真を撮ろうと思ったのですが、やはり手振れでなかなかうまく撮れませんでした。

これは半分くらいかけてきた状況。
kaiki01.jpg

皆既月食中です。
kaiki02.jpg

皆既月食は一時間以上にわたり、23時を過ぎる頃、端の方から月の光が返ってきました。

例年にない冷え込みが続いています。

今日も午後から雪が降り、明日の明け方まで降雪があるとのこと。
先日のような大雪にはならない予報ですが、交通機関への影響が心配です。
何とか通勤の足だけはあまり乱れないようにと願うばかりです。

nice!(16)  コメント(10) 
共通テーマ:日記・雑感

首都圏の大雪 [日記]

首都圏に大雪が降りました。

私の職場近くでも、18時くらいでこんな状況です。
2018ooyuki01.jpg

20時30分頃の自宅付近はこんな感じ。
2018ooyuki02.jpg

通常1時間強の通勤時間が昨日の帰りは2時間半を上回り、車内は大混雑。
予報では、夜遅くなるほどに降雪量と風が強まって交通機関に重大な影響が出る、といわれていましたから、通勤客も早めに帰宅の途に就こうとしてのでしょうね。
連れ合いに聞いたところでは、16~17時頃の混雑や遅れもひどく、急行電車などの運行をやめて対策をとっていた鉄道会社も処置なしだったとのこと。

自分もそうなのでこんなことを書くのは天に唾するようなものですが、あれほど前から大雪になって首都圏の交通機関は大混乱に陥る、とアナウンスをされていたのに、どうして出勤するのでしょうかね。
思い切って自宅待機すればいいし、それが普通の対応になれば交通機関の混乱もだいぶ緩和されることでしょうに。
私自身も、「別にそれほど急ぎの仕事があるわけでもないし」と思いつつ、結局のところ出勤したので、とても言えた義理ではないのですが。
これはつまり、「平日に出勤する」という習慣が染みついていて、とにかくそのルーティンをこなすことが日々の目的と化しているからなのかもしれません。
習慣や癖というものはなかなか治らないそうで、「毎日出勤する」という社畜じみたものが40年以上も習慣になっている自分の身を改めて振り返ってしまいました。

今日は一転して晴天。

朝の内は冷え込んでいたものの、陽射しを受けて気温も上がり、過ごしやすい気候になりました。
こんな記事もあって、一夜明けた幻想的な首都圏の雪景色はなかなかです。

4年ぶり大雪で東京が雪景色 夜の浅草寺や朝霧に包まれた多摩川河川敷など、SNSで話題の風景写真

道路の雪は大半が片付けられ、ソールパターンのある靴であれば問題なく歩けます。

その雪の片づけですが、歩道など道路の雪に関して、きちんと除雪されているところと放置されているところがくっきりと分かれ、非常に興味深く感じています。
これは、例えば晩秋から初冬の頃の落ち葉の片づけにもつながりますが、きちんとした会社のオフィスの前やスーパーの前の歩道などは比較的早い時間から除雪(片付け)がなされていました。
マンションのような集合住宅では、恐らく管理組合や管理会社の質の差によるものだと思われますが、きちんと片付けがなされているところと放置されているところが、これまたくっきりと分かれます。
学校では、私立の名門校などは校舎周辺で入念な片づけがなされていますが、公立校ではあまり徹底しているとはいえないようです。

それから相対的にルーズな印象があるのはファストフード店。
中でも「ま〇や」などは完全な放置状況です。

コンビニでも、「○ーソン」などは朝早くから店員が雪かきをしていましたが、「セ〇ンイレ〇ン」などは、お昼ごろになってようやくスコップを片手に雪を片付けている姿が見受けられました。
恐らく、お店のオーナーの姿勢の違いなのでしょうが。

また、おしゃれなレストランの前だけが雪かきがなされていないのをみたりすると、どんな料理やサービスを提供してくれるのかわかりませんが、こうしたあたりの態度にその店のサービスの質が現れるのではないか、などと意地悪く考えてしまいました。
半面、昔ながらの食堂やお惣菜屋の前はきちんと除雪がなされており、客商売の心意気の奥深さみたいなものにふれたような気もします。

私の生家である八ヶ岳山麓の町は、それほどの降雪量はありませんが、やはり冬には雪かきがしばしば必要になります。
子供の頃、早朝に有線放送でたたき起こされ、寒さに震えながら地区総出で道の雪かきをしました。雪かきは、地区のそのほかの共同作業に比べて軽い仕事でしたから、たいていの家では子供がその役務を担っていたわけです。
早朝に実施するのは、云うまでもなく自分たちの通学に支障が出ないため。
雪の降る地域では、それそれの地区の共同作業で公共部分の雪かきをするのが当然でしたが、そうした田舎よりもはるかに人口も多く家もたくさんある都心でそういう共同作業が実施されないのはどうしたわけなのでしょうか。

「自分の庭先だけをきれいにする」

そんな言葉を仕事の世界ではしばしば聞きましたし、そうした事例も数多く見てきましたが、歩道などに点々とまばらに残る雪(或いは落ち葉)の情景を眺めていると、その言葉が俄かに現実味を帯びてくるように感ぜられました。

nice!(20)  コメント(13) 
共通テーマ:地域

2018年、本年も宜しくお願い申し上げます [日記]

新年、明けましておめでとうございます。
本年も何卒相変わらずのご愛顧をお願い申し上げます。

2018年となりました。
大晦日には雪も降りましたが、元旦は穏やかな晴天に恵まれました。

今、八ヶ岳山麓の生家に帰省しております。
2018-02.jpg
代り映えのしない、生家のベランダからの初日の出です。

富士山もくっきり見えています。
2018-01.jpg

大納会における日経平均株価が、6年連続で前年を上回るなど、経済の面では好調の波が続いている模様です。
しかし私たちを取り巻く環境は内外ともに不安定要素が高まり、カタストロフに向けた不気味な足取りが聞こえてくるような気もしています。

己を見失うことのないよう、今年もささやかながらも誠実に生きていきたいなと思います。
今年もよろしくお願いいたします。

nice!(21)  コメント(16) 
共通テーマ:日記・雑感

「一人ぼっち」で過ごす定年退職者の哀愁 [日記]

このところ、少し夏に戻ったような気温が続いています。
尤も、この週末には雨となりそこから秋冷を迎えるとのことですが。

この気候ゆえのことか、金木犀の花がずいぶん長くもっているような気がします。
私のお昼のウォーキング・コースでも、この時期はこの香りを楽しむことができますが、金木犀というと垣根くらいの感覚でいる私の思い込みを覆す大木が結構あり、ちょっと驚かされました。
kinmokusei.jpg
見事な風格ではありませんか。

ところで先日少し考えさせられる記事がネットにアップされていました。

「一人ぼっち」で過ごす定年退職者の哀愁、午前中の図書館、カフェ、ジム…

私の八歳年上の先輩が、リタイア後は図書館に出かけることが多くなった、とつぶやいていたことを改めて思い返しています。
10年以上前のことになりますが、出向先の職場近くにある図書館に、調べものがあって出向いたことがあります。
その図書館の近くには場外馬券売り場や歓楽街もあったためか、ホームレスと思しき方がかなりの数おられました。冬の寒い時期であり、なるほどここで寒さから身を守っているのだな、とちょっと納得したりもしました。
そうした方々とはもちろん事情は異なるのでしょうが、「することがない」「家に居場所がない」というのが理由の一つであるとするのであれば、なんだか少し寂しいものを感じます。
先に挙げた先輩は、「今まで自由になる時間がなかった。リタイヤしたことによって大好きな本が毎日好きなだけ読めるのが本当に嬉しい」と、心底嬉しそうに語ってくれましたから、「哀愁」というようなものとはだいぶ違うようにも思います。

しかし、これまで会社組織の中にどっぷりとつかり、人間関係もその組織の中でのみ構築されてきた人たちにとって、そうした「拠って立つ基盤」をなくした喪失感は想像を絶するものがあるのかもしれません。
 ただ、定年退職者を取材した時に、私の問いに正面から答えてくれた人たちのなかには、「毎日やることがなくて困っている」、「一番自由な今が一番しんどい」、「家で居場所がない」、「暇になったのに焦る」、「嫌な上司もいないよりはマシ」などと語られることがある。なかには「このままの毎日が続くと思うと、自分の人生は何だったのかと思うときがある」とまで発言した人もいたのである。
 
 彼らの発言と住宅地や都心をまわった取材を重ね合わせてみると、在職中は組織内での上司や同僚、部下との濃密な人間関係を築いているにもかかわらず、退職後はその関係が切れてしまい、自分の居場所が見つからなくなっている、ということだ。

うーん、これは深刻ですね。

1993年に公開された「僕らはみんな生きている」という映画では、主人公の高橋がゲリラの首領に対して啖呵を切るシーンがあり、その中に、退職するまで毎年300通来ていた年賀状がたった7枚に減ってしまい、正月の間、毎日郵便配達の来るのを玄関で待っていた父親の話が出てきます。
当時まだ30代の後半だった私は、この描写になんだかいたたまれないものを感じましたが、そこまで極端ではないにしても似たような慨嘆にふける向きもかなりあろうかと思います。

「自分の人生は何だったのか」。

そう感じてしまうのだとしたら、誠にやりきれない話です。

また、平日昼間のスポーツクラブが高齢者のたまり場になっているというくだりも、なんだか生々しいことですね。
 昼間であれば何回使っても定額のコースがあり、朝から夕刻近くまでクラブで過ごしている人もいる。サウナや浴場もあるので「昼食を持ち込めば本当にゆっくり過ごせる」という男性定年退職者もいたのである。
 
 以前、利用者の意見を掲示するボードに、「スポーツクラブだと思って入会したのに、ここは養老院なのか」と批判する意見が書かれた用紙が貼られていたことがあった。それに対して、クラブ側は「この施設はいろいろな世代の人に利用してもらうものです」と回答をしていたのを覚えている。こんな意見はわざわざオープンにしなくても良いと思ったが、批判する意見を書いた女性の気持ちは分からないでもなかった。

手厳しい意見とクラブ側の大人の対応とのコントラストに、思わず唸らされました。

さて、以前もこのブログに書きましたように、私は40年間勤務した職場を二年半前に退職し、全くかかわりのない新しい職場に再就職をしました。
現在の職場は隔週の土曜日がフル出勤なので、週末を自分の自由に過ごすことはかなり困難です。
山登りはもちろん、音楽を聴いたり映画を観たりする時間を確保するのも難しく、本すらもゆっくり読むことができない。
そんなわけで、もしも完全なるリタイアを迎えることになったら、今度こそやりたいことをとことんやってみたい!などと思っています。

この記事を読んで、なるほどと頷かされることも多かったのですが、「哀愁」とまで云えるのか。
むしろ一人でゆったりと自分の好きなことをしてみたい人も相当数いるのではないか、と感じている次第です。

nice!(25)  コメント(16) 
共通テーマ:仕事