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ブルックナーとブラームス [音楽]

冬に戻ったような気温となりましたが、そのおかげで桜の花は散らずに残っています。
私の職場近くの桜坂は、その名にふさわしい桜の花が盛りとなりました。
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ブルックナーとブラームス。

しばしば対蹠的な関係として取り上げられますが、両者の残した音楽のいずれも大好きな私としては、どうもそのあたりに居心地の悪さを感じてしまいます。

これは恐らく、ワーグナーとハンスリックとの間の対立・反目が引き起こしたものではないかと思われ、ブラームスとしては自分の熱烈な支持者であるハンスリックの手前、ブルックナーの音楽を公式に認めるわけにはいかなかったのでしょう。
ハンスリックはワーグナーとその信奉者(ブルックナーなど)を徹底的に批判し、ブラームスを高く評価して擁護しましたが、当のブラームスとワーグナーは、ある点ではお互いに認め合っていたそうですから、偏屈者の評論家の存在は、今も昔も鬱陶しいものであったのかもしれません。

交響曲というジャンルから見てみれば、両者とも4楽章制を墨守しており(ブルックナーの9番は3楽章ですが、これは未完ゆえのことであり、本来は4楽章の交響曲としての完成を目指していたのは周知のとおりです)、両端楽章にソナタ形式かそれに類する重厚な楽想を置いて、第2楽章に緩徐楽章を配置するという、古典的な交響曲の形式に則っています。
ブルックナーの8番と9番は第3楽章に緩徐楽章を持ってきておりますが、これはベートーヴェンの9番に倣っているようにも思われます。

いずれにしても、交響曲の三大B(という言葉があるかどうかは不明ですが、ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームス)の中で、ベートーヴェンを崇拝した両者が、「田園」の5楽章制とか「第九」の声楽導入といったような方向性を採ることなく、古典的な形式にこだわった点では、きわめて近似的な印書を受けてしまいます。

因みに「田園」はその後の交響詩方向(標題音楽)へ、「第九」はマーラーによって徹底的に巨大化が試みられます(ワーグナーの楽劇も、原点は第九にありそうな気もします)。

しかし、両者の音楽は大きく異なっています。

ブルックナーはいつ果てるともしれない高山の延々たる山脈を想起させ、ブラームスは堅固に凝縮された構造物を目の当たりにするような感覚を湧きあがらせます。
これを、両者の個人的な気質の違いに帰結させるのは常套と思いますが、私はそこに、オーストリアとドイツとの違いを感じてしまう。
これはもしかすると、カトリックとプロテスタントとの違い、ということもあるのかもしれません。

シューベルトもそうですが、オーストリア人の音楽では主題の反復がカタルシスに至るまで繰り返され、それこそ延々と続く印象があります。
「疾走する悲しみ」などと表現されることもあるモーツァルトの交響曲第40番。
ブリテンは、この曲における繰り返しの指定を忠実に再現したレコードを残していますが、これは実に考えさせられる演奏で、駆け抜けるように演奏されることの多かったこの曲の本来の響きがどのようなものであったかを知ることができます。
いうまでもなくモーツァルトもオーストリア人でありましたから、同様の感性を持っていたのではないでしょうか。

延々と続くかのような主題の繰り返しと、ほかの交響曲などからの引用も含めた壮大な念押しコーダ。
これはブルックナーの交響曲の大きな特徴であり、現在ではそれを美点として評価されていますが、ブルックナーの存命中は、それを欠点ととらえ、弟子たちによる「改訂」が猖獗を極めたわけです。

「本当に必要な音符しかモーツァルトは書かなかった」として、自分はともすれば無駄な音符を書きすぎると自身を戒め、徹底的な推敲を重ねたというブラームス。
無駄な音は一音たりとも許さず、納得のいかない作品や習作的なものは完全に破棄したといいます。
以前にも書いたことがあると思いますが、頭の中にある主題が浮かんだ時、いったんはそれを封じ込めるためにほかの仕事などに熱中し、ひと月くらい経ってなおかつその主題が頭の中から去らなかったときにはじめて使うことを考える、というほど、厳しい態度で作曲に臨んでいたのだそうです。

そうしたブラームスからすれば、ブルックナーの音楽は主題を次から次へと野放図に紡ぎだす我慢のならないシロモノと思えたのかもしれません。
オルガン奏者としてのブルックナーを高く評価し、ウィーン大学などでの音楽理論の講義についても、特にその対位法などに関しては肯定的に受け止めていたらしいのですが、彼の交響曲については「内容が全くなく徒にこけおどかしの大きさを持った交響曲の化け物」という評価を下し、認めませんでした。
ただ、これにも様々な見方が存在するようで、ブルックナーのような創作態度を才能のない人間が軽々に真似ることを戒めるという意図もあったらしく、仮にそうであるとすれば至極ご尤もな見解ともいえましょう。

同じドイツ語圏であることから、なんとなくドイツとオーストリアを同一視してしまう嫌いが私にはありますが、その成り立ちなどからみると国民性にはかなりの違いがあるようです。
ハプスブルグ家とメディチ家は、ヨーロッパの文明や芸術を語る上でやはり閑却できない存在ですが、考えてみればオーストリアも神聖ローマ帝国の流れを汲んでいるわけで、その意味では同根なのかもしれませんね。
15年以上前のことですが、たまたま職場で欧州各国の話をしていた時に、うらやましいとは思いつつも日本人には真似のできないこととして、私は「そういえばイタリアにおいて何よりも大切なのはmangiare(食べること)cantare(歌うこと)amore(愛すること)の三つで、これを聞いた時には驚きました」という話題を提供したことがあります。
すると、ドイツでの勤務経験のある上司がその話を受け取り「それはオーストリアも全く同じだ」と述べたのです。
そして、ハプスブルク家とメディチ家の話で、その場はしばし盛り上がったのでした。
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芸術の創造と訴求力。交響曲を巡って。 [音楽]

以前にも書いたことがありますが、音楽の中で、私はとりわけ交響曲を好んで聴く傾向があります。

haydn.jpg交響曲における、ソナタ形式-緩徐楽章-メヌエット-ソナタあるいはロンド形式、という四楽章制をハイドンが確立させ、序奏-主題提示部(第一主題、第二主題)-展開部-再現部-結尾部(Coda)というソナタ形式もハイドンによって完成されました。
ベートーヴェンが、メヌエットをスケルツォに変更してより抽象性を強め、交響曲の形式をさらに発展・強化させたのはご案内の通りです。

しかし、交響曲の歴史を詳しく見てみると、物事はそれほど単純ではなく、それまでオペラの序曲などに用いられて発展してきたシンフォニアが独立した管弦楽曲となって、18世紀の数多の作曲家がそれを発展させる形で様々な実験を試みていたようです。
その動きは欧州全土に広がり、ウィーン、マンハイム、北ドイツ、南ドイツ、イタリア、フランス、イギリスなどで様々な作品が生み出されました。
18世紀の交響曲に関するカタログは一万章にも及んでいたという事実もあり、それまでの三楽章にメヌエットを加えて四楽章にするという試みも、マンハイム楽派の創設者であるJ.シュターミッツによってなされていたようです。
そうした活動の最先端を走っていたのは、そのJ.シュターミッツ、北ドイツのC.P.E.バッハなどで、ウィーンはむしろ立ち遅れていた存在でした。
ハイドンでも、初期の交響曲などはパリで出版されていたとのことですから、今日の感覚からすれば不思議な気もしますね。

ただ、ある意味からすれば、ウィーンが立ち遅れていたことによって、余計な観念からフリーとなり、ハイドンはより自由な発想から様々な実験や試行錯誤を続け今日に伝わる交響曲の形式を確立し得た、ともいえるのではないでしょうか。
ハイドンの衣鉢を受け継いだモーツァルトの交響曲が、ウィーンに腰を落ち着けてからのハフナー以降とその前との間で大きく変わっているように受け止められるのもこうした背景があってのことかな、などと思ったりもします。

いずれにしても、18世紀当時には正に百花繚乱たる趣があったであろう当時の交響曲のほとんどが現在では演奏される機会もなく、一般の聴衆からは忘れ去られた存在になっていることに、ある種の感慨を抱かざるを得ません。
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンによって確立・発展した交響曲の系譜が現在まで命脈を保ち、ロマン派の作曲家たちもベートーヴェンの交響曲をその範として拡大・充実させてきた、ということでしょう。

ブラームスやブルックナーは4楽章制というベースを頑なに守り、ドヴォルザークやチャイコフスキー(第3番は「例外」ですが)もその系列だと思われます。

一方、第9番「合唱付き」は、マーラーによって極限にまで拡大・発展化を遂げます。
マーラーによる4楽章の交響曲は、第1番・第4番・第6番・第9番ですが、第5番や第7番も、序奏の部分が巨大化して5楽章になったという見方もあります。
シベリウスの交響曲では第7番で単一楽章に至りましたが、ベートーヴェンは第5番や第6番で楽章の切れ目なしの演奏を指示していることから、その流れを汲んで純粋に高めた境地の作品ということもできましょう。

一方で、第6番「田園」は、作曲者自身が標題を付けてその意図を明確化したという点でも画期的な方向性を示す作品であり、この曲がなければベルリオーズの「幻想交響曲」もあのような形のものとして確立したかどうかわかりません。
「田園」は、ロマン派によって育まれた交響詩の出発点とも考えられますし、音楽評論家の松本勝男さんによれば、それはスメタナの「モルダウ」にまでつながっていく、とのことで、これは非常に興味深い見解ですね。

さて、18世紀から19世紀にかけて発展を遂げ、特に19世紀に至り、作曲家は、交響曲というジャンルで自己における最大限の表現を達成したいと願った。
ワーグナーのように、ベートーヴェンを神のごとく尊敬しつつ、交響曲というジャンルにおいては到底その域に達することができないとして、楽劇という独自の芸術の道を切り開くとか、リストのように交響詩を創設し新たな表現形式を確立しようとした人たちも、交響曲の作曲は試みているのですから、やはりその範疇に入るのでしょう(リストなどはベートーヴェンの交響曲全曲をピアノ曲に編曲しています)。

文字通り心血を注ぎこんで作品を生み出そうとするわけですから、生涯に世に送り出せる曲数にはおのずから限られます。
交響曲の創作は9曲が限界、という言い伝えも、あながち俗説とばかりはいえないのかもしれません。

ところで、演奏会のプログラムは、
  1. 序曲など短い管弦楽曲
  2. 協奏曲
  3. 交響曲

などという形になることが多いようですが、やはり締めくくりに持ってくる曲は、作曲家が心血を注ぎこんで作り上げた交響曲を、という聴衆の要望が強かったからなのではないかと思います。
私も何度かそういう演奏会に行きましたが、マーラーやブルックナーなどの場合は、交響曲1曲だけ、というメニューとなることも少なくありません。
「春の祭典」や「海」などが締めとなる演奏会もあったりしますが、楽器編成からしても曲の内容からしても交響曲と遜色ない規模の曲でありながら、「最後にドーンと聴きごたえのある交響曲がほしかった」などという聴衆の声も少なからずあるのだそうです。
私も含めて、いわゆるクラシック音楽のファンや聴衆にとって、交響曲はいまだに閑却すべからざる存在なのではないでしょうか。

しかし、以前も書きましたが、20世紀に入って交響曲の創造は徐々に終局を迎え、21世紀の現在では、わずかな例外を除いて、19世紀のように己の創作の重大なメモリアル的作品に位置付ける作曲家はほとんど存在しない状況となりました。

理由はいくつか考えられるのでしょうけれども、音楽の世界でもグローバル化が非常な勢いで進展し、それまでの西洋音楽では考えもつかなかった楽器や表現が創造者の前に開かれ、多彩な音のパレットの中から、それぞれの音の特徴を最大限に生かしたい、つまり、ドビュッシーなどが推し進めた「一音の響き」を重要視する傾向が強まっていったことがあるのかな、と個人的には考えています。
古典的な二管編成から後期ロマン派の四管・五管へと編成は拡大しても、演奏母体であるオーケストラの楽器自体は変わらず、そうした楽器の合奏によって構造的な響きを定まった形式の中で構築する。
大変失礼な言い方をあえてすれば、そうした行き方の中ではもはや新しい響きの創造は困難だと、先達たちの偉業を前にして、20世紀以降の作曲家たちは立ちすくんでしまったのかもしれません。

機能和声や厳格なポリフォニーからフリーとなり、旋律の束縛を排した無調や12音階と発展していった前衛音楽。
しかし、そうした新しい音楽が演奏会のメインに据えられることは非常に難しかったのではないでしょうか。
先ほど述べた演奏会のプログラムの雛形からも類推されるように、聴衆の好みはロマン派以前の作品に向かいます。
私自身、20世紀の音楽、シェーンベルク、ベルク、バルトーク、ウェーベルンなどからピエール・ブーレーズに至るまで、好んで聴きますし、武満徹の音楽などはほとんど「溺愛」しているといっても過言ではないほど聴きこんでいます。
でも、やはり聴いていて最も気持ちが安らいだり感動を新たにしてしまうのは、ブルックナーやブラームスやマーラーだったり、J.S.バッハだったりします。
新しい時代の音楽、特に現在の自分と同じ時間の流れの中にある音楽は、それを同時代性の中から理解しようと努めたりはしますが、真に魂を震わせるような感動を呼び起こされるものにはなりえません。

これは、決して懐古趣味的な観点からのものではないと思います。

先にも述べたように、18世紀中に1万章を超える作品が存在したとされる交響曲の中で、現在も脈々と演奏され続けている曲はほんの一握り。
これらは例外なしに、そうした聴衆の厳しい選別という熾烈な競争を勝ち抜いて残ってきたものばかりなのですから。

さらにいえば、そのようにして現在まで残った名曲ですら、生み出された同時代に、今のような至高の存在になり得ていたわけではありません。
これはおそらく、芸術という、人の内面に働きかけ感動を呼び起こす表現全般に当てはまるものなのでしょう。

例えば絵画の世界においても、ルネサンスから古典主義、ロマン主義、印象派といったあたりの作品を私は好みます。
ラファエロ、グレコ、ルーベンス、フェルメール、ドラクロワ、ミレー、ゴーギャン、セザンヌなどなど。
キュビスムやシュールレアリスムへと時代が進む中で、ピカソやダリやマグリットの作品に胸は打たれつつも、先に挙げた画家のような全幅的な感動にまでは至りません。
20世紀以降では、フランシス・ベーコンとかグスタフ・クリムトなどの例外を除いて、心を激しく揺さぶられるような絵を思い浮かべることがなかなかできません。
現在開催される美術展の中で多くの観客を呼び込む力のあるのは、誤解を恐れずに云えば、やはり印象派以前のものが大半を占めるのではないでしょうか。
進歩派を気取ってはいても、人の心の奥底は相当に保守的なものなのでしょうね。

「芸術は未来において完結する」

芸術家は、いつの時代もそうした重い十字架を背負い続けて、作品を生み出そうとしているのかもしれません。
奥深くも厳しい世界だなとつくづく思います。



締めくくりとして、矢代秋雄さんの交響曲のCDをご紹介します。
20世紀に至って交響曲を世に送り出した日本人作曲家はたくさんおられますが、その中で矢代さんの交響曲こそが本来の形を失わずに屹立した孤高の作品の一つと、私は考えるからです。
欧州に大幅な遅れを取った日本人による交響曲が、このような形で生み出された奇跡に感謝しつつ。
機会がございましたら、是非ともお聴き下さい。

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シューマン交響曲第4番 [音楽]

関東地方は梅雨入りとなりました。
紫陽花の花が競うように美しく咲いています。
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5月は結局一つも記事をアップできませんでした。
書きたいことがないわけではないのですが、どうにもまとめる気力が湧いてこない。
こういうときは無理をしないのが肝要だろうと思っています。
現在でもその状況に対して変わりはありませんが、何かを書くことでもしかすると自分の中のスイッチも再度入ることがあるのではないかと、思い直したりもして、久しぶりのアップとなりました。

このところ、何となくなのですがシューマンの交響曲を聴くことが多くなりました。
私はもともとシューマンが好きで、以前にも書いたと思いますが、中学生のときにはじめて自分の小遣いで買ったLPレコードはシューマンのピアノ協奏曲(裏面はグリーグのピアノ協奏曲)であったくらいです。
シューマンの交響曲を初めて聴いたのは、高校生の時のNHK教育テレビでのN響の演奏会の放映で、曲目は第4番でした。
指揮者はスウィトナーだったかサヴァリシュだったか判然とはしませんが、第3楽章スケルツォの第1主題が耳についてはなれなかったことを思い起こします。
高校を卒業して就職し、給料をもらえるようになって、少しずつレコードを買いそろえていた折、セル指揮クリーブランド管のレコードを買い、感動を新たにしたものです。

そんな中、第4番で、フルトヴェングラー指揮によるベルリンフィルの演奏に出会いました。



1953年の録音で、正に円熟の極みともいうべき演奏だと思います。
私がこのところずっと聴いているのももちろんこの演奏で、リマスタリングの性能が向上していることもあって、音質も非常によろしい。
私見ではありますが、第4番の演奏ではこれが最高だと、私は思っております。
ただ、この曲(第4番)の演奏に当たっては4つの楽章を切れ目なく演奏することがシューマンの意図であり、事実、そのように演奏されることが多い中で、このレコード(CD)では第1楽章と第2楽章の楽章間に空白が設定されているように聞こえます。
フルトヴェングラー自身は、様々な記録から鑑みて切れ目なく演奏していたはずなので、これはどういうことなのか。
(ベートーヴェンの第5番に触発されたといわれる)第3楽章と第4楽章は切れ目なく続いていますから、もしかすると録音として編集する際に編集側が「気を利かせて」パウゼを入れたのかもしません。
あるいは、そもそもフルトヴェングラーが楽章間にパウゼを入れたのか、ちょっと気になるところではあります。

フルトヴェングラーの演奏では、第4番のほかには第1番のみが残されていますが、先ほどのセルを始め、クレンペラー、クーベリック、サヴァリッシュ、スウィトナー、バレンボイム、バーンスタイン、シャイーなど錚々たる指揮者がシューマンの交響曲の全曲録音を残しています。
その割には、あまり実演で取り上げられることが少ないような気もしています。
理由はいろいろと考えられますが、一部にはシューマンのオーケストレーションが(ショパンと同じく)稚拙だから、などという乱暴な意見もあるようですね。
私はそのようには感じませんが、確かにブラームスなどと比べれば、演奏による響きの効果をあまり深く考えていなかったということもあるのかもしれません。
シューマンは、練習のし過ぎ(自分で考案した練習機械まで使った)で指を壊すほどピアノに熱中していましたから、楽想はピアノの鍵盤上のものをそのままに移し替えていたのかな、と。
短い音符で半音階のターンを繰り返すみたいな旋律は、ピアノの鍵盤上では何ということもないのですが、管楽器では結構大変だったりしますし、シューマンが創作活動にいそしんでいた当時の管楽器の性能を鑑みると、それが奏者を辟易とさせた可能性もあります。
金管楽器では、ベーム式のバルブが発明される以前など、基本的にC・G・C・E・G・Cくらいの音しか出せず、それ以外の音を出せるのは、スライド式であったトロンボーンやベル中の右手で音をコントロールできるホルンくらいのものでした。
木管楽器でも、嬰(#)や変(♭)記号の音を安定して出すのは、キーシステム導入前はかなり困難だったはずです(リコーダーやトラベルソなどを想像していただければお分かりかと)。
ベートーヴェンのようにオーケストラの楽器の性能を熟知していた人は、そのあたりの呼吸をわきまえていて、各パートに無理なく旋律を振り、演奏効果を奏者が自覚できるような書き方を心得ていました。
シューマンは、情熱的でほとばしり出るような霊感の持ち主であったらしく、その作曲速度は大変な速さだったそうですから、頭の中に浮かんだ楽想そのままに五線譜を埋めていったのかもしれませんね。

現代の楽器の性能は飛躍的に向上していますから、先に述べたようなパッセージなど、奏者は苦も無く演奏することができるでしょう。
しかし辟易とさせられるのはそれほど変わりはなく、「同じ苦労をするのならブラームスの方がそこから得られる響きの実現と深みにおいてはるかに効果的だ」と発言する指揮者や奏者もいるのだそうです。

ただ、裏を返せば、それでもシューマンの交響曲を演奏しようとする人たちはそうした労力を惜しまないわけで、従って「外れ」はかなり少ないのではないか、そんな風にも思います。

カール・ベームの回想録である「回想のロンド」の中に次のような箇所があります。
指揮者はたえず、ホルン奏者たちに、「大きすぎる。みなさん、もっとピアノで、ピアノで」と叫んでいる。彼がそれを三回繰り返すと、首席演奏者は仲間のホルンたちの顔を見る。それで同僚はその旨を了解して、また練習にかかる。さて、その箇所の練習が終わって、指揮者は満足して、「やあ、結構でした。今度は正確でした」というと、ホルンの首席が立ち上がって、「今は誰も何も吹きませんでしたよ」といった。

これはどうやらフルトヴェングラーがシューマンの第4番を取り上げた際の練習(プローベ)でのできごとのようです。
このホルン奏者の「告白」を聞いたフルトヴェングラーは、即座にその個所のホルンのパートを削除することとし、そこの音は休符に代えられました。
それがどの個所であるのか、CDを聴いていても私のような素人にはもちろんわかりません。
しかし、ワインガルトナーも同じような指摘を複数箇所でしており、「余計な」管楽器の音を消して演奏していたとのこと。それによって響きはさらに純粋なものとなり、初期のシューマンの曲にちりばめられていたピュアで清冽な響きが生まれることになる。

晩年のシューマンは、精神的な病の影響もあってオーケストレーションにある種の「濁り」が生じていたのではないかという指摘もあります。
その当否は措くとしても、該当箇所を見る限り、ワインガルトナーの指摘は的を射ているようにも思えました。

以前にも書いたことがありますが、作曲者の頭の中で響いている音楽を記すツールとしての五線譜は誠に不完全なもので、作者の想いのほんの一部分を探す手掛かり以上のものにはなり得ません。
マーラーやプッチーニが楽譜にどれほど多くの指示や願いを書き込もうとも、それが百パーセント実現できる保証はないわけで、逆説的に言えば、それ故にこそ、演奏は千差万別、一期一会の喜びに出会える場所となるのでしょう。

シューマン交響曲全集 サヴァリッシュ&シュターツカペレ・ドレスデン(2CD)

シューマン:交響曲全集 セル&クリーヴランド管弦楽団

シューマン交響曲第4番 フルトヴェングラー&ベルリン・フィル(1953 モノラル)


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シェーンベルクの「管弦楽のための変奏曲」 [音楽]

春めいてきた、と思ったら一気に初夏のような陽気となっています。
陽もだいぶ長くなり、初夏のようなとは云い条、湿度も低くて過ごしやすい気候だなとしみじみ感ずる今日この頃です。

前回の記事でも書きましたように、このブログを更新するモチベーションがなかなか保てず、そうした自分の現在のありようにも不満と焦燥を感じ、どうにも先に進む気持ちが出てきません。
連れ合いの抗がん剤治療も二度目の投与を終え、やはりかなり体調的にダメージが大きく、これでもしもあまり効果がなかったら…、などと、やはりろくでもないことを考えてしまいます。

常では支えてもらうことの方がはるかに多い私のことですから、支えなければならない側に回っている今こそ、弱音を吐いている場合ではない、と自分に言い聞かせている次第です。

先日、ブーレーズの指揮BBC響によるシェーンベルクの「管弦楽のための変奏曲」を聴きながら、そのあまりの美しさと厳しい演奏に改めて胸を打たれました。


周知のとおり、この曲はオーケストラのために書かれた12音技法による音楽の嚆矢ともいえるもの。
しかし、指揮者であるブーレーズの作品ほどには冷徹に突き詰めているという感はなく、そこにはロマン派の名残も色濃く残っているように思われます。
とはいいつつも、20世紀の音楽の新しい在り方を指し示すべく、その旗幟を鮮明にしていることは間違いありません。
ソロとオケが交互に主題を展開していきながら、最後にすべての音を鳴らすという構成力も、さすがにシェーンベルクならではですね。

この曲の初演は1928年で、なんとフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルによる演奏でした。
因みに日本での初演は1974年のことで、こちらは朝比奈隆&大フィルによるものです。
朝比奈先生のチャレンジャーぶりが彷彿とさせられますね。

ところでこのCDでは、この曲の次に「浄夜」が入っており、終曲が終わった後、しばらくの静寂ののち「浄夜」が始まると、なんだかほっとします。
云うまでもなく、この初期の名曲はシェーンベルクが紛れもないロマン派の後継者であることを示しており、機能和声の枠組みの中にありながらトリスタン和音をベースとした半音階進行を多用するなど斬新な試みもなされていました。
しかし、聴いている側としては、分厚い弦楽合奏の響きの中にそのまま浸っていれば心地よく、何も考えずに身をゆだねることもできます。
「管弦楽のための変奏曲」を聴いているときは、やはりこの曲が12音技法によるものだと思うためか、旋律が現れるたびに、それがきちんと12音階になっているかどうかを確かめてしまうのでしょう。
もちろん、そういう制約の中にありながら、これだけ凝縮したそれでいて美しい響きを作り上げ、5分間に及ぶ終曲に向けて私たちを拉致していく技量に感動もするのですが、どこかしら左脳で聴いている部分があるような気がするわけです。

20世紀の前衛音楽のベースともいえる無調主義への扉を開いたシェーンベルクですが、もともとはワーグナーやブラームスに傾倒してその音楽的な基礎を学んだこともあり、伝統的な機能和声というメチエは彼の音楽的底流をなしていたのではないかと考えます。
例えばピカソが、青の時代、バラ色の時代、キュビズムへと進み抽象画の世界へと至りつつも、そのベースには古典的な絵画技法のメチエが完成されていたことと、なんだかつながるようなものもあるのかもしれません。

芸術というものが過去から連綿と続く伝統の上に成り立つものであるとするのであれば、これはある種当然のことといえましょうが、そこには新たな表現を模索する創造者の苦しみも当然に横たわっていることでしょう。

シェーンベルクの初期の作品、とりわけ、先に述べた「浄夜」や「グレの歌」などを聴くと、その苦悩がひしひしと感ぜられます。
私が「管弦楽のための変奏曲」を聴きながら胸を打たれ、なんとも云えない感慨にふけってしまうのも、もしかすると、そのシェーンベルクの苦悩がそこに見え隠れするからなのかな、とも思ってしまいます。

音楽にしても絵画にしても演劇にしても、凡そ芸術というものによって糧を得ようとするのであれば、それを受け止める側(観客など)の心に如何に響くようなものを作り出すことができるか、少なくとも身銭を切ってそれを聴きたい・観たいとする想いをどれだけ喚起できるかが切実な問題となることでしょう。
伝統から学ぶ、という姿勢がどうしても必要となるのは、畢竟、そういう切実感が出発点となっているのかもしれません。失礼な云い条とは思うのですが。

などと、かなり失礼かつ支離滅裂なことを書きましたが、この、ブーレーズによるシェーンベルクの全集CDは聴きものです。
この値段で、これだけ網羅的にこれだけ本質を突いた素晴らしい演奏を聴けるのは本当にありがたいことだと感じます。
お薦めです。
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厚木混声合唱団第25回定期演奏会 [音楽]

厚木混声合唱団第25回定期演奏会に行ってまいりました。
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クリスマスイブでの開催ということで、会場となった厚木市文化会館大ホールは観客でほぼ満員。
厚木混声合唱団がいかに地元から愛されているかがわかりますね。

この合唱団には連れ合いの友人がソプラノパートで参加しているのですが、彼女は難病に罹患しているのにもかかわらず、この合唱団での活動をはじめ、ご自身のソロリサイタルも開き、また絵を描いたりするなど、主に芸術の方面で大変アクティブにご活躍です。
連れ合いに云わせれば、そうした前向きな活動が、豪病に立ち向かう気力を支えているのではないかとのこと。
大した疾病や障碍などを持っているわけでもないのに、何事につけ易きに流れている私などからすれば、正しく眩しいほどの存在です。

当日のステージは4部構成。

第一部は、シャルル・グノー作曲の「聖チェチーリアのための荘厳ミサ曲」です。

聖チェチーリアは、心の内で神への音楽を奏でていたといわれていたことから、音楽を守護する聖人とされています。
ローマ帝国から迫害され殉教したキリスト者の遺体を引き取り埋葬したことから総督の迫害を受け棄教を迫られますが、それを拒んで夫とともに殉教したと伝えられています。
蒸し風呂の刑に処したところ汗一つかかずに耐え抜いてしまったため、最後は斬首されたとのこと。
この折、チェチーリアは打ち付けられた刃に三度も耐え、その後最期を迎えました。
事実であれば、その精神力と神への祈りの強さにただただ驚愕するばかりです。

グノーは、30歳を過ぎてなお、自分は作曲家になるか聖職者なるかで悩んだそうです。
そのためか、有名な「アヴェ・マリア」をはじめ、レクイエムなど数多くの宗教曲を残していますが、「アヴェ・マリア」のほかはそれほど取り上げられてきてはいません。
恥ずかしながら、この曲についても私は、こうした形での全曲演奏を舞台で聴くのは初めての経験でした。
「荘厳ミサ曲」とは云い条、モーツァルトやベートーヴェンのような絢爛豪華さはなく、神様と聖チェチーリアへの素朴かつ純粋な祈りと愛を歌い上げています。
殊に、複雑かつ高度な対位法を駆使し、演奏する側にも聴く側にも極度の緊張を強いるベートーヴェンのそれとの違いはどうでしょうか。
正にクリスマスイブに相応しい典雅で喜びに満ち溢れた選曲といわざるを得ません。
しかし、そうはいっても演奏に小一時間はかかる大曲です。
合唱団の皆様の並々ならぬご覚悟がひしひしと伝わる演奏でした。
メンバーであるお友達のお話によれば、指揮者の方からこの曲の提案がなされたとき、さすがに「無理です」という声がメンバー各位から上がったとのこと。
それに対して指揮者は、今やらなくていつやるのですか!と、まるでテレビで有名な林先生のような言葉で迫り、今やらないで先送りすればますますできなくなる、と強く訴えたそうです。
その気迫がひしひしと感ぜられる熱い演奏でした。
特に、Credoの合唱によるユニゾンはものすごい迫力で、思わず目頭が熱くなり、この日を目指して頑張ってこられた合唱団のメンバーには頭が下がる思いです。
因みに、ソプラノ・テノール・バスのそれぞれのソロは、団員の中でのオーディションを実施し選出されたとのこと。
この試みも、この曲らしく非常に好もしく感ぜられました。

第2部は、高田三郎の「水のいのち」です。

いやしくも合唱経験のある人で、この曲を歌ったことがない方はかなり少数でしょう。
それほど合唱団にとってはなじみの深い曲ですが、それゆえに全曲演奏を舞台で観客として聴くことは少ないのではないかと思っています。
事実、私もこの曲は何度も歌いましたが、こうして全曲を観客側で聴いたのはいつ以来だろうと思い返しつつも記憶が定かではありません。
それはともかく、さすがによく歌いこまれていて、正に自家薬籠中の演目とされていました。

第3部は、混声合唱のためのヒットメドレー「SORA」。
三沢春美さんの編曲で、広く知られた歌謡曲「朧月夜」「夜空ノムコウ」「TOKIO」「君といつまでも」「東京キッド」「浪漫飛行」「春よ、来い」「涙そうそう」が、団員たちのパフォーマンス入りで繰り広げられます。
第1部と第2部で衣装が変わっていたこともあって、ビジュアル面にも力を入れた公演だなと思ってはいたのですが、かぶりものや小物類も含めた団員の皆様の遊び心に溢れたいでたちには驚かされました。
それぞれの曲に個別のショートストーリーを配した振付が施されていて、観客のみならず出演者も楽しんでおられる様子がほほえましく感ぜられます。
ただ、こう申しては失礼かと存じますが、団員の皆様のご年齢はかなり高いように見受けられ、振付に合わせたステップにどうしてもついていくことのできない方もかなりおられました。
合唱などの音楽をやっているのにもかかわらずリズム感に乏しい人は結構いて、例えばシンコペーションとか三連符・五連符・六連符などが取れない場面などにも出くわした経験がありますが、ステージでの踊りやステップではそれが如実に表れてしまうのですね。
その点はちょっと気の毒に感じました。

第4部は「クリスマスの夜に」と題して、「O Holy Night」が披露された後、「きよしこの夜」「ジングルベル」を観客とともに合唱。
客席を埋め尽くした観客の声をも合わせて、厚木市文化会館大ホールはクリスマスイブの祝祭に沸いたのでした。

終演後、ロビーでは団員の皆様が私たちを迎えてくれました。
連れ合いの友人は、長丁場に及んだ舞台の疲れをものともせず、満面の笑みをたたえてお客様たちの祝福の声にお礼の言葉を返しておられます。
「痩せられたな」というのが私の率直な印象でしたが、表情はこの上もなく輝いていて、やりつくした達成感に満たされておられました。
連れ合いによると、痩せたように見えても浮腫みに悩まされておられるそうで、少しでも筋肉をつけられればいいのだけれども、階段を上るだけでも辛いことがあるらしく、ままならないとのこと。
このステージは、そんな彼女が気力で乗り切ったのだなと改めて感動し、このところ活動全般にわたって沈滞気味の私にたくさんの力を与えてくれたように思われました。

厚木市は、合唱をはじめアマチュアの楽団も精力的に活動し、それを市が積極的に公演しているようです。
この日のステージで管弦楽アンサンブルを担当した「ATSUKON室内アンサンブル」も、指揮者の秋山徹氏のゼミの学生が中心となって組織されたもの。
若さ溢れる瑞々しい演奏を聴かせてくれて、これも非常に感動的でした。

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ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の日本公演 [音楽]

真冬並みの寒さが続きます。
暦の上ではすでに冬を迎えてはいますが、11月はまだ晩秋という認識がありますから体の方はなかなかついていけません。
三十台までは「耐寒訓練」などとうそぶいて、半袖シャツに裸足で行動したりしていましたが、現在では冬物のコートを着込みマフラーや手袋までする始末。
往時を知っている先輩などからは、「君の印象は『冬でも半袖』だったのにいったいどうしたんだ?」と疑問を投げかけられますが、結局、体の経年劣化というか、基礎代謝などの基本的な機能が衰えているからなのでしょう。
「寄る年波」という言葉が俄かに真実味を帯びてきています。

このブログの更新もなかなか進みません。

11月初めの連休に八ヶ岳に行ってきたのですが、当初の予定であった地獄谷遡行が体調不良で叶わず普通の山歩きになってしまい、そんな内容のものをアップしても仕方がない、という気持ちになっています。
体調不良の要因は、以前発症してひどい目にあった大腸憩室炎の再発です。
ずっとお腹の張りがとれずにいたのですが、山に入れば気分も変わるだろうと決行。
深夜、川俣川の出合小屋付近に幕営をしたのですが、腹痛と張りでほとんど寝ることもできず、転進。
一般ルートを登るのさえも厳しい状況でした。
帰宅後、行きつけの総合病院で、血液検査・レントゲン・CTなどの検査を行い、やはり大腸憩室炎だったようですが、病気のヤマは越えていて、前のように入院・絶食・点滴治療とはならずに一安心。
お医者さんのお話では「自力で治したということでしょうね」とのことでした。11月1日・2日あたりが最悪であったようなので、その時に診察を受けていれば間違いなく「入院・絶食・点滴治療」になったと思います、といわれ冷や汗をかきました。
体調は最悪でしたが、3日はお天気も恵まれ、晩秋のカラマツやシラカバなどの紅葉が青空に映えて見事だったので、せめてその写真くらいはアップしようと思ったのですが、記事にまとめると愚痴になりそうなので断念したところです。

記事をまとめてブログなどにアップする。
ネット環境が飛躍的に進んだ現在、自分の書いた文章を外部に公表するためのハードルは飛躍的に下がりました。
以前であれば、私のような才能も筆力も教養もない凡人が公の場に何らかの文章を残そうと試みる場合、新聞や雑誌などへの投稿という手段が主でした(高校2年生の時、自分の書いた文章が初めて新聞に掲載されたのですが、その時の嬉しさは今でも忘れられません)。
メインサイトの「雑記」にも書きましたが、こうした投稿においては、当該媒体による審査を経て採用されるという一つのフィルターがあります。
他人が読むに耐えうるレベルの文章かどうか、その道のプロが判断してくれる。
採用されなかった時の悔しさはありますけれども、自分で判断するわけではないので気持ちの上では楽なのではないでしょうか。

しかし、個人のブログやサイトなど、ネット上に記事をアップする場合は、すべてが自己責任です。
自分の書いた文章に対する最も身近な批評家は自分自身だったりするので、これは果たしてアップするにふさわしい記事なのか内容なのかと、どうしても考え込んでしまう。
そのあたりの折り合いをつけるのはかなり難しく、畢竟、記事をまとめる算段が付かずに構想のみで終わってしまう、というのが、今の私の現実なのです。

のっけからくだらない繰り言を書いてしまいました。

気を取り直して、コンサート鑑賞のご報告を致します。

11月21日、サントリーホールでの、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(RCO)の日本公演です。
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指揮は、2016年にマリス・ヤンソンスの後をうけて首席指揮者となったダニエレ・ガッティ。
曲目は、ハイドンのチェロ協奏曲第1番ハ長調とマーラーの交響曲第4番ト長調です。
協奏曲で観客を引き付け交響曲で唸らせる、これで冒頭に序曲を持ってくれば、正しくオーソドックスな演奏会メニューとなりますね。
冗談はともかくとして、コンセルトヘボウは、前身のアムステルダム・コンセルトヘボウの頃からの大ファンで、1977年にハイティンクが率いて来日した時の演奏はいまだに感慨深く思い出すほどです。
所持しているレコードやCDの数も半端なものではなく、とりわけヨッフムとのコンビでの独墺ものは他の追随を許さぬものでした。
今回も、その芳醇かつ透明な響きに身を任せることができ、久方ぶりに至福の時間を過ごしたところです。

ハイドンのチェロ協奏曲第1番。
1961年にプラハで自筆譜が発見され、ハイドンの真筆とされる二つ目のチェロ協奏曲(それまでは第2番ニ長調のみ)となりました。
ハイドンのチェロ協奏曲といえばこの二曲を指しますが、この第1番の演奏機会の方が多いようですね。
ハイドン30代の頃の作品とされ、雰囲気的にはバロックの色合いを強く感じますが、両端楽章はソナタ形式をとっており、古典派音楽としての形式もきちんと整っております。
ハイドンの交響曲や協奏曲などの合奏曲の演奏は大変難しいことで知られています。
個々のパッセージが難しいということではなく、いかにアンサンブルを精緻に透明に響かせるかという合奏の基本的な部分において、いい加減な演奏をすると粗が見えて聞くに堪えないものとなり下がるからです。
その意味では弦楽四重奏曲など室内楽的な「お互いに聴き合う」アンサンブルの呼吸が必要不可欠で、欧州のオーケストラのように、団員たちが進んで室内楽に積極的に取り組んでいるメンバーによる演奏は、正に自家薬籠中の物といえましょう。
チェロ独奏のタチアナ・ヴァシリエワは、もともとロイヤル・コンセルトヘボウの首席奏者。楽団とのアンサンブルは申し分ない関係にあります。
この曲では管楽器が控えめに処理されており、弦楽合奏とチェロのアンサンブルが命とも云えますが、その弦楽合奏、ノンビブラートで誠に艶やかかつ精緻な響きを醸し出しておりました。
そのため、響きには一転の濁りも曇りもなく実にクリアで、まさにハイドンの目指す音の世界を紡ぎだします。
少人数のオケでなければこの時代のハイドンの曲の素晴らしさを表現できない。
しかし少人数であればあるほど、アンサンブルには僅かな乱れも許されません。
相手の音を聴いてから弾いては手遅れで、相手がどのように出てくるかを阿吽の呼吸で計る必要があります。
その見事すぎるほどの完成を、この演奏では見せつけられました。

演奏終了後、独奏者は何度もステージにアンコールで呼び戻されましたが、そのたびにチェロを抱えてきて、それを見ていた連れ合いが「大変だから置いてくればいいのに」と言いました。
私も同感だと考えていた矢先、彼女はおもむろに着席してバッハの無伴奏チェロ組曲を弾き始めたのです。
これまた素晴らしい演奏で、なんとも心憎いアンコールに胸を打たれた次第です。

休憩をはさんで、いよいよ本日のメインイベント。
マーラーの交響曲第4番です。
ソプラノ独唱が急遽交代するというアクシデントが出来しましたが、それをものともせず、これも素晴らしい演奏を聴かせてくれました。

以前にもこのブログで書きましたが、私はマーラーの曲の中では、この曲と第1番を聴く機会が極端に少ないのです。
両曲とも、マーラーの交響曲の中では演奏時間も短く小ぶりで親しみやすいのですが、どうも私がマーラーの曲に求めるところとは微妙に違っているのでした。
マーラーの音楽の中には、ある種の厳格さと野放図さがほとんど脈絡もないままに共存します。
典雅で優美な旋律と卑俗なメロディー、男性的で雄渾な主題が朗々とならされる反面、憂愁に満ちた耽美的な世界も展開される。
それらを自分の音楽鑑賞的な世界と渡りをつけるために、私にとってはあの長さが必要不可欠なのです。
もちろん、第1番も第4番も素晴らしい曲であることは間違いありません。
これは純然たる好みの問題なのでしょう。
因みに、この演奏を聴いた連れ合いの感想は、

「私はマーラーの音楽を誤解していた。マーラーって、陰気で辛気臭くって息苦しくなるような音楽だとばかり思っていたけれども、こんなに明るくわかりやすい曲も書いたのね」

というものでした。
実際、第1楽章の第1主題が流れ出てくると、そのウィーン風で軽快な旋律はまるでハイドンや初期のシューベルトを思わせるような響きに包まれます。
この曲を送り出した頃のマーラーは、ウィーン宮廷歌劇場の指揮者に引き続きウィーン・フィルの常任指揮者にも就任し、のちにマーラー夫人となるアルマ・シントラーとの愛を育んでいた時期にもあたりますから、全編に明るさや希望の光が満ちているのも当然のことでしょう。
連れ合いはその雰囲気を的確に察知したわけで、私としてはちょっとびっくり。
というのも、そもそもクラシック音楽を取り立てて愛好するわけでも興味を持っているわけでもなく、殊にブルックナーやマーラーといった長大な交響曲には辟易すると常日頃云っていた連れ合いの言葉なのですから、ほほう!と驚いたわけです。

それはともかく、この曲においてもRCOの精緻で透明なアンサンブルは最大の効果を上げておりました。
ハイドンのチェロ協奏曲で見せた完ぺきなアインザッツ。そしてボーイングの緻密なコントロール。
それらはオーケストラの規模が大きくなっても少しも変るところがありません。
オーケストラの規模が比較的小さなこの曲では、チューバやトロンボーンなどは配されておりませんが、時折印象的な低音が響きます。
それらは、例えばホルンとファゴット(コントラ・ファゴット)との音を重ねることによって表現されたりしますが、それを実演で目の当たりにする愉悦はたとえようもありません。
「少年の魔法の角笛」との関連もあって木管が数多く用いられていますが、オーボエやコールアングレやクラリネットのベルを客席に向けてまっすぐに音を飛ばしてくる光景も、また見ごたえがありました。

第4楽章のソプラノ独唱。
この曲が始まる前、指揮者の脇などにソプラノ歌手の席があるものと私は思い込んでいたのですが、そのようなスペースはなく、3楽章が終わった後に改めて入場するのかなと疑問に感じました。
すると独唱者は、出番の前(第3楽章の終わりあたり)に、舞台に向かって右側の袖から静かに歩み寄ってオケの最後部、ホルンの後ろ、ティンパニーの右に立ちました。
私は恥ずかしながら、この曲を実演で聴くのが初めてでしたから、この入場の仕方には驚くとともにある意味納得です。
先にも触れましたが、当初ソロを予定していたユリア・クライターは体調不良により降板し、急遽マリン・ビストレムに交代。
きちんと合わせられるのだろうかとの要らぬ心配をよそに、さすがはプロです、完ぺきに代役を務め、「天上の生活」を見事に歌い上げました。
彼女も、マーラーの第4番はレパートリーの一つにしているとのことですから、当然ですね。

晩秋というよりも初冬の冷え込みのさなかではありましたが、RCOの素晴らしい響きは心の奥底まで温もりを与えてくれました。
連れ合いも満足げで、これも嬉しい限りです。

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浄瑠璃「生写朝顔話」 [音楽]

9月に入っても曇り空の雨勝ちで、秋の気配も濃厚になってきています。
近所の垣根ではムラサキシキブが紫色の実をつけていました。
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先日、国立劇場に「第200回文楽公演」をに観に行ってまいりました。

当日の演目は「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)」です。
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仮名手本忠臣蔵を観てから、連れ合いも文楽に興味を持ち始めたようで、今回の提案もすんなりと受け入れてくれました。
今回の演目はどんな芝居なのか予め知っておこうと、自分からネットを検索し、あらすじを頭に入れて臨んだくらいで、私としては嬉しくもありちょっと驚きもしたところです。

この物語は儒者・熊沢蕃山作といわれる琴唄の今様歌

「露の干ぬ間の朝顔を照らす日かげのつれなきにあはれ一村雨のはらはらと降れかし」

から着想されたものです。
朝露を受けて咲く朝顔は誠に瑞々しく美しい花ですが、陽が昇ればたちまちに干上がって萎れてしまいます。
その姿が哀れなので、せめて一叢の村雨(驟雨)よ降れ、さすれば花の萎れることもなかろうものを、と歌ったものなのでしょう。
零細農民など庶民の側に立って藩政改革を行うことを提言し、治山・治水に尽力した蕃山の優しさがにじみ出てくるような唄ですね。

「生写朝顔話」の中ではこの今様が非常に重要な物語の鍵を握っており、冒頭の「宇治川蛍狩りの段」において宮城阿曾次郎が深雪の差し出す扇子に記した詞が、「宿屋の段」で瞽女の朝顔(深雪)によって歌われ、駒沢次郎左衛門(宮城阿曾次郎)はこの瞽女の朝顔こそが行方知れずとなった妻(云い交した女)の深雪であることを知る、というものです。
この今様を朝顔(深雪)が歌うシーンは、鳴り物にも琴が用意され、もちろん人形も琴を奏でます。
このシーンの人形の手は、このために指が一本一本動くようにしつらえられており、演者の吉田蓑助入魂の遣いで、正に深雪の人形が琴を奏でながら歌っているように感ぜられました。

筋を詳らかにするのはやはり無粋ですからここでは省略いたしますが、悲劇的な結末を迎えることの多い浄瑠璃の中では大団円を予感させる終わり方で、その点では比較的珍しい展開だと思います。
そうはいっても非業の死を遂げる役柄(深雪の乳母である浅香と戎屋徳右衛門ら)もおりますが、これは浄瑠璃の劇的展開の上では一つのお約束事、というべきもの。
盲目となった深雪の目を命を捨てて開かせる重要な役割を担う戎屋徳右衛門が、実は乳母・浅香の父親の古部三郎兵衛であり、娘の浅香が身を挺して深雪を暴漢から守って絶命する(その際に親子の証拠の守り刀を深雪に渡す)という、いわば主筋の姫のために一命をささげる主従の契りを体現した展開にも心を動かされます。

阿曾次郎と深雪が別れ別れになるのも、大風や大雨によって氾濫した川のせい、というところも一貫した物語の流れとなっております。

涙を誘うのは、深雪と浅香の邂逅と非情な別れを描く「浜松小屋の段」。
ここでは、深雪を吉田蓑助が、浅香を吉田和生が、それぞれ演じ、さすがに当代人形遣いの無形文化財お二人による遣いを心行くまで堪能させてもらいました。

また、チャリ場である「嶋田宿笑い薬の段」では、萩の祐仙を遣った桐竹勘十郎の超絶的な演技と豊竹咲太夫のこれまた入魂の語りがものすごく、ただただ驚嘆するばかりです。
時折、太棹の演奏が途切れる場面がありますが、そこは恐らく太夫のアドリブで、それに人形遣いが一糸乱れぬ連携を見せてくれました。
正に真剣勝負の一期一会の舞台!
互いの呼吸を計りあいながら全体の演技をより高めていこうとする気合がひしひし感ぜられます。

深い感動を味わいながら、連れ合いと二人で国立劇場を後にしました。
9月初旬とは思えないほど肌寒い日ではありましたが、話の結末に一筋の希望の光が見えたこともあって満足しつつも、それにしても冒頭の蛍狩りの段で舞台を飛んでいた蛍らしき緑の光は凄かった、どうやって飛ばしたんだろうと、帰りの電車の車中での話題しながら帰路に着いたところです。

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フルトヴェングラーとマーラー [音楽]

フルトヴェングラーの「ザ・レガシー」のことを先日取り上げました。


107枚のCDは、やはりかなりのボリュームであり、もちろんまだその一部しか聴けていません。
ベートーヴェンやブラームスやブルックナーの演奏は、既に所持しておりましたからどうしても後回しになりますし、ワーグナーに関しても、指輪などは聴きとおすためにもそれなりのエネルギーが必要で、まだそのままになっています。
しかし、こうして「いつでも聴ける」全集が手元にあるのは心強い限りで、ちょっと時間の空いているときなどに少しずつ聴いたり、入浴時に聴いたりと、それはそれで楽しみにしているのですが。
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この全集、これまで録音された音源のほとんどは網羅されており、フルトヴェングラー自身の作品である「交響曲第2番ホ短調」や「ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲 ロ短調」も含まれています。
なかなかの力作で、フルトヴェングラー自身「自分の本来の芸術的目標は作曲家である」としておりましたし、恩師であったルートヴィヒ・クルティウスからも「指揮活動は(作曲のためには)才能の浪費である」と指摘されていたことなどもあって、相当打ち込んでいたものと思われます。
両曲ともかなり長いので聴きとおすためには一種の「覚悟」がいりますが、私は大変気にっています。
この2曲についてはいずれまた取り上げたいと思います。

そんな全集ではありますが、個人的に少し残念に思うことがあります。
それは、マーラーの作品が、フィッシャー=ディースカウと組んだ「さすらう若人の歌」のみで、彼の本質ともいうべき交響曲の録音が一曲も残されていないこと。
なぜなのだろう?
同じような疑問を抱く人は結構いるようで、その問いに対し、フルトヴェングラーと親交のあった近衛秀麿氏は

「彼(フルトヴェングラー)はマーラーをドイツ音楽とは考えていなかったのでしょう。あまりにユダヤ的だったから。だから取り上げなかったのです」

と答えています。
近衛氏が何を以て「ユダヤ的」といったのか、私には皆目見当がつきません。
ユダヤ人が作った曲だから、というのであれば、メンデルスゾーンの曲の録音がそれなりに残されていることとどう折り合いがつくのか。

実際、この記事によりますと、フルトヴェングラーは、第1番・第3番・第4番を取り上げていた時期もあるようです。
1920年代ですから、残念ながら録音も残っていないということなのかもしれません。
1930年代以降取り上げられなくなったのは、この記事でも触れられていますが、1933年にナチスが政権を掌握、その政権下におけるユダヤ人・ユダヤ文化排斥の影響によるものなのでしょう。
1933年4月、フルトヴェングラーは宣伝相ゲッベルスに公開状を書き、これを、当時はまだ比較的自由な論説を掲げていたドイチェ・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙(ユダヤ人指揮者ブルーノ・ワルターの指揮禁止に対して彼を擁護した唯一のドイツ紙)に託しました。
公開状の内容は「芸術に対し、ユダヤ的であるかどうかの違いによって価値の区別をすることは間違っており、真の芸術家である以上それはユダヤ人であってもドイツにおいて表現の自由を与えらるべきである」というもので、これを見ても、近衛氏のお話の「ユダヤ的だから取り上げなかった」という下りには少し疑問を感じます。
有名なヒンデミット事件はその翌年のことですが、このときの「ヒンデミットの場合」というフルトヴェングラーによるヒンデミット擁護の論文の中では、もうナチスによるユダヤ人排斥についての批評は一言も述べられていません。
フルトヴェングラーがユダヤ人演奏家や芸術家を積極的に擁護したのは有名な話ですが、この時にはもうそんなことを主張できる段階ではなく、従って演奏会で(例えばマーラーの音楽を)取り上げることはもうとてもできるような状況ではなかった。
そういえば、このヒンデミットの交響曲「画家マチス」初演も、録音としては残っていませんね。

さらに、ナチスの反ユダヤ政策による圧力ももちろんあったのでしょうが、観客がそれを求めていなかったのではないかということも考えられます。
優秀なるアーリア人である自分たちの生活が改善されないのは、破壊分子であるユダヤ人の台頭によるものだ。ユダヤ人を排斥し、真の優等民族である我々の尊厳を取り戻すのだ、というナチスの主張に、不況にあえぐ人々は賛同した(何だか今の欧州や米国の状況に似ていますね、日本も危ないか)。
そんなうねりの中で、フロイトやハイネの著書も(彼らがユダヤ民族だという理由を以て)焚書坑儒の餌食にされたくらいですから、マーラーの音楽を演奏することなど、とても受け入れられるものではなかったのかもしれません。

ナチス政権下ではそうであったのでしょうが、それではなぜ大戦後もフルトヴェングラーはマーラーの交響曲を取り上げなかったのでしょうか。
音楽評論家の故宇野功芳氏は、フルトヴェングラーがマーラーの曲を指揮しなかったことに関し「マーラーはワルターに任せた」と云ったとの伝聞を紹介しておられましたが、真偽のほどはわからないながらありそうな話ですね。
指揮者というカテゴリーから云えば、ワルターとクレンペラーは正にマーラーに直結する弟子であり、この二人によるマーラーの演奏は今日においても少しもその輝きを失っておりません。さらにメンゲルベルクという巨大な存在もありました。
同世代にこれだけの表現者がいては、自身がそれを凌駕する演奏を聴かせることは難しいと考えた可能性も無きにしも非ずでしょう。

しかし、これは私の身勝手な憶測なのですが、ドイツやオーストリアでは戦後になってもマーラーの交響曲にあまり需要がなかったのではないかと考えます。
今でこそ、マーラーはコンサートにおけるドル箱のような人気曲となっていますが、あの巨大で一見難解な曲を普通の聴衆が好んで聴くまでには相当の時間が必要だったことでしょう。

フルトヴェングラーは、何よりもコンサートにおける演奏効果、平たく云えば聴衆受けを重要視したといわれています。
ストラヴィンスキーやプフィツナー、バルトークといった現代音楽も好んで取り上げましたけれども、その際にも観客が興味を引きそうなポピュラーな曲を併せて配置し、観客が退屈することのないように心を砕いたそうです。
そうした背景を鑑みれば、マーラーの長大な交響曲をプログラムに載せることにリスクを感じてもおかしくはありません。

では、ブルックナーの交響曲はなぜ取り上げたのか。

今の我々の感覚からすればかなり違和感はありますが、同じドイツ・オーストリアの音楽としてリヒャルト・シュトラウスと同様にワーグナーの流れを汲んでおり、従って独墺の聴衆には受け入れられるだろうと考えた。
フルトヴェングラーが改訂版を使用した時期があったことからしても、その路線で観客に聴かせようとしたのではないかと思われます。
指揮者の朝比奈隆氏は、フルトヴェングラーからブルックナーを演奏する場合の版のことについてアドバイスを受け、それによってハース版を使うようになったそうですが、当のフルトヴェングラーは改訂版を使っていたこともあったわけで、そこには恐らく葛藤もあったことでしょう。
フルトヴェングラーは、ブルックナーに関する論文も書いているほど彼の音楽を気に入っており、評価もしていました。
フルックナーの音楽を読み解くことは、指揮者としてはもちろん作曲家としても興味をそそられるものであったのでしょう。
今残されているフルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲の録音を聴いても、その傾倒ぶりがわかるように思われます。

いずれにしても、私は彼の指揮によるマーラーの交響曲第9番と大地の歌をぜひ聴きたかった。
無いものねだりに過ぎないことはわかってはいるのですが…。

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フルトヴェングラーのマタイ受難曲 [音楽]

大型連休となりましたが、勤務形態の関係から私は長期的な休暇が取れず、5月1日・2日はもとより6日の土曜日も出勤です。
そんなわけで、遠方に出かけるには中途半端となり、専ら近隣での行動に終始することになりそうです。
ある意味では残念でもありますが、こういう時に、これまで落ち着いて聴けなかったCDをまとめて聴く、という方向に意識を転換するのもまた良いのかもしれませんね。

そういう背景があったわけでもありませんが、昨年末に購入した「フルトヴェングラー/ザ・レガシー(CD107枚組)」の中から、これまで楽しみにとっておいた大曲を聴き始めています。


まずは何と云ってもJ.S.Bachの「マタイ受難曲」。
なにしろ以前「お気に入りの十曲」の筆頭に挙げた曲。フルトヴェングラーによる1954年ライブ録音を通しで聴くのは初めてのことであり、このボックスセットを購入した理由の大きな一つはこの演奏が含まれているからでもありました。
40年近く前に抜粋版のLPを買ったのですが、余りにも音が悪く、我慢して聴くほどの魅力も(そのときには)感じなかったので、遺憾ながらそのまま実家の倉庫に眠っている状況です。

しかしながらこの演奏はフルトヴェングラーが亡くなる1954年のライブ録音であり、ある意味での記念碑的演奏でもあります。
というのも、フルトヴェングラーのバッハに対する愛情と尊敬の念は極めて高いものがあり、彼の著作を読んでみてもそれがひしひしと伝わってきますから、前年に死線をさまよう大病を患い聴覚に異常をきたすほどになっていた状況の中にありながら、どのような心境でこの演奏に臨んだのか、是非ともライブ全体を通して聴くことによって感得してみたいと思ったわけです。
実際、フルトヴェングラーによるバッハの演奏では、例えば管弦楽組曲などを聴いてみる限り、相当突っ込んだ解釈に基づく演奏を展開していて、生半可な共感では果たし得ない境地があろうと想像できるのですから。
因に、このマタイ受難曲の演奏は、1954年4月14日から17日にかけて4日連続の4公演行われたとのこと。
この大曲を四日連続4公演で演奏するとは、今考えてみても相当な気力が必要だと思います
それだけの強い想いを、恐らくフルトヴェングラーは持ち続けたのでしょう。

フルトヴェングラーは、ドイツの音楽、それもバッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスへと連綿と続く正統なドイツ音楽こそが「真の音楽」なのだという強い信念があり、それゆえに、あれほどひどい目に遭いながらもナチス政権下のドイツを離れることをしませんでした。
ユダヤ人音楽家を保護したり、彼らを守るための論陣を張ったり、ヒンデミットの「画家マチス」を擁護したり、と、そこまでするのであれば、他の指揮者や音楽家のようにさっさとナチスドイツなど見限って新天地を目指すべきではなかったかと傍から見れば思われるのに、なぜ恋々とドイツに未練を感じて残ったのか。
フルトヴェングラーにいわせれば、輝かしいドイツの音楽や芸術をドイツ本国に残ったまま守ろうとする人々がいる限り、その人たちのためにも自分はドイツに残ってできる限りのことをしたいのだ、ということなのです。
あっぱれではありますが、戦後、ナチスの協力者だなどといわれのない中傷を受け続け、結果としてさらなる飛躍の機会を奪われたことを鑑みれば、いささかドン・キホーテ的ではなかったかとの感もありますね。

しかし、そういう人であるからこそ、今でも衰えない人気があるのでしょう。
打算に流されずに、自分の信ずる道を歩いた、エキスパート中のエキスパートとして。

ながながと書いてしまいましたが、そんなこともつらつら思いつつ早速聴いてみました。

………。

音の方は、先に書きました抜粋版のLPからは想像もつかないほど素晴らしいものとなっています。
もちろんモノラル・ライブ録音ですから、それを念頭に置かねばなりませんが、ウィーン・フィル独特の柔らかな弦の音色なども明瞭に聴き取れます。

演奏そのものは、というと……。

異様に遅い印象のレチタティーボ、顕著なテンポの動き、ポルタメントやルバートの多用、曲の終わりの結構鼻につくリタルダンドとフェルマータ、全体的なレガート感など、これまで聴いてきた中ではメンゲルベルクに近いスタイルを彷彿とさせます。
コラールに記譜されているフェルマータをそのままパウゼにしていたりと、ある意味では一昔前のロマン的な演奏といえましょうか。
しかし、メンゲルベルクに比べればはるかに抑制的で、その点では私の先入観を裏切るものではありましたが。
注目すべきはイエスを歌ったフィッシャー・ディースカウで、この演奏当時、まだ20代の若者であったはずですが、実に堂々としていて、しかも瑞々しい表現です。
後年の、あの円熟した、まるで絹かビロードのような歌声ではなく、むしろ溌剌として強い意志の力を感じさせる歌声です。
ウィーン・フィルの弦による光背の音楽をバックに歌われるディースカウのイエス。
このCDの中でも聴きものの一つと強く思いました。
ソプラノのグリュンマーとアルトのヘーフゲンも素晴らしく、「Blute nu, du liebes Herz!(血を流せ、愛しき御心)」や「Erbarme dich, mein Gott.(憐れみ給へ、我が神よ)」などは畢生の名演奏といえましょう。
その割に、福音史家を担当したデルモータは数等落ちる感覚でした。
合唱はウィーン・ジングアカデミーですが、何か、人数の割には突き詰めた感じが不足しており、こちらは伴奏の陰に隠れてしまった感があります。
マタイ受難曲の中でも最も有名かつ感動的なコラール「O Haupt voll Bult und Wunden,(おお、血と傷にまみれし御頭)」も、あれれ?という間に終わってしまい、これはかなり落胆しました。
ただし、導入合唱と終曲合唱は別物の感があります。
特に終曲の方は、この大曲に相応しい深い祈りを感じさせ、思わず聴き惚れてしまいました。
最晩年、かつ、かなり体調の面でも不安のあったフルトヴェングラーが、それでもこの大曲をライブでやりとおした、その最後を飾るにふさわしい演奏だと思います。

ただ、この当時の演奏としては仕方がなかったのでしょうけれども、あまりにカットが多すぎます。
コラールもかなり割り引かれ、アリアの相当数カットされていました。
楽譜を読みながら聴いたわけではありませんから確かとはわかりませんが、私の思い入れの深い「我がイエスを返せ」や「わが心われを清めよ」などがカットされていたのはいかにも残念でした。

いろいろと散発的な感想を書いてしまいましたが、私にとっては、この演奏からわずか4年後にカール・リヒターが録音した全曲完全版のステレオ演奏が一つの大きな指標となっており、どうしてもそれと比べてしまいます。


云い方は悪いのですが、このフルトヴェングラーの録音を聴いて、リヒター版の真摯さ凄さを改めて感じているところです。
特に福音史家のヘフリガーと合唱。
これは正に段違いのレベルにありました。
恐らく人数からすればはるかに少ないはずの合唱団の、あの突き詰めたような表現はどうでしょう。
「おお、血と傷にまみれし御頭」のコラールでは、正に荊冠に苛まれて血を流すイエスの姿が目の当たりに浮かんできます。

フルトヴェングラーとリヒター。

恐らく、バッハに対する想いや尊敬の念は双方とも大変強いものがあったと思われますが、フルトヴェングラーにとってのバッハはドイツ音楽における孤高の芸術家としてのそれであったのに対して、リヒターにとってはその宗教観や生き方を含めバッハという人間そのものこそが全ての源であったのではないでしょうか。
その突き詰めた想いの差が、そのままそれぞれの演奏に出てしまっているように思えてなりません。

これはあくまでも私の牽強付会な印象に過ぎないのですが、フルトヴェングラーにとってバッハという存在はドイツ音楽という至高の芸術の体現者・創造者としてのそれであり、リヒターはそこからさらに深掘りをしてバッハの精神の根幹を占めていた信仰のありように迫っていたのではないか、と考えるのです。
つまり、バッハのマタイ受難曲を、フルトヴェングラーはあくまでも至高の芸術作品として見、リヒターはバッハの信仰告白として受け止めようとした。
それ故に、そこから導き出された世界もおのずと違ってきたのではないか。

どちらがより優れているか、という問題ではありません。
これは恐らく聴く人の感性にその回答を求められるべきものなのでしょう。

私自身のことを敢えて書けば、やはりリヒターの演奏に強く惹かれます。しかし、このフルトヴェングラーの演奏からは、そうした一方向からの偏った見方を修正する力があると感ぜられました。
このフルトヴェングラー版。もう少しきちんと付き合ってみたいなと改めて思っております。

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佐渡裕&東フィルのブルックナー第9番、武満徹「セレモニアル」 [音楽]

冬本番の冷え込みが続いています。
先日出かけた丹沢も、もう真っ白けの厳冬仕様に変わっていました。
通勤途上の多摩川の跨線橋から遥か彼方に南アルプスの峰々が白銀に輝く姿が望め、なんだか胸の熱くなる想いです。

そんな寒さが少し緩んだ感のある日曜日、久しぶりにbunkamuraオーチャードホールに出かけ、佐渡裕指揮東京フィルハーモニーによる演奏を聴きに行きました。
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演目は、武満徹の「セレモニアル-An Autumn Ode-笙とオーケストラのための(1992年)」とブルックナーの交響曲第9番です。

この演奏会を聴きに行こうといったのは、実は連れ合いでした。
連れ合いは、学生時代に合唱サークルに所属していたことから、例えばベートーヴェンの第9を歌ったりといった経験はありますが、どちらかというと歌謡曲や7~80年代フォークやニューミュージックのファンで、クラシックは私にやむを得ず付き合っているような風情がありましたから、ちょっとびっくり。
理由を聞いたところ、私が昨年還暦を迎えたことから、何か具体的なお祝いをしたいと思いつつ果たせなかったところに、郵便局に貼ってあったポスターを見、私が武満徹とブルックナーのファンであることを忖度して、どうかと思ったのだそうです。
もちろん、連れ合いも佐渡裕という稀有の指揮者に対する興味は津々だったので、己の期待も込めてのことだそうですが。
それはともかく、そんな連れ合いの気持ちが嬉しく、また、もちろんこのプログラムの魅力もあり、早速東フィルフレンズに登録。チケットを購入したのでした。

ネットからチケットを申し込むと、優先予約の期間中にもかかわらず、よさそうな席は結構埋まっていました。
さすがに佐渡裕だなあ、と妙に納得。

演奏会への期待は並々ならぬものがありましたが、オーチャードホールに行くためには、あの猥雑な渋谷道玄坂界隈を歩かねばなりませんから、その点だけは憂鬱です。
案の定ひどい人ごみで、ホコテンでもなかったので、歩道は溢れんばかりの人でごったがえしていました。

さて、演奏会ですが、今回の公演はワンステージ。
つまり、二曲を続けて演奏し、途中休憩はなし、ということです。

観客席は、8分くらいの入りというところでしょうか、ところどころに空席はありますが、まずまずでしょう。

「セレモニアル」は、副題が「An Autumn Ode」となっており、これは「秋の頌」ということでしょうか。
頌は頌歌のことであり、特定主題に基づく格調高い抒情詩のことをいいます。
例えば、ベートーヴェンの第9に用いられたシラーの詩などはその範疇に入りますし、場合によっては読経などもそういえるのかもしれません。
この曲では、前奏と後奏が笙の独奏となっていて、奏でられる主題は「秋庭歌」「秋庭歌一具」から引用されています。
耳を澄まし神経を集中させなければ聞こえないほどのあえかな笙の音によりその主題が奏でられ、それがやがてホール一杯に響き渡ります。
宮田まゆみならではの表現力といわざるを得ません。
その主題を、客席の3方向に設置されたフルートとオーボエが受け継ぐのですが、ノンビブラートはもちろんノンタンギングで演奏されるその音、特にオーボエなどは竜笛の音を彷彿とさせました。
やがてオーケストラが、それらを包み込むように響きだし、晩年のあの艶やかで優しく美しい武満サウンドが展開する。
そして、最後に笙が残って主題を奏でるのですが、何とも不思議な深淵に導かれるような音楽なのです。
武満さんの音楽、殊に晩年は、その独特な美しい和音が大変印象に残りますが、この曲も同様です。
武満さんの音楽を「深海の音楽」と評した方がおられ、確かにそういう感じもあろうかとは思われますが、私はその響きからいつも抜けるように透明な空と光を感じます。
魂が浄化されていく、という点では、ある意味ブルックナーの音楽にも共通するようにも思われるのです。
この曲の演奏時間は10分足らずでしたが、何というか、ひたすらその響きの中に身を置いていたいと思わせる作品でした。
ところで、これは一面気の毒なことではありますが、近くにおられた初老の男性が風邪を引いておられたらしく、我慢しつつもしきりに咳をし、とまりません。
笙の後奏ではそれがひときわひどく、これには参りました。

万雷の拍手に宮田さんが送られると、続いて本日のメインプロともいうべき、ブルックナーの交響曲第9番の演奏が始まりました。

ブルックナーの交響曲第9番を実演で聴いたのは1993年のこと(朝比奈隆&東京都響)で、今回の実演鑑賞は26年余りのことになります。
この時の演奏は筆舌に尽くせないほどすさまじいもので、特に第3楽章では、85歳の年齢を全く感じさせない迫力に満ちたものでした。
今回は二回目の実演ということで、ブルックナーの交響曲第9番をこよなく愛していると公言している割には甚だ少なく、この点は忸怩たるものがあります。
元来私は大変なものぐさなので、傍らにシューリヒトやヴァントなどによるレコードやCDがあると、てっとり早くそれを聴くことで目的を達しようとしてしまう嫌いがあり、聴いてみたいというプログラムがありながらも重い腰を上げることがなかなかできませんでした。
その意味でも、今回、連れ合いが提案してくれたのは勿怪の幸いというところでしょう。

佐渡裕は、皆様既にご案内の通りバーンスタインの弟子でもありましたから、ついつい1990年3月のウィーン楽友協会大ホールでの師匠の演奏を想起してしまうのですが、当然のことなのでしょうけれども、趣は全く異なります。
強いて共通点を上げるとすれば、第2楽章などにみられる恐るべき統制力。
正しく一分の隙もない演奏でありました。
全体としても、テンポを極端に動かすことはなく、巨大な構築物や遥かなる山並みを仰ぎ見るかのような微動だにしない堂々たる演奏で、これは全く「正統な」ブルックナーの響きといえるのではないでしょうか。
佐渡裕の描き出そうとする音楽的な宇宙を、東フィルは素晴らしいアンサンブルで実現させています。
弦から金管・木管そして打楽器に至るまで、正に彫琢され統率された美しい響きを繰り広げ、私たちを至福の空間に誘ってくれました。
特にホルンの素晴らしさはどうでしょう。
この曲に限らず、ブルックナーの交響曲にはホルンの印象的な(それゆえに演奏するのには極めて困難の伴う)ソロがいくつも登場しますが、このソロを受け持ったホルン奏者の音は、私の想像をはるかに超える美しい響きを届けてくれます。
もちろんホルン全体のアンサンブルも素晴らしく、こんなに安心して実演のホルン演奏に身をゆだねられるのは久しぶりのことでした。
ただ、これはあまりにも張り切りすぎたからか、第1楽章ではややホルンが突出していたような気もします。
もう少し弦の和音を前面に出して欲しかったと、ちょっとないものねだりをしてしまいました。
また、ワーグナーチューバも同様に素晴らしい響きを醸し出しており、第3楽章の練習番号B(29小節)の冒頭の和音で少し乱れがあったものの、その後の演奏は乗りに乗って、コーダの終盤、練習番号X(231小節)の第7番の主題を回想するところなどは、正に夢見心地でその響きを楽しんだものです。

素晴らしい演奏でした。
観客のマナーも上々で、皆、この正に一期一会の感動的な演奏を聴けた悦びに浸っていたように感ぜられます。
私は、大変恥ずかしいことですが、ブルックナーなどの演奏についていえば、例えば先日聴いたバイエルン響などのような独墺オーケストラによるものが一番だという思い込みがありました。
何といっても歴史的な重みに違いがありますし、独墺のオケのメンバーの大半が当該国民であるが故の共鳴のようなものもあると考えていたのです。
しかし、この佐渡裕&東京フィルの演奏を聴き、改めて日本のオーケストラの底力を痛感しました。
この演奏は、(あくまでも私見ですが)先日のバイエルン響に勝るとも劣らないものだと思います。
こんなことをいうと「セコいかな」とは思いますが、彼我の料金差(4分の一くらいの値段で聴けます)は全く感じられません。
しかも、聴こうと思えばその機会は十分にある。
そういう環境に自分がおかれている幸運に改めて感じいったたところです。

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